むかしむかし、まだ愛親覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え輝いて居た時分、支那の大都市の南京に孟世?と云ううら若い貴公子が住んで居ました。
(谷崎潤一郎、「人魚の嘆き」より)


谷崎潤一郎の作品は、基本的には読んだことはないのだけれど、昔、ほんの数編だけ読んだことがある。
物置の中のオンボロの文学全集の中に、含まれていたものを、さらりと読んだのだ。
今回、谷崎の全集を借りてきているのだけれど、この冒頭の部分を読んで、その時の記憶が蘇った。

「六月の牡丹のように栄え輝いて居た時分・・・」
なんて美しい表現(笑)
昔もそういうふうに感じたし、今、また同じように感心した。
人間の好みなんて基本的には変わらないよね。

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