mocoさんの日記、コメントが残せないのですね☆

キンセンカ

2018年4月23日 日常
キンセンカ
切り花が春先に出回る。
結構好きなので、時々買う。
ビタミンカラー。
びっくりするくらい水を吸う。
でもすぐに駄目になる。

母親はこの花のことを「別名、田舎娘」と呼んでいるけれど、検索してもそのようなことは出てこない。
どうなのかな。
でも明るく元気な田舎娘のイメージがある。

ボケない父親

2018年4月13日 日常
父親が入所してこの夏でまる三年になる。
そして最近、何だか性格が変わってきた。
それも良い方向に。

時々びっくりするぐらい立派なことを言っているし、口先だけでない感謝や、なかなか含蓄のあることも言うようになった。

入所している施設があるエリアは市と市の狭間にあり、ちょっと浮世離れした感じ。
施設も明るくのんびりしているし、部屋は個室。定期的にカラオケや訓練がある。

一週間に一回の言語リハビリは、リハビリとはいえ一種の一対一のカウンセリング代わりの役割も果たしているかも。

ご飯の心配も仕事の心配も何もない。
母や私から色々言われることもない。
そんな生活を三年も続けていると、本来持っている性格がくっきりと浮かび上がって来たのだろう。

人間の性格ってなんなのだろう。
それはとても複合的なものだということに、あらためて気が付いた。

持って生まれたものに、環境や時代、健康、周りの人間、通った学校、能力、ついた仕事などが肉付けされていくのだろう。

考えさせられた。

それにしても。
父親は全然ボケない(母親もだけれど)。
最近ますます冴えてきた。
家系なのだろうか。
だとしたら私も大丈夫?
だとしたら有難い。
最近はありとあらゆるものが繋がっていて、私のスマホとパソコン、ツタヤカード、買い物履歴などが全部リンクしている。「同期」なんかも便利なのかもしれないけれど怖い。

そんな前振りで、ビッグデータ。
何だかわたし的には、両者を同じように考えていたのだけれど、先日NHKだかのドキュメンタリだかを見て考えを改めた。

ひたすらデータを集め、統計で傾向を探り、「託宣」を行うビッグデータの活用は良いのかもしれない。

番組でやっていたのは、
・沢山の勤め人とインタビューを行う。
・会社への不満、辛いこと、逆に楽しいことなどをひたすら語ってもらう。
・それをデータ化する。
・実際にその後辞めた人はいるか、調べる。

そうすると例えば、特定の単語を使う人、「頑張る」を30回以上言う人、朝5時前に起きる人、などは半年以内に辞職する可能性が90パーセント以上、などと分かってくるのだそうだ。

会社にとって、せっかく教育したのに2年ぐらいで辞めてしまう人というのは大損害だから、そういう可能性のある人をあらかじめ見つけ対策を練るのにとても役に立つのだろう。

人間の学者が行う「予想」と違って、コンピュータの場合はただただ可能性を述べるだけ。理由などは言わない。
あくまでも大量のデータから統計を導いているだけ。


ふーん。

考えてみれば、世の中の頭の良い人というのも、普段から色々な本を読み、色々な人と接触し、色々なことにチャレンジしてデータ量を増やし、それで頭が良くなっているのかな、と思う。
ひらめきも知識の積み重ねだから。

ビッグデータもそれと同じ。
しかも本当に大量のデータを集めている。

これって様々なことに応用出来ると思う。

・病気が治る人
・長生きをする人
などなど。
(ちょっと今、思いつかないけれど)。

おもしろいな、と思った。


 ヤフーのトップページの記事より引用。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180303-00000015-pseven-soci&p=3





・・・・

 激安の象徴でもある「100円均一ショップ」などのディスカウントショップはサービスや人件費をできる限り抑えることで、安い商品価格が維持できる。消費者もその仕組みを理解しているからこそ成り立つ商売、というわけだが、値段以上のサービスを求められる従業員たちは、中高年クレーマー客への対応に追われるがあまり、別の作業が出来なくなるばかりか、他の客への応対すらままならなくなっているのだとうなだれる。

 クレーマーには若者や、小さい子ども連れの大人もいる。彼らはクレームをつけることによって商品をタダで手に入れようとか、特別サービスをしてもらおうという下心をのぞかせることが多い。ところが中高年層クレーマーの多くに共通するのは、自分がクレームをつけることそのものが相手のためになる、ひいては世の中のためになる正義であると信じてい



端から見ると「自分が不快だから」「自分が気に食わないから」といった、極めて身勝手な論理を振りかざしているようにしかみえない。ところが、ぶつかってきた子どもの親と店員をしつこく責めるのは、子どものしつけを十分にできない親と世間に言い聞かせているつもりなのだ。量販店で色やサイズ展開に注文をつけるのも、その店のサービス向上に貢献してあげていると考えている。そして、サービス業とは費用対効果を度外視したサービスをすべきだという、右肩上がりの経済成長を続けていた時代の働き方を今も信じている。

 時代は変わった。値段に対応したサービス提供にとどめなければ、どんな産業も長続きしないと世の中は理解しつつある。ところが、その変化についてゆけない彼らは、自分たちが満足するサービスの「お返し」をしない、自分の孫のような世代の店員たちに対して苛立ち、二言目には「こっちは客だ」「最近の若い者」「ゆとり世代」とくる。

 人口ボーナス期に働き、常に最大多数側の世代であった彼らは、個人差はあるものの、他の世代の言い分をきく習慣がない人が多い。そして若者の側も、異世代間交流をあまりしてこなかった時代に育っているため、彼らの暴言を「年寄りのたわごと」と受け流す、よい意味でのいい加減さを持てずにいる。

 見ず知らずの客に、理不尽にも罵詈雑言を浴びせられるなどとは夢にも思わなかった若者たちは、接客業に嫌気がさしたり、絶望し業界を去っていくこともある。こうして一部の傍若無人な中高年のせいで、「老人嫌い」「中年嫌い」の若者が産み出されていくことは、若者にぜひとも頑張ってもらわないと国が沈む、という我が国の現実の中で決して見過ごせない問題であることはいうまでもない。

 前述のアパレル店店員は、絶対に言えないことだ、と前置きしつつ「今の世の中の仕組みを理解していない」中高年客に対し、次のように吐き捨てた。

「うちにみたいな量販店で買っているくせに……。お金もないのにサービスを要求するな、って。そのくせ老人を敬え、大切にしろ、挙げ句の果てには”最近の若者はなっていない”ですからね……。高齢者のために、年金だなんだと私たちのお金も吸い上げられている。ほんと、この国はこうやって終わっていくんじゃないかな、と不安になります」




「お客様は神様」という概念を捨てきれない中高年世代。こちらは客だから、金を払っているから当然だと、相手や店、グレードに構うことなく要求しまくる。ファミレスやアパレル量販店など「安い分、サービスへの期待はしない」という一般市民らの感覚が理解できないからか、そうした店にも、過度なサービスを求めてくるのだという



中高年クレーマーに関しては増加傾向があり、話題にのぼることが多いのだけれど、大抵、
・認知症が少しある、
・加齢で我慢できなくなった、
・貧困でクレームをつけることにより無料にしてもらう、

などと言われていたと思う。
でも何か違うかな、と私は思っていた。

で、この記事をみて納得。
そうなのですよね。
彼らは個人的なクレームというより、なっていない店員やマナーの悪い子連れを「教育」しているつもりなのかな、と思う。

一方、対する若者店員は、自分がクレームをつけるときは、「商品をタダで手に入れよう」とかのパターンが多いみたいなので、どうしても中高年クレーマーもそういうものだと思っているのだと思う。
そうでないパターンも多いだろうけれど、そういうパターンも多いはず。

65歳以上の世代って、学生運動だとかヒッピーだとかそういう人達だから、「社会」を改革していこう、という意識が強い。
一方、若者はクレームをつけるとしても、それは「社会」の改革とかでなく、あくまでも「自分」に利するかどうか。

うーん。
相互理解は難しいかな、と思った。

 
少し前からアメーバブログというのをはじめた。
きっかけは職場で某Rさんと知り合って、彼女がやっていたので。
(私もアメーバブログのアカウントを持たないと、コメントが残せない)。

ここと違って向こうは盛沢山な感じ。
機能面ももちろん、とにかく参加者が多い。
芸能人とかも沢山。
一般の人も沢山。

一般の人とはいえ、大勢のフォロウワーさんを抱えている人も多く、なかなか華やか。盛況な感じ。
それからスピリチュアルな人々も多い(この分野はダイアリーノートにはあまりいないような)。

取りあえず始めたブログだけれど、一か月ぐらいが過ぎ、ちょっと立ち止まって眺めてみた。アメーバブログ全体と自分の物を。

何だろう。アメーバ全体からただよってくるのは、ギラギラとした欲望。
どうすればアクセスを増やせるか? どうすれば有名になれるか?みたいな欲。とても人間らしい。

そんな中で同じようなスタンスで私が入り込むのも、すごく変。

でも。何しろ参加者が多いし、書いたものがいつかなくなってしまうかも?なんてことも無さそうだし、気に入った人だけにメールを送ったりすることも出来るみたいだし(ここは出来ない、ですよね?)、いろいろ使い勝手は良さそうなので、続けることにした。

でも。
私のブログはあくまでも私の為だけの覚え書きに徹することにした。
エネルギーの渦がぐるぐるしている、他の人達のブログとは離れる。
隊列の後ろをゆっくり付いていく感じ。
「いいね」だとか「コメント」だとかは気にしない。
今現在、私が日々紙に記録していることの補完。
クラウド?的。

そしてもしかしたら誰か、あるいは何か、が見つかるかもしれないしね。
もちろん。

結論からいうと消せません。
念のために証拠として残しておくのだそうです。
全て既読にしたりしても消えないのだそう。
先程、アマゾンのカスタマーサービスに問い合わせて確認しました。

カスタマーセンターに問い合わせる前に、ググったり知恵ぶくろったり色々したのですが、なかなかヒットしない。
ですので、一応こうして日記に書いて記録しておきます。

アマゾン amazon
メッセージセンター メッセージの消し方
答え 消せません

紅梅

2018年1月17日 日常 コメント (4)
大好き!
母を家に送り届け、遅い昼食を食べさせ、夜になってから病院へ会計をしにいった。
私の前には先客がいて、会計の人から何やら説明を受けている。

「ですからね。高額医療費の場合あらかじめ申し込みが必要なんです。ここでは分かりかねます。夜ですし。ここは外来棟ですし。入院棟ではありませんし。」

説明を受けていたのはまだ若い女性。小さな2人の子供を連れている。
かなり切れそうになっているのを我慢しているような感じだった。

おそらくは入院費。高額なのだろう。
まず取りあえず払わなければならないような状況のようだ。
「今は持ち合わせがない。まだ支払期限まで日にちがありますよね?」
これだけ確認して帰っていった。


何なのだろう。引っかかった。
説明をしていた男の人は40歳ぐらいかな。
感じは悪くはない。
ニコニコニコニコ、弁舌爽やかに説明をしている。
でも何なのかな。
相手の気持ちを考えれば、もうちょっと神妙な表情のほうが相応しい。

それと「分かりかねます」という言葉。
確かに自分の職分ではないのかもしれないけれど、これも素っ気ない気がした。

私の番になって。
ふとこの会計係の名札を見ると、「株式会社ナニナニ」と書いてあった。
なるほどね。夜間は委託なんだ。
どうりで弁舌爽やか。
あちこちで色々な経験を積んではいるだろうけれど、昔のようにこの職場一筋十年みたいな人ではない。


世の中ありとあらゆる物、人、サービスがチャチになった。
1年かけて発酵させて作っていたものを、化学粉末をふりかけて3日で作っている漬物みたいな感じ。

私は嫌だ。こういうの。
翌朝。
やはり顔は浮腫み、具合が悪い。

朝9時頃かな。
まだ寝ている母を起こし、利尿剤を飲ませた。
水を少し多めに飲ませた。胃に負担がかからないように。


そうしたら尿がどんどん出て。
顔のむくみが取れて。
あっという間にだいぶ軽快した。


心不全を罹患している人にとって、尿を出すということは大切なことなのだな、とつくづく思った。


今回色々な人に相談して。
皆さん親身になってくれた。
とても有難かった。

けれど。
それでもやはり決断するのは当事者。
この場合、母だったり。私だったり。
それが私には非常に負担だ。こわい。

二河白道図ではないけれど。
正しい道はたったひとつ。
そして細い。

山道でないけれど踏み外すと真っ逆さま。
この恐怖感をなんとか解決しないと。
と思う。

夜中に母の部屋を覗くと、母はうなされてしきりに足を蹴っている。
寝相が良い母にはめずらしい。そして寝ていても苦しそうだった。

翌朝。12時近くに母は起床。
顔をみて驚いた。

むくんでいる!
普段は凹んでいる目蓋が腫れあがり、むくんでいる。
あわてて薬を調べると、利尿剤(ラシックス)を飲んでいない。
けれど飲みたがらない。

「この時間に飲むと夜まで影響があり、ベッドに入ってからもトイレに行くことになるから。」
断固として飲まない。

翌朝一番で飲むことを約束させた。

うなされていたのは、夢を見ていたとのこと。
大勢で雑魚寝をしている夢。
夢を見ない母にしてはめずらしい。

何だか嫌な気がした。

これが3日のこと。


私はうなる風が大嫌いだ。
春はwindy.
うーうー唸りをあげる風。

ところがこの日はそれだけではなかった。
怒鳴るような声。
怒号のようなものが確かに聞こえた。
暴力的な嫌な声。

あわてて蝋燭に火をともし。
元気なニワトリの絵を描き母の枕元へ。
睨む力強い目を2枚描き、こちらは北の窓へ一枚ずつ貼った。

私の弱気からくる幻聴。

けれどお正月とはいえ、旧暦ではまだ12月。
お正月も立春もまだ。
まだまだ暗く寒い季節。油断はできない。
気力はしっかりもたないと。

死んでしまうのは誰でもだけれど、正しいやり方というのがあって。
今はまだその時でない気がした。
お正月は父親が来て。

帰る2日には、母親の具合は相当悪かった。

肩を上下しぜいぜいと息をしていて。
本来ならこの段階で救急車を呼ぶべきだったのだ。
これは教訓として覚えておこう。

いつもならソファに横になると、すぐに良くなるのだけれど、この時は全然回復しなかった。
父親は母親が寝ている時に帰っていった(私が送っていった)。

帰宅しても母親はまだ回復していない。
トイレまでもなかなか歩けない。
それどころか座ると立ち上がれない。

冬の夜。寒い夜。
若い頃より暗く感じられる照明。灯りを点けても暗い。

そんな中で外で風が吹き始めた。
年末。
母親はニシムラさんの所へ行ったり。

このニシムラさんはエレベータ無しの団地の4階に住んでいる。
90歳を幾つか超えていて。
心臓の悪い母親はもちろん登れない。
だからニシムラさんが降りてきてくれた。

うちの狭い軽自動車の車内で30分くらい話したかもしれない。
部屋まで送っていきます、という私の提案を断り、ニシムラさんはまた4階まで戻っていった。
循環器系も足腰も大丈夫だということだろう。衰えてはいるけれど。

このあと私たちはお墓参りへ行った。

そのあとはラーメン店へ行った。

母は相当疲れたと思う。

けれど外出したからには、あちらもこちらも寄りたい。あれもこれも片付けたいという精力的な気質なのだから仕方がない。本人の希望なのだから仕方がない。

これが27日(水)の出来事。




覚書

2018年1月5日 日常
12月31日。
昼食の後、父親を施設から家へ。
1月2日の昼食後また施設へ。

結構元気。
母親や私と碁をやる。
やはり父親が圧倒的に強い。
四石置き。なのに父親が40目勝ちみたいな感じ。

毎年牙城を送ってくれるのに返事をしなかった某セキネ先生。
父親に返事を書かせる。
麻痺した右手で書いていた。
結構上手。倒れる前はくせ字だったのに、素直な字になっていた。
父親はとことんマイペース。
この年齢でゆっくりではあるけれど回復している。
slow but steady.

セキネ先生は父親と同級生だそうで。
でもどうやらまだ開業している。
すごいな。


はつはる

2018年1月5日 日常
良い年になりますように!

覚書

2017年12月31日 日常
2013年1月10日 渋谷ビックカメラにて。
スマホとガラケー購入。二台持ち。
スマホ1台より二台持ちのほうが安いと言われた。
スマホはギャラクシーノート。
大きくて画面がきれい。
担当してくれた男の子がちょっと個性があった。
非常に作業が遅かった。
バス旅か何かの番組だったと思う。
芸能人が沖縄を路線バスで旅をして。
まぁ他愛もない番組。

それに東京から移住したという若い夫婦が出てきた。
養蜂をやっているのだという。
夫婦には2つ3つの男の子がいて。
おとなしくて素直そうな良い子。

でもね。夫婦は周りの地元の人達から言われるのだそう。
「もっと泣かさなきゃダメだ。全然泣いていないけれど大丈夫? 子供は泣かなければ。」

何だかちょっとハッとした。
そうだよね。
子供は泣かないと。
癇癪をおこしたり。お母さんが恋しかったり。お友達と喧嘩をしたり。
ちょっとしたきっかけで、わんわんと泣かなければね。

今の子は泣かない。
特に都会では泣かない。
家庭では泣くのかもしれないけれど、公共の場ではまず泣かない。泣いている子を見たことが無い。
電車の中とか泣く子は、「しつけがなっていない子」として大ひんしゅくをかうのだと思う。

ただ、どうなのかな。
わあわあ泣いて。すぐにまた笑って。そういうのが大きくなる過程で必要なのだと思う。


古事記だかの中で。須佐之男命が髭が生えるような大人になってもお母さんが恋しくて泣いていた、みたいな記述があったと思うけれど、裏返せば、髭が生えるような大人になる以前は、子供は皆泣いていたのだと思う。


そして。
大人になっても時には泣いていいんじゃないかな。
昔の日本人は男も結構泣いていたような気がする。


世の中どんどんソフィストケイトされて。
それはそれでいいのだろうけれど、芯の強さは失われたかもね。
千葉の家は集合住宅だけれど、私達のように古くからの住人はモニター無しのドアホンだった。
新しく入居する人達は、鍵穴は2つあったり、モニター付のインターホンだったり、そのうえ家賃も安かったり。古くからの住人は不満だった。
それがやっと交換してくれることになった。

で。
今日工事のおじさんが来たのだけれど。

何だかすごく手間取っている。
「ち。困ったな。」とかこちらの不安感をあおるような独り言を言っている。
嫌な予感。

ここの住宅は、モジュラージャックは各部屋にあって、差込口はそれぞれ2つある。
片方は電話用。
もう片方はインターネット用。

そのインターネット用の差込口の配線工事を、インターネット会社がした時に、何か不具合があったようで、今回ドアホンを外し普通のインターホンへ取り替えたら、電話回線が使えなくなってしまったとのこと。

「リビングのモジュラージャックは大丈夫なので。親機をここへ持ってくれば大丈夫ですよ☆☆☆」。
おじさん、何だか急に愛想が良くなった。入室した時は職人らしく、ちょっと仏頂面だったのに。

ちょっと待って。各部屋にあるモジュラージャックが使えず、使えるのはリビングだけ? それは困る。第一何年か経って退去時に、うちが壊したと言われるかもしれないし。

おじさんは困り果てているので、
「では取りあえずリビングに親機を置いて、後日直して貰えますか? 管理事務所に連絡しましょうか?」と言うと、

「管理事務所に連絡してもらっては困る。そちらからインターネット会社へ連絡して対処して欲しい。」などと言い出し、私はびっくり。



え?
ここ、賃貸だし。
付属設備のドアホンをそちらの要請で交換し。
そしたら電話が使えなくなり。
それ、こちらの責任ですか?

インターネットを導入したのは10年以上前。
その当時、ここの集合住宅は某K✖✖✖しか対応していなくて、ちゃんと管理事務所経由で紹介してもらった業者が来て工事したのだよね。


結局おじさんはあちこち電話をし、色々配線をいじり電話はどの部屋でも使えるようになった。

「ドアホンタイプの部屋なのだから。インターネット会社は工事の時にちゃんとドアホンが無くなった時のことを考えて工事をして貰わないと・・・・。人によって配線の仕方が違うし・・・。」とブツブツ。


何だか。すごーく疲れた。というか。怖かった。こういうの嫌だ。
世の中は至るところにババだらけ。誰かがババを引かなければならないんだよね。うちが引くところだった。

それと。
新しいインターホンはボタン操作タイプ

「お母さんは新しいインターホンの使い方は大丈夫ですか? 他の部屋のお年寄りは何回説明しても分からなくて。たまたま来ていたお友達は分ったから。その人に任せて帰ってきたけれど。」

お年よりには確かに難しいだろうな。
ピンポンとなると自動的にモニタに外がうつり、相手の声も聞こえるのだけれど、こちらの声は「通話ボタン」を押さないと相手には聞こえない。
今までは受話器さえとれば良かったのだから、ちょっと違う。

通話ボタンを押さず「もしもしもしもし」と話し続けるお年寄りは多いのじゃないかな。


何だろう。
モデルチェインジせず。
同じタイプのものをずっと売り続ける機種ももっと増やしてほしいかな、と思った。


1 2 3 4 5 6 7 >