土曜日の朝、NHK教育でおさるのジョージのアニメがやっている。
おそらくはアメリカの制作。
英語の勉強の為、ときどき見ていたのだけれど。

最近、ふと思った。
字幕を出さないほうが良いのでは?と。

字幕は日本語。
どうしても日本語を読み、理解し、同時進行で英語も理解するという流れになる。脳には負担なのかもしれない。

で、この間から何回か字幕を出さないで視聴したら、ビンゴ!
英語の台詞の理解が格段にアップした。

もっと早く気が付けばよかった。

ひっくり返るまで買い物をする。
(買いまくるみたいな感じ)。

よく使われる表現だそう。
Eテレの超能力ファミリー・サンダーマンとかを見ていたら、上記タイトルの台詞が出てきた。

Is that what I think it is ?
これってつまりこれだよね? ←こんなニュアンスだと思う。

英語の勉強って、最初の頃はこんなふうな簡単な単語の文章をとことんやることに徹したほうがいいんじゃないかな。
単語は簡単だけれど、文法的にはちょっと難しい。でもネィティブだったら日常茶飯事的に、3歳の子供でも使うような文章。そんなような文章を徹底的にやる。やるというのは、話す、聞くということ。

http://www9.nhk.or.jp/kaigai/thundermans/

P.S. この番組のフィービー役の女優さんは魅力的。
先日、近所の中国語サークルに見学に行った。
平均年齢はおそらく70歳代。
学習より半分は遊び。しょっちゅう中国旅行に行っているよう。
これはダメだ。

ただ先生は良かった。
その先生がくれた中国語検定の冊子。
その後ろのほうに様々な広告が載っていたのだけれど、そのひとつが「ネトチャイ」。スカイプを使ったオンライン中国語スクール。

講師が選べる。講師は全てネイティブなようで、中国在住。
ウェブカメラを使わなくてもよくて、スカイプに登録しマイクひとつあればOK。
体験レッスン2回に申し込み、先程1回目のレッスンを受けた。
非常によかった。値段も安いし。これでは昔ながらの語学スクールはもうやっていけないのでは?と思う。

英語のネットスクールも検索したら、EFイングリッシュライフというのがヒットした。講師は全てネィティブ。きめのこまかいレベル設定。
そしてマンツーマンレッスンとグループレッスンがついてくる。

グループレッスンは世界中の生徒が集う。
これはいいかも。生徒が日本人だけだと、どうしても日本人英語を聞くことになるから。

NHKの語学講座のテキストの後ろのほうに、こういったネットスクールの広告は皆無だから、今までその存在にほぼ気が付かなかった。どうしてNHKテキストの広告には載っていないのだろう? 広告料が高いから? それともNHKが載せない?

世の中は動いている。
全てのことは時と共に陳腐化する。

何だろう。
出来る人は、やる気のある人はどんどんどんどん先を行く世の中になっているようだ。

ネトチャイ
https://www.netchai.jp/

English live
https://englishlive.ef.com/ja-jp/

弟のおかげで私は今、節約モード。
どうせならゲームのように、とことん色々削ってみようと思った。

中国語学習の為の電子辞書も何とか買わずに済ます方法はないか、と考えた結果、「あれ? もしかしたらスマホアプリであるのでは?」と思いついた。

検索するとやっぱりあった! 
ラインのものとあともうひとつダウンロードする。

ラインのは中日辞典ではなく、中英なのだけれど。
英語の学習にも役にたつから一石二鳥。

単語の発音だけでなく、例文も全てちゃんと読み上げてくれる。
そしてこの例文の数が膨大。ちょっと手元にないからうろ覚えだけれど、数百単位の例文が出てくる。すごい。
そして漢字の書き順も勿論載っているし。
これが無料。本当にびっくり。

本日のタイトルの、Besides you, I desire nothing on earth.(あなた以外、この世で欲しいものなんかないわ)というのも、このライン辞書の例文のひとつ。
うーん。普通の辞書にこんな例文載っていないよね。

ちなみに中国語では、
除了ニィ、在ジュウグ世界上 我シェンマ都不想要。



私にとっての一番好きな住まいというのは、ナルニア国物語の中のタムナスさんの洞窟かもしれない。小さくて居心地がよくて。シンプルなのだけれど好きな物がいっぱいつまった部屋。
いらない物で溢れた部屋でなく、あくまでもちゃんと使用している物がそれなりに沢山ある部屋かな。でもシンプル。掃除が行き届いている。

暮らしだとかインテリアだとか。お茶の習慣だとか。ユーモアのセンスだとか。私はやはりイギリスが好き。児童文学というのはイギリスのものが多いから。そういうものを読んで育ったから、いつのまにかイギリス贔屓になったのだろうか。



Lucy thought she had never been in a nicer place. It was a little, dry, clean cave of reddish stone with a carpet on the floor and two little chairs ("one for me and one for a friend," said Mr. Tumnus) and a table and a dresser and a mantelpiece over the fire and above that a picture of an old Faun with a grey beard. In one corner there was a door which Lucy thought must lead to Mr. Tumnus’ bedroom, and on one wall was a shelf full of books. Lucy looked at these while he was setting out the tea things. They had titles like The Life and Letters of Silenus or Nymphs and Their Ways or Men, Monks and Gamekeepers; a Study in Popular Legend or Is Man a Myth?

"Now, Daughter of Eve!" said the Faun.

And really it was a wonderful tea. There was a nice brown egg, lightly boiled, for each of them, and then sardines on toast, and then buttered toast, and then toast with honey, and then a sugar-topped cake. And when Lucy was tired of eating the Faun began to talk. He had wonderful tales to tell of life in the forest. He told about the midnight dances and how the Nymphs who lived in the wells and the Dryads who lived in the trees came out to dance with the Fauns; about long hunting parties after the milk-white Stag who could give you wishes if you caught him; about feasting and treasure-seeking with the wild Red Dwarfs in deep mines and caverns far beneath the forest floor; and then about summer when the woods were green and old Silenus on his fat donkey would come to visit them, and sometimes Bacchus himself, and then the streams would run with wine instead of water and the whole forest would give itself up to jollification for weeks on end. "Not that it isn’t always winter now," he added gloomily. Then to cheer himself up he took out from its case on the dresser a strange little flute that looked as if it were made of straw and began to play. And the tune he played made Lucy want to cry and laugh and dance and go to sleep all at the same time. It must have been hours later when she shook herself and said,


https://www.gutenberg.ca/ebooks/lewiscs-thelionthewitchandthewardrobe/lewiscs-thelionthewitchandthewardrobe-00-h.html#chap02
時々働く職場で、大勢の外国人と接している。

まだ来日して数か月ぐらいなのかな。数十ぐらいしかないボキャブラリ、話し始めた幼児の3語文みたいな日本語で喋る人達の中に、時々非常にセンスの良い人達がいる。

おそらく、あと1年もすればペラペラになるのだろうな。

どんなことにもエッセンスがある。
言語学習には言語学習のエッセンス。
その核をしっかりとつかみ、それを膨らます。

今は、まだ小屋のような日本語。
かろうじて家の体裁を保っている。
それに段々と設備をつけて。

こういう人達に接するのは非常に楽しい。
sport  動詞
North Korea’s young first lady has been pictured sporting what appears to be a Christian Dior handbag, in stark contrast to widespread shortages elsewhere in the impoverished nation.


ヤフーアメリカのトップ記事から。

「北朝鮮のファーストレディがディオールみたいなバッグを持って現れた。飢餓に苦しむ貧しい国なのに」みたいな訳だと思うのだけれど、あれ?と思ったのは、sportingという単語。

もちろん運動とかのスポーツじゃなさそうだし、文脈からいって動詞。

で、辞書をひいてみたら、略式として、「・・・を見せびらかす、・・・を上品に着こなす」とありました。

辞書に載るぐらいだから。もといヤフーのトップページにあるぐらいだから、昔から使われている用法なのでしょう。やっぱり言葉というのはきりが無いな、と思う。


the

2012年5月7日 外国語
何気なく読んだGrammar in use に出ていたこと。
the がいる場合といらない場合について。

・子供が(生徒として)学校に行く場合。
Claudia is ten years old. Every day she goes to school. She’s at school now. School begins at 9:00.

・親が(生徒としてでなく)学校を訪ねる場合。
Today Claudia’s mother wants to speak to her daughter’s teacher.So she has gone to the school to see her.She’s at the school now.

これが、prison にも当てはまる。

・囚人が囚人として監獄にいる場合。
Ken’s brother is in prison for robbery.

・囚人でない人が監獄を訪ねる場合。
Ken went to the prison to visit his brother.

うっかりthe を付けないと、囚人になってしまうらしい。
言葉って奥が深い。

A wild sheep chase

2011年10月16日 外国語
まずノートを用意する。

村上春樹の「羊をめぐる冒険」を本棚から取り出す。

順次、英語に訳して、ノートの1ページの左半分に書く。
そして、右半分には、英訳本の該当部分を書き写す。
そして、それぞれの文をつき合わせてチェック。

大体、1日1ページぐらいの割合で、こつこつやっていきたいけれど、続くかしら。

心がけるのはスピード。
翻訳の勉強ではなく、あくまで英会話の練習としてやっているから。

「羊」には会話部分が多いし、日本のものなので、日常生活で使えそうな表現もたくさん出てきそう。

冠詞はいわずもながなのだけれど、私は時制にも問題があることがよくわかる。

「ゴルフボールを呑みこんだヘビみたいにね」
というなんてことのない文を、自分は、
It is like a snake which swollowed a golf ball.
としたのだけれど、訳文は、
Like a snake that has swallowed a golf ball.
だった。
うーん。
swallowed じゃなくhas swallowed なんだ。
言われてみれば、そうだな、って気もするけど、この手の文は、どうしても自分は過去形で喋ってしまうから。
気をつけたいけれど、あまりに気にしすぎても萎縮して喋れなくなるかな、とも思う。

仮定法

2011年9月27日 外国語
toeicのリィーディング対策の本をブックオフで購入し、仕事の合間にやっている。

何でも、toeicは、最近、方式が大きく変更したそうなので、10年も前の古本はあまり良くないのかもしれないけれど、気にしない。参考にはなる。

自分は、リーディングが致命的に遅すぎるので、こういうのをやることは、やはり無意味ではない。受験テクニックの類いを、忌み嫌っていた自分の想いは、馬鹿げたプライドだと思い、気持ちを切り替えようと思う。

問題をいちいち精読しない。
答えさえ分かれば、さっさとマークして、次に行くこと。
穴埋め問題なのに、まるで小説でも味合うがごとく、深くじっくり読もうと思わない。当たり前だけれど、自分はそれが出来ないから。

あと、問題を読む前に、選択肢を先に、ちらりと見ることが良いらしい。
選択肢が、I, my , me , mine, みたいな風だったら、ようするに、そういう問題なので、知らないボキャブラリとかも、まるで気にせず、文章のストラクチャのみに集中して、どれが適当か選ぶことが出来るから。すばやく。

ところで仮定法。

自分は、文法は、ネィティブから、あるいは英文の英会話学習者向けの参考書から、覚えているので、学校英語はよく分からないのだけれど、仮定法の説明として、このtoeic本に書かれていたことと、自分の理解にギャップがあって、ちょっと???状態。

If employees don’t check their email freaqurnyly,they won’t be able to keep abreast of the most current information.

この参考書では、↑ の文を、仮定法と説明しているのだけれど、自分は、「え? 仮定法なの? 単なるif 文なのでは?」という感じだった。

どうやら、仮定法現在というらしいのだけれど、そうなのかなぁ。よく分からない。
自分のイメージの仮定法って、もっとありえない仮定の文で、別にどうってことも無い、もしも何々なら何々でしょう、みたいな文は、単なるif 文と呼んでいたから。

でもね、単なるif文、なんて説明は、ネットを検索しても全然出てこない。

1 If I see him now, I will say hello to him.

2 If I saw him now, I would say hello to him.

日本語に翻訳すると、違いが出ないかもしれないけれど、上記2文の違いは、1 の場合は、単に、彼をここで見たら、挨拶します、といった意味。

けれど、2 の場合は、ちょっと違って、例えば、彼は今、ニューヨークとかにいて、東京にはいない。よって、絶対、今、ここで、彼がここにいるはずなんか無い。そういうシチュエーションで、でもね、仮に彼がここにいたとしたら、挨拶をするよ、みたいに使うのだそう。

これは、昔、ネィティブの講師が説明をしてくれて、得心がいったのを覚えている。

で、私は、1のような文を単なるif文、2を仮定法と覚えたのだけれど、違うのかなぁ。

まあいいや。
けれど、高校レベル、大学入試レベルの英文法って全然分からない。よく皆、あんなんで分かるな、って思う。


8月10日の日記

2011年8月10日 外国語
東横線に乗っていたら、日本人の小学生女子が2人、英語で喋っていた。
手にしていたケイタイのメール文は日本語だし、英語で喋っていても、「熱中症」なんて単語は、英語のボキャブラリにないみたいで日本語。正真正銘の日本人だ。

”...but I don’t know where your house is."

こんな感じの会話だった。

基本単語しか使っていないけれど、非常にナチュラルだし、分りやすいし、スピードがある。

母語はしっかり身に付くのだろうか?などという懸念はあるだろうけれど、やっぱり羨ましい。

夕方から英会話スクール。
講師は、レベルチェックをしてくれた人。
ipadをブース内に持ち込んでいて、会話の間中、私が言ったことをタイプしている、というか正確にいうなら、間違いを訂正し、より良い文に直してくれている。
で、レッスン終了時には、それがすっかり出来上がっていて、それを私のeメールアドレスに送ってくれる。
こんな講師は初めてで、ちょっと感動した。

ただタイプするだけなら誰にでも出来るだろうけれど、訂正しながら、となると、難しいだろうと思う。
しかも相槌を打ちながらだし。

帰宅して、さっそくeメールをチェック。
私が喋っていたことは、ちゃんと真意が伝わっていたので、安心した。
伝わっていないと、全然違うニュアンスで清書されていたりするだろうから。

ここのスクールはマンツーマンだからレベルチェックなんか関係ないのだけれど、一応、一番上のレベルということになった(一番上のレベルの中の下のほう。けれどレベルって幾つあるのだろう)。
でもね。グリーにしろデスパにしろ、ちゃんと聞き取れないのだよ。
数日前ニューヨークからの問い合わせが来た。
directorをダイレクターと発音したりしていて、ちょっと戸惑ったけれど、やっぱりネィティブの英語は分りやすい。有り難い。関係部署につなぐ前にちょっと色々と質問などして、英語の勉強をさせてもらいました。すみません。

当施設のトップの人と話したい、みたいなことを言っていたので、一応、"Do you know him ? " と言ってみたら、ちゃんとこちらの真意が伝わった。

I know him だと、彼と話したことがある、知人である、面識がある、友達だ、みたいな意味で、一方、ただ単に、名前は知っている、テレビで見たことがある、雑誌でその名を聞いたことがある、みたいな意味だと、I know of him というらしい。
この点、日本語はごちゃ混ぜで、区別が無い。

あと、この問い合わせ者は女性だったのだけれど、女の人って洋の東西を問わず、声を作っているから、ちょっと聞き取りにくいかも。男性のほうがニュートラルで分りやすい気がする。

あー。もっと英語のコールが入って欲しい。

4月6日の日記

2010年4月6日 外国語
http://smart.fm/home

↑ ちょっと夢中にやりすぎて疲れた。

4月4日の日記

2010年4月4日 外国語
新聞か何かの記事に、discover(発見する)という単語は、cover(覆い)をdis(除く)ことだ、とあり、そういえばそうだな、と思った。
disclose(暴露する)もclose をdis することだろうし、基本的な単語というのは、皆、こんな感じに繋がって出来ているのだろう、と思う。

甥っ子の入学式ももうすぐ。
「毎日聞くように」とNHKの基礎英語のテキストを渡したけれど、果たして続けてくれるだろうか。

たまに学校英語の参考書などを、ちらちらと眺めることがあるのだけれど、相変わらず 妙ちくりんな説明が多く、驚かされる。
「よくこんなんで学生は理解出来るなぁ」というのが正直な感想。
私は頭も良くないので、こんなのでは理解出来ないし、事実出来ませんでした。

よく英語と日本語は文法構造がまるで違うから、日本人は英語は話せないのも道理、と言う人がいるけれど、その論理でいうと、アメリカ人も日本語が喋れない、という風になる。
けれど、そんなことはないから、それは間違っている。

アニメが好きで、言葉を習い始めて、日本に来たりして、1年も経つと結構会話が成り立つ。

でも日本人は、これだけ英語に囲まれ、欧米の文化が好きで、にもかかわらず喋れない、聞けない、読めない、書けない人が多いのは、学校英語の間違った土台があるから。
この呪縛は非常に強くて、がんじがらめになっている。

「学校英語が出来ると、聞く、話すは不得意だけれど、読む、書くは出来る」というのも違うように思う。
変に難しい単語や文法的な小理屈は知っていても、シンプルな文章や文法が、根本的に理解していなかったりするから。

まずは簡単なこと。
それから難しいこと。
学習の順番はそうでなければいけないのでは、と思う。

英単語記憶法

2009年12月13日 外国語
単語には、
1 良い単語、
2 悪い単語、
3 どちらでもない単語、
がある。

覚える時、その辺りを意識すると、覚えやすいと思う。
1 Live the life style you’ve always dreamed of.
2 Before your child feels like a fish out of water.

米国版ヤフーを眺めることが多い。
ニュースや金融など難しいものはパスして、大抵は、answers(ヤフー知恵袋)や芸能欄、料理、健康など、口語で書かれた平易なものを読む。

1 は、自分のアバターを選び仮想空間で遊ぶオンラインゲームのようなものだろうか、のキャッチコピー。
2 は、子供を危険から守るためのコツが書かれたページのタイトルだったように思う。

What have you said ’yes’ to that you most regret and why?
↑ は、answers(ヤフー知恵袋)から。
シンプルな単語を使ったシンプルな文章。
けれど日本人はこういうのは苦手なんじゃないだろうか。

かつて、難しい単語を使った難しい文章を書くことが”頭がいい”とされた時代があった。
今は、そんなことは無いと思うのだけれど、受験英語の世界では未だにそうなのかな、と思う。
だから日本語で読んでもよく分らないような文章ばかり読解などさせて、上記のようなシンプルな文章には重きを置かない。

What have you said ’yes’ to
あなたは何に対してyes と言ったことがありますか?
that you most regret
一番後悔すること
and why?
そしてそれは何故?

最初の部分は完了形でなければならないし、最後の前置詞のto も不可欠。
regretは現在形でなければならない。

こんな風に単語はシンプルだけれど、学習する上でなかなか興味深い文章だと思う。

先日、英語の授業は原則英語で、という政府の方針が発表されたように、英語に関しては皆、何とかしなけらばという危機意識は持っているよう。
けれど、せっかくのその意識が空回りするのは、よく言われているように、強固な抵抗勢力がいるせいなのだろうか。




今日の朝日の朝刊、14面の「私の視点」に、米国には”求めたいものには注意せよ。本当に手に入るかもしれないから”という箴言がある、と紹介されていて、気になった。

もともとの英語では何ていうのだろう?
上記の日本語でググッても出てこない。

”be careful for what you" で探したら、あっさりヒット。

Be careful for what you wish for, you just might get it.

というのが、オリジナルのイデオムのよう。

確かに、うっかり願ったら皮肉な形で実現した、というのは、向こうの昔話によくあるかもしれない。

Be careful for what you wish for...

英文のポイントは、forが2回出てくる点と、wishを使う点かな・・・
こういう単純な文章を完璧にさらさらと使いこなしたい。

I wish ....

2008年4月10日 外国語
昨日の夕刊に、白熊の子供の写真が載っていて、とてもとても可愛い。
ドイツの動物園発。
少し前にもやっぱり可愛い白熊コグマがいたはずだけれど、こっちはあっという間に巨大化。
いつまでも可愛い白熊コグマがいたらなぁ、とは誰もが考えると思うのだけれど、さて、この”いつまでも可愛い白熊コグマうんぬん”というのは、英語でどういうのだろう?と、いつもの病気でつい考えてしまった。

I wish we could have not-become-big polar bears !

これで通じるとは思うのだけれど。

ただ、色々疑問が。

I wish we could have...と、could を使うのではなく、どっちにしろもうwish の仮定法なのだから、
I wish we had not-become-big polar bears !でいいのかなぁと思ったり。

あるいは、not-become-big polar bears と複数形にするのではなく、a not-become-big polar bear と単数形の方が良いのかなぁ、などとも思う。
この単数か複数か、というのはいくら英文に触れても全然分からない。おそらく一生分からないのかなぁとも思い、ちょっと凹む。

not-become-old polar bears,の、このハイフン2つで繋いだ形容詞もどきというのは英文を読んでいるとしょっちゅう出てきて便利。
学校やあるいはラジオの英会話プログラムでも不思議とあまりというか全然触れられていないのだけれど、でも本当に便利。
いつも適当にくつけて、言葉をcoinしているけれど、大抵通じる。
何故、学校などで教えないのだろう?

あ。
あと、シロクマをwhite bear などと言ってはダメ。
これはまず通じない。

I wish we could have not-become-big polar bears !
こんなシンプルな文でも突っ込みどころがたくさんあって面白い。
総ての英文は5文型に分類される!などという、日本人英語学者もいると思うけれど、もしかしたら5文型どころでなく、たった2種類に分けられるのでは?と、最近思い至った。

ようするにBe動詞の文とDo動詞(こんな言い方はあったけ?)の文。
この2つだけ。
疑問文も仮定法も、過去形も何もかも、ようするにこの2つのアレンジ系に過ぎない。

でも考えてみれば、英語だけでなく日本語だって、ようするに世の中の文はこの2種類だけなのかも。
・私は強い。あなたは優しい。彼らは美しい。こういう文と、
・私は行く。あなたは買う。彼らは喋る。こういう文。

イヌとかネコとかは、こういう文を更にエッセンス化した世界で生きているんだと思う。
快、不快、の世界。

人間は複雑になりすぎて、時に自分自身でさえ、自分の気持ちがよく理解出来ない。
だからたまに、それを上手く言い当てた文章なりに出会うと、あ、と思ったり。

大和証券のCMじゃないけれど、選択肢が増え過ぎると消費者は混乱し買わなくなるのと同じで、コトバでも何でも複雑になり過ぎると、かえって回らなくなると思う。