「名作歌舞伎舞踊」 国立劇場
2017年5月27日 活動午後2時開演。
・正札附根元草硯(しょうふだつきこんげんくさずり)
・流星(りゅうせい)
・雷船頭(かみなりせんどう)
・積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
藤間恵都子という人を観に行った。
先日、NHKに出ていて、立ち居振る舞いがとてもきれいだったから。
一階の花道の近くの席。
息遣いが感じられるほど、役者さんの近くで観れた。
大勢の観客に見つめられているのだろうけれど、役者さんはまったく意に介していないように見える。自分の世界に没頭している。この感じは何だろう。日常生活においても、生きていく上で応用出来るような気がした。
女形が演じる歌舞伎と違って、女の人の役はみな、女の人が演じている。
やっぱり華奢できれい。
玉三郎とか梅澤さんとか、あともう一人当時若手のきれいな男の子とか。近くで観たことがあるけれど、皆さんごつかった。遠目にはきれいなのだけれど。
でも女の人の演じるお姫様は、近くで見てもきれいだった。筋力は相当ありそうだったけど。
国立劇場はいい。
三宅坂にある。名前のとおり坂道のある町。
皇居が近いためか何か空気が違う。
文楽とか声明とかお神楽とか。そういうものもよくやっている。
銀座は、歌舞伎座は。
人が多すぎ。
・正札附根元草硯(しょうふだつきこんげんくさずり)
・流星(りゅうせい)
・雷船頭(かみなりせんどう)
・積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)
藤間恵都子という人を観に行った。
先日、NHKに出ていて、立ち居振る舞いがとてもきれいだったから。
一階の花道の近くの席。
息遣いが感じられるほど、役者さんの近くで観れた。
大勢の観客に見つめられているのだろうけれど、役者さんはまったく意に介していないように見える。自分の世界に没頭している。この感じは何だろう。日常生活においても、生きていく上で応用出来るような気がした。
女形が演じる歌舞伎と違って、女の人の役はみな、女の人が演じている。
やっぱり華奢できれい。
玉三郎とか梅澤さんとか、あともう一人当時若手のきれいな男の子とか。近くで観たことがあるけれど、皆さんごつかった。遠目にはきれいなのだけれど。
でも女の人の演じるお姫様は、近くで見てもきれいだった。筋力は相当ありそうだったけど。
国立劇場はいい。
三宅坂にある。名前のとおり坂道のある町。
皇居が近いためか何か空気が違う。
文楽とか声明とかお神楽とか。そういうものもよくやっている。
銀座は、歌舞伎座は。
人が多すぎ。
祭日だったけれど金曜日で夜間開館をしていて。
空いているのでは?と思い、行ってみました。
予想はあたり、とても快適に観覧出来て満足。
作品ごとの説明プレートに、制作年だけでなくその時の作者の年齢も書いてあったのが興味深かった。もしかしてそんなのはこれが初めてかも。
ほぼ制作年順に並んでいて、まずはじめに16歳の時の作品。上手!
94歳まで生きたそうで80年近く描いたわけで、そのあたりの変遷を見るのも楽しかった。基本的にスタイルに大きな変化はない。でもそれでいて生き生きとした興味、あれも描きたい、これも描きたいみたいな作者の思いがどの絵からも漂っているようで、見ていて楽しかった。
「美しい線」、「澄んだ色彩」、「無駄のない構図」。
美術館の説明書きパネルにはこうあったけれど、まさにそう。
美しいものを見た、そういう感想です。
http://yukihiko2016.jp/
空いているのでは?と思い、行ってみました。
予想はあたり、とても快適に観覧出来て満足。
作品ごとの説明プレートに、制作年だけでなくその時の作者の年齢も書いてあったのが興味深かった。もしかしてそんなのはこれが初めてかも。
ほぼ制作年順に並んでいて、まずはじめに16歳の時の作品。上手!
94歳まで生きたそうで80年近く描いたわけで、そのあたりの変遷を見るのも楽しかった。基本的にスタイルに大きな変化はない。でもそれでいて生き生きとした興味、あれも描きたい、これも描きたいみたいな作者の思いがどの絵からも漂っているようで、見ていて楽しかった。
「美しい線」、「澄んだ色彩」、「無駄のない構図」。
美術館の説明書きパネルにはこうあったけれど、まさにそう。
美しいものを見た、そういう感想です。
http://yukihiko2016.jp/
おんな技と自然のかかわり・東京農業大学博物館
2016年3月2日 活動 コメント (2)世田谷の東京農大のキャンパスの前、馬事公苑正門脇にある博物館。無料。
3月13日までだからギリギリで行ってきた。
http://www.nodai.ac.jp/syokutonou/upload/49098c5e01f2c8a456cbf2df73da24d1.jpg
良かった。
昔の農村の女性が糸をつむぎ、はたを織り、服に仕立てたその手仕事を展示してある。規模は大きくないけれど、こういった分野が大好きな私にとっては本当に良かった。行ってよかった。
これだけ手間暇かけて出来上がった服だもの。少々ぼろになっても捨てきれないのは当然。最後の最後まで使い切る。いいな。大変な生活だったとは思う。農閑期も農繁期も働きづめだったそう。でも満足感はあったと思う。
二階が常設展のよう。
ニワトリのはく製が多数あったのがうれしい。
入口近くにもニワトリ小屋があって、何羽か飼われていた。
私はニワトリ好きなので。
でも昔は博物館なんかなかったかな。
農学課もいつのまにか地方に移転していた。
3月13日までだからギリギリで行ってきた。
http://www.nodai.ac.jp/syokutonou/upload/49098c5e01f2c8a456cbf2df73da24d1.jpg
良かった。
昔の農村の女性が糸をつむぎ、はたを織り、服に仕立てたその手仕事を展示してある。規模は大きくないけれど、こういった分野が大好きな私にとっては本当に良かった。行ってよかった。
これだけ手間暇かけて出来上がった服だもの。少々ぼろになっても捨てきれないのは当然。最後の最後まで使い切る。いいな。大変な生活だったとは思う。農閑期も農繁期も働きづめだったそう。でも満足感はあったと思う。
二階が常設展のよう。
ニワトリのはく製が多数あったのがうれしい。
入口近くにもニワトリ小屋があって、何羽か飼われていた。
私はニワトリ好きなので。
でも昔は博物館なんかなかったかな。
農学課もいつのまにか地方に移転していた。
前日のテレビで紹介されていた為だと思う。母親が急に上野に行きたいと言う。夕方には父親がショートステイから戻ってくるので、正味2時間半ぐらいの滞在時間しかない。
ちょっと迷って日暮里で降りた。駅前に坂があったかなと思ったけれど、そう急ではなかった。循環器が悪い母親は傾斜が苦手。
日暮里駅は3路線が通っている。そして山手線をまたがる跨線橋(こせんきょう)があって、なかなか楽しい眺め。
谷中の墓地を抜けて東京都美術館あたりまでは、ゆっくりそぞろ歩いても25分ぐらいだろうか。上野公園よりははるかに空いていてお薦め。
美術館からは普通に公園内を抜けて上野駅まで歩けば、ちょうど良いお散歩。
京成上野は始発駅なので、座って帰れるのもよい。
このコースだと、上り坂は日暮里駅前に少しあるだけなのもよい。
ただ難点はレストランやカフェなどが少ないということ。
この日は土曜日だったので、どこも満員。行列が出来ていた。
食べ物を持参して外で食べるのもよいかも。
穴場もあるのだけれど。
ちょっと迷って日暮里で降りた。駅前に坂があったかなと思ったけれど、そう急ではなかった。循環器が悪い母親は傾斜が苦手。
日暮里駅は3路線が通っている。そして山手線をまたがる跨線橋(こせんきょう)があって、なかなか楽しい眺め。
谷中の墓地を抜けて東京都美術館あたりまでは、ゆっくりそぞろ歩いても25分ぐらいだろうか。上野公園よりははるかに空いていてお薦め。
美術館からは普通に公園内を抜けて上野駅まで歩けば、ちょうど良いお散歩。
京成上野は始発駅なので、座って帰れるのもよい。
このコースだと、上り坂は日暮里駅前に少しあるだけなのもよい。
ただ難点はレストランやカフェなどが少ないということ。
この日は土曜日だったので、どこも満員。行列が出来ていた。
食べ物を持参して外で食べるのもよいかも。
穴場もあるのだけれど。
昨日はIと水道施設の見学に行く。
リアルで会うのは10年振りぐらいになるかもしれないけれど、ずっとインターネットで長文メールを交わしていたので、ブランクは感じられなかった。
母親がお友達の家で車庫入れに失敗し、クルマをお釈迦状態にしたので(幸い誰にも怪我は無し)、この日は代車で出かけた。
10年振りだというのに、ちょっと気分が落ち込んだけれど、お天気は良かったし、上々の1日だった。
修理費用は、通常なら30万以上かかるかも、とのことだったが、中古の部品を使い、何とか安くあげてもらえる、とのこと。
それでも20万円ぐらいかかるらしい。
運転席側のドアを丸ごと交換。
私は見ていないからよく分らないのだけれど、かなりひどい状態らしい。
どうやら、初めにぶつけた時、あせった母親は、アクセルとブレーキを間違えたらしい。
らしい、というのは、母親曰く、「事故当時の状況をよく覚えていない」。
なんかな・・・。これを機会に、もう運転は辞めて欲しいのだけれど。
(クルマと違い)、ガレージの破損は、保険でカバーできるのだけれど、来年から保険料が上がるのは必須。
だから、簡易修理にして、保険ではなく払うという案もあったのだけれど、先方(母親の友人)はしっかりとした人なので、それはやはり出来ないのでは、ということになり、保険を適用することになった。
毎月14日は、その方のご主人の命日で、母親は何年も前から運転手役を引き受け、お墓への送り迎えをしている。
このあたりも、私はどうも納得がいかないのだけれど、性格が悪いのかな。
他人に借りがあるのは嫌い、プラスせっかちな私は、早々と今日、代車を返しに行った。
帰りは1時間半ぐらいかけて歩いて帰った。クルマ屋さんは「送らなくて大丈夫ですか?」と恐縮していたけれど、お天気も良かったし、良い散歩になった。
途中、不思議な木を発見。
あれ、もしかしたら?、と思い、帰宅後、ネットで調べたら、やっぱりムクロジの木だった。
実は、羽根突きの羽に使われたり、石鹸代わりになったり。
今日は、種(黒い部分)しか拾わなかったから、今度は果皮も取ってこよう。
(銀杏のような実の中の黒い種が、羽根突きの羽に使われます)。
リアルで会うのは10年振りぐらいになるかもしれないけれど、ずっとインターネットで長文メールを交わしていたので、ブランクは感じられなかった。
母親がお友達の家で車庫入れに失敗し、クルマをお釈迦状態にしたので(幸い誰にも怪我は無し)、この日は代車で出かけた。
10年振りだというのに、ちょっと気分が落ち込んだけれど、お天気は良かったし、上々の1日だった。
修理費用は、通常なら30万以上かかるかも、とのことだったが、中古の部品を使い、何とか安くあげてもらえる、とのこと。
それでも20万円ぐらいかかるらしい。
運転席側のドアを丸ごと交換。
私は見ていないからよく分らないのだけれど、かなりひどい状態らしい。
どうやら、初めにぶつけた時、あせった母親は、アクセルとブレーキを間違えたらしい。
らしい、というのは、母親曰く、「事故当時の状況をよく覚えていない」。
なんかな・・・。これを機会に、もう運転は辞めて欲しいのだけれど。
(クルマと違い)、ガレージの破損は、保険でカバーできるのだけれど、来年から保険料が上がるのは必須。
だから、簡易修理にして、保険ではなく払うという案もあったのだけれど、先方(母親の友人)はしっかりとした人なので、それはやはり出来ないのでは、ということになり、保険を適用することになった。
毎月14日は、その方のご主人の命日で、母親は何年も前から運転手役を引き受け、お墓への送り迎えをしている。
このあたりも、私はどうも納得がいかないのだけれど、性格が悪いのかな。
他人に借りがあるのは嫌い、プラスせっかちな私は、早々と今日、代車を返しに行った。
帰りは1時間半ぐらいかけて歩いて帰った。クルマ屋さんは「送らなくて大丈夫ですか?」と恐縮していたけれど、お天気も良かったし、良い散歩になった。
途中、不思議な木を発見。
あれ、もしかしたら?、と思い、帰宅後、ネットで調べたら、やっぱりムクロジの木だった。
実は、羽根突きの羽に使われたり、石鹸代わりになったり。
今日は、種(黒い部分)しか拾わなかったから、今度は果皮も取ってこよう。
(銀杏のような実の中の黒い種が、羽根突きの羽に使われます)。
something evli around us....
2008年4月9日 活動例えば職人がいて、何かをコツコツと作っている。
ひとりで全過程を担当しているから、1ヶ月に1個ぐらいしか作れない。
その品物が欲しいという人はたくさんいて、順番待ちの人が大勢いる。
こういう状況は不便だよね。
で、機械化され様々な工夫もされ、1時間に1個作れるようになった。
当然値段は下がる。薄利多売になる。
けれど、いくら安くても、もともとそれ程壊れる品物では無いし、たくさん必要なものでもないので、安いにもかかわらず売れない。
それでは売り手は困るので、広告をかけ、消費を煽り、更なる値下げに努力もする。あるいは、逆に高級な商品を出してみたりもするかもしれない。
職人さんの待遇は悪くなり、尊厳も無く、もとよりもう”職人”などというものは存在しなくなる。
誕生日に××を贈ろう。
何故××も着替えないの?
特別な人に特別な××。
今年のトレンドは××。
何か変だな、と思う。
世の中、巨大な陰謀がうずまいていると思う。
邪悪で巧妙なたくらみ。
この世界は、消費に消費を重ねないと、回っていかないように出来ているので、彼らは私達にいかに買わせるか、絶えず”攻撃”をしかけている。
医療だの自己啓発だの、本来は良い目的のためのものにも、色々な利権がからみ、お金が動き、そして勝つ人はほんの一握り。
そして、その人達は固定化され、外部の人は中々到達出来ない。
努力すればそこに行ける、と私達は煽られるけれど、けれど、おそらくは煽っている人達の多くだって、被洗脳者なのかもしれない。
本当に分かっている人は、ほんの少ししかいず、それは固定化された真の勝ち組と、あとは、ゲームからイチ抜けた、をした人達。
けれど、さっきも言ったように、この世の中は消費に消費を重ねないと、彼らが潤わないように出来ているので、その勝ち組の人達にとっては、このイチ抜けたの人達というのは、困る存在なのかもしれない。
けれど、こういうイチ抜けの人は増えているような気もする。
↓はどこかからの引用。
デン×ウの戦略十訓
01. もっと使わせろ
02. 捨てさせろ
03. 無駄使いさせろ
04. 季節を忘れさせろ
05. 贈り物をさせろ
06. 組み合わせで買わせろ
07. きっかけを投じろ
08. 流行遅れにさせろ
09. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ
ひとりで全過程を担当しているから、1ヶ月に1個ぐらいしか作れない。
その品物が欲しいという人はたくさんいて、順番待ちの人が大勢いる。
こういう状況は不便だよね。
で、機械化され様々な工夫もされ、1時間に1個作れるようになった。
当然値段は下がる。薄利多売になる。
けれど、いくら安くても、もともとそれ程壊れる品物では無いし、たくさん必要なものでもないので、安いにもかかわらず売れない。
それでは売り手は困るので、広告をかけ、消費を煽り、更なる値下げに努力もする。あるいは、逆に高級な商品を出してみたりもするかもしれない。
職人さんの待遇は悪くなり、尊厳も無く、もとよりもう”職人”などというものは存在しなくなる。
誕生日に××を贈ろう。
何故××も着替えないの?
特別な人に特別な××。
今年のトレンドは××。
何か変だな、と思う。
世の中、巨大な陰謀がうずまいていると思う。
邪悪で巧妙なたくらみ。
この世界は、消費に消費を重ねないと、回っていかないように出来ているので、彼らは私達にいかに買わせるか、絶えず”攻撃”をしかけている。
医療だの自己啓発だの、本来は良い目的のためのものにも、色々な利権がからみ、お金が動き、そして勝つ人はほんの一握り。
そして、その人達は固定化され、外部の人は中々到達出来ない。
努力すればそこに行ける、と私達は煽られるけれど、けれど、おそらくは煽っている人達の多くだって、被洗脳者なのかもしれない。
本当に分かっている人は、ほんの少ししかいず、それは固定化された真の勝ち組と、あとは、ゲームからイチ抜けた、をした人達。
けれど、さっきも言ったように、この世の中は消費に消費を重ねないと、彼らが潤わないように出来ているので、その勝ち組の人達にとっては、このイチ抜けたの人達というのは、困る存在なのかもしれない。
けれど、こういうイチ抜けの人は増えているような気もする。
↓はどこかからの引用。
デン×ウの戦略十訓
01. もっと使わせろ
02. 捨てさせろ
03. 無駄使いさせろ
04. 季節を忘れさせろ
05. 贈り物をさせろ
06. 組み合わせで買わせろ
07. きっかけを投じろ
08. 流行遅れにさせろ
09. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ