今日の日記
2003年8月26日谷崎潤一郎全集を読んでいるのだけれど、巻末の解説の文が素晴らしい。
いわく、
・・・ミューズの神は、これに触れようとするものに祟らずにはいないのだ。かくして、この物語は、時代と所をこえた生命をもつ。・・・
なのだそう。この「祟る」という表現が本当に言いえて妙。
彼が言うように、検閲を逃れるために付け加えられた、「異端者の悲しみ」のラストの数行はまったくの蛇足だと思う。
後に作者自らが削除したのは、まったくの妥当だろう。
この解説者の言うように、芸術のあだ花は千に一つしか開花せず、主人公の青年もその例に洩れないからこそ、「異端者の悲しみ」の普遍性があるのだと思う。
どうせ開花などしないのなら、いっそ最初からそんな感性など全く無いほうが、どんなに幸せだろう。
いわく、
・・・ミューズの神は、これに触れようとするものに祟らずにはいないのだ。かくして、この物語は、時代と所をこえた生命をもつ。・・・
なのだそう。この「祟る」という表現が本当に言いえて妙。
彼が言うように、検閲を逃れるために付け加えられた、「異端者の悲しみ」のラストの数行はまったくの蛇足だと思う。
後に作者自らが削除したのは、まったくの妥当だろう。
この解説者の言うように、芸術のあだ花は千に一つしか開花せず、主人公の青年もその例に洩れないからこそ、「異端者の悲しみ」の普遍性があるのだと思う。
どうせ開花などしないのなら、いっそ最初からそんな感性など全く無いほうが、どんなに幸せだろう。
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