8月10日の日記です

2004年8月12日
昔うちに出入りをしていたIさんが、
「奥さんはどうして先生の昼ごはんを作らないのだろう?」
と言っていたけれど、考えてみれば母親はあの頃からあまり家事をしなかった。

そして今、彼女は本当に殆ど何もしていない。
炊事買い物ゴミ出しは父親が一切やっているし、掃除や雑貨などの買い物、役所などの手続きは私がやっている。
洗濯は基本的には自分のものだけ。
下着類は父親のものも洗っているけれど、ワイシャツなどは洗わないから父親はクリーニングに持っていっているようだ。
で、母親は一日中テレビを見、パソコンをし、新聞を読み、本を読み、植木に水をやり、大正琴を弾き、お経をあげている。
そして、私たちの家事に文句をつける。

ゴミ出しを忘れた!
中国産の野菜を買ってきた!
ごはんが硬い!
また同じオカズを買ってきた!
掃除機のかけかたが大雑把!

私達が反論すると、
「自分はボケないように新聞を読んだりパソコンを習ったりしているのよ! どうしてその努力がわからないの?
こっちがボケたら困るのはあんたちなのよ!」
と言う。

で、何を言いたいのかというと、つまり母親は「お姫様」なのだということ。
貧乏なうちに生まれ、というか、実は橋の下に捨てられていたこともあるという(本当の話しです)孤児でもあるのだけれど、にもかかわらず私や父親とは持って生まれた格が違うのだ。
わがままが許されるし、愛らしいところがあるし、頭の回転も速いし、その気になれば幾らでも他人を魅了できる。

一方父親は、お金持ちのうちに生まれ、教育があり、助教授も経験し、開業もし、難しいことも山のように知っている。
それでいて、鈍くて不器用で世間知らずで暴力体質で、かつ、人からなめられるようなところがあるのだから、何なんだかねって感じだ。

父を溺愛し甘やかしそして強力に保護した祖母ももういないし、父も引退してもう肩書きも何もない。
そんなわけで父と母の力関係は完璧に逆転。
父親は母親の召使のようだ。
それでいて、父親は母親が好きなようで、そして母親は今でも実は別れたいと思っているようで、本当に不思議だ。

過去に何回か彼女は「離婚」を口にしたけれど、それをしなかったのは単に一人で生きていく資格も、戻るべき実家も何もなかったからに過ぎない。

やれやれ。
いい年をして今更親を非難したくはないけれど、私が私になった要因はやっぱり少しは彼らにあるだろう。
少しは親のせいにしたっていいよね、という弱音。

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