3月11日の日記
2005年3月11日先日電車の中に、母校の初等部の男の子を発見。
1年生ぐらいだろうか?
なかなか賢そうな子だった。
うちの学校はただでさえ少人数制で生徒の数が少ない上に、私が今住んでいる所は沿線的に離れているので、なかなか母校の生徒を見かけることはない。
あの学校には何の感慨も無い私だけれど、ちょっと懐かしかったかな。
ただ一つ、あそこで過ごした6年間の中で、今思うと強く印象に残っているのは、中学3年の1年間だろうか。
敷地の外れにあった木造2階建てのオンボロ校舎。
1階に1部屋、2階に1部屋で、私達3年2クラスはそこで1年間、隔離されたように過ごした。
そうまさに隔離状態。
本校舎からは遠く離れ、背後には森があり、その森を抜けると、やはりうちの学校の幼稚園があった。
結局あの校舎は私たちが使った後、壊され、建て替えられたのだから、よけい感慨深いのかも。
今思うと、あそこは本当に変な学校だった。
今でもあんな感じなのかな。
1年生ぐらいだろうか?
なかなか賢そうな子だった。
うちの学校はただでさえ少人数制で生徒の数が少ない上に、私が今住んでいる所は沿線的に離れているので、なかなか母校の生徒を見かけることはない。
あの学校には何の感慨も無い私だけれど、ちょっと懐かしかったかな。
ただ一つ、あそこで過ごした6年間の中で、今思うと強く印象に残っているのは、中学3年の1年間だろうか。
敷地の外れにあった木造2階建てのオンボロ校舎。
1階に1部屋、2階に1部屋で、私達3年2クラスはそこで1年間、隔離されたように過ごした。
そうまさに隔離状態。
本校舎からは遠く離れ、背後には森があり、その森を抜けると、やはりうちの学校の幼稚園があった。
結局あの校舎は私たちが使った後、壊され、建て替えられたのだから、よけい感慨深いのかも。
今思うと、あそこは本当に変な学校だった。
今でもあんな感じなのかな。
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