1月22日の日記

2007年1月22日
1月22日の日記
愛知の本院に行こう!と思ったのだけれど、やっぱり起きられず、赤坂の東京別院へ行った、豊川稲荷。先日のこと。

お天気も良かったし、わらわらとたくさんいるキツネ、じゃない、おキツネ様も皆可愛かったし、やっぱり私、ここの神社、いや、お寺かな、は好きかも。

この間から、明治の初め頃に書かれた文章を色々読んでいるでしょう? 専門家じゃないから、あくまでも”感想”なのだけれど、江戸時代というのは、仏教も神道も、ごちゃごちゃとミキシングされている状態。
神社にも鐘があったり、裏にお地蔵様があったり。宮中の儀式も、かなり江戸時代ナイズされていたみたい。

それが、欧米列強に開国をせまられて、若い人達が怒って、”日本は神国。天皇や神道をないがしろにするからいけない。古式にのっとった神道の儀式を復活しなければ!”みたいな流れになったよう。
中東の国々みたい。原理主義だよね。

だから、明治初期の廃仏毀釈というのも、オオマジメにそういうことを信じている人達がいて、また、そういう人達の勢力が強くて、おこなわれたよう。

神社というと、おっかない、というイメージがあったのだけれど、それは明治以降の神道原理主義的な匂いを、私が感じていたのかも。
豊川稲荷のようなのが、江戸時代の神社なのだろう。
こんなんだったら好き。

自分が育った環境、時代、自分が受けた教育を基準にして、物事を判断するけれど、常識だとか何が正しいのか、は、時代によって、ガラリと違う。

江戸の終わり、といっても、僅か150年程前。
でも、今、私達は全然違う世の中を生きているわけで、何か不思議だな、と思う。

ぐるぐる回る螺旋の階段を昇っているようで、でも、もしかしたら、何処にも向かわず、堂々巡りをしているだけなのかもしれない。にんげんも。

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