3月11日の日記

2008年3月10日
さっき会社から帰ったらテレビがついていて、東京空襲関係のドラマがやっていた。

母親はこの空襲を体験していて、昭和8年生まれだから、当時12歳なのだけれど、信じられないことに、まるで何も覚えていないのだそうだ。
空襲のことだけでなく、小学校時代の思い出というのが、ほとんど皆無だとのこと。

”あまりにショックだったり嫌な思い出はきっと忘れてしまうのよ”と言うが、本当だろうか。
母親は私とは違い、誰からも好かれる性格だから、小学校で嫌なことがあったとも思えない。
大空襲はショックだったとしても、それ以前の小学校生活まですべて忘れるものかなぁ、と思う。

かろうじて小学校の名前は覚えているのだけれど、担任の先生のこと(名前どころか、男か女かも覚えていない)、仲良しのお友達なども誰一人として覚えていないし、当時の住所も言えないし、住んでいた所の間取りも知らないとのこと。

体が弱かったので、ほとんど学校に行かなかったのが原因と言うのだけれど。
学校にも行かず、家のお手伝いもせず、ずっと家に居たらしい。
そのくせ、小説などはたくさん買ってもらっていて、短歌などを作り投稿していたよう。
また、偏食が強く、卵かけご飯、バターかけご飯などしか食べず、当時は高価だったこういう食べ物は、養母が養父に文句を言われつつ、”この子は体が弱いから”ということで、与えられていたとのこと。

父親と違い母親の生い立ち、青春時代は謎。
みなし子だし、子供時代もよく分からないし、結婚前のことも分からない。
どこで働いていたのか。父親と何処で知り合ったのか。
総てが謎。
若い時代のことは言いたくないのかもしれない。
でも、小学校時代の記憶をみな失くしてしまった、というのは、ありえるのかなぁ。

本当の母親というのは実はあの空襲で亡くなっていて、養母は幾つか年下の別の迷子か何かを空襲の後、保護して、母親の代わりに育てたのだろうか、などと思ったり。
とても不思議だ。

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