Tさんに就職が決まったことを報告したら、数日後、お祝いの商品券を送ってきた。

お礼の電話をしたら、その後すぐに、今度は大箱にいっぱい、マスクとナッツ類、ネパールの手すきの紙などを送ってきた。

確かに、マスクが品薄という話しをした覚えがあるけれど、私のうちが無くて困っている、と言ってはいない(と思う)。
有り難いといえば有り難いし、感謝するべきなのだろうが、基本的に不用品の類を送ってくることが多いので、釈然としない思いもある。
就職祝いにしても、新卒なわけでなし、彼女は私の親戚でも何でもないのだから、そんな事をされる理由は無い。

うちの母親はそのあたりは間違えない。
あげる時にあげるべき物をあげるべき人にあげる。

マスクの話しだけれど、数日前、母親の友人が、「入手困難なので、お宅の近所の、××病院の売店なら手に入るかもしれないので、買ってくれないか」、と電話してきたことがあった。実は、うちには大箱が1つある。
私やTさんだったら、すぐにその旨を伝えて、幾つか分けてあげると思う。

けれど、母親はそれをせず、頼まれたとおり、父親を買いにやらせた(結局無かったけれど)だけだった。

曰く、「インフルエンザもまだどうなるか分らない。まずは自分のうちが大事。彼女だって切羽詰っているわけではない」、なのだそうだが、このやり方が正しいのだと思う。
もとより頼みごとの総てに対して、真剣に対応したり、手の内を総て見せるようなことをする必要は無いのだろう。

これは決して「秘密主義」(父親は母親のことをこう呼ぶ)なのではなく、他人との無意味な面倒はさけ、誤解を受けないようにし、良い関係を築く知恵なのだと思う。

母親のこの友人だけれど、結局、テレビでマスクの作り方を紹介されていたのを見て、自分で多数作り、親戚にも送ってあげたのだそうだから、結局、母親のやり方は間違っていなかったのだ。

Tさんは未亡人で、子供もいない。それなりの資産家でもある。
「細々としたものはいらないから、遺産でも残して欲しいのに」と母親に言ったら、「あんたたち(私と父親のことだ)のその発想が理解出来ない」と言われた。
確かに。
私達(私と父親とTさんのことです)は、マイノリティだと思う。

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