すでに記憶は薄れつつあるので、忘れない内に書いておこう、と。

この日は三内丸山遺跡へ。
車で行くと、駅前から15分もかからない近距離。
そりゃあそうかもしれない。
縄文時代の一等地は、現在でも一等地ということなのだろう。
海に近く、山にも近い。
海は内海なので荒れにくいだろうし、今より平均気温が3度ぐらい暖かかったそうだから、暮しやすいロケーションだったみたい。
縄文時代は約1万年続いたそうだけれど、ここ、三内丸山は、その中期に千年ぐらい続いている。

もともと野球場建設の話しが持ち上がっていた場所だから、かなり広い。大規模。
竪穴式住居、高床式の建物、お墓、そして有名な六本の大きな柱からなる高層の建物。そういったものが、そこに点在する(多数、復元されています)。

なあんか本質的には今の私達の生活とあまり変わらなかったのではないかな、って思う。

今は世界もひとつになり、もうこういった生活をしている人達はいないだろうけれど、つい数百年ぐらい前までは、文明の進歩にもむらがあって、鉄や馬を知らない文明もあったりしたわけで、文化人類学者が、フィールドワークを未開の地で行う、というのは、それを通して、私達自身の遠い昔の風習を探そう、としているのですよね、きっと。

ここ、三内丸山では、約1時間に1回、無料の案内ツアーがあるのも良いです。
私は、遅れて途中参加だったので、もう1回、次の回にも参加しましたが、違う案内人で、それぞれ内容に個性があって、面白かった。
私は最初の回の人が気に入ったけれど、こういうのも好みであって、決してその案内人の優劣ではないな、と最近思えるようになりました(もちろんある程度の基礎レベルはクリアしている場合)。

ここの食堂の、縄文おにぎり(いろいろな雑穀が入っている)が美味しかったです。ほかほかと暖かいのも良かった。

あ。ここから八甲田の山々がよく見えた。
すでに積雪があって畏怖を感じた。
東京圏に住んでいると、こういう風景とは無縁なので、心がざわざわと動く。
縄文の人は、ああいった山には登ったのかな。
石器時代は移動生活だから、各地を転々とする上で、必要に迫られて、高山を越えることもあったかもしれないけれど、定住生活が始まってからはどうなのだろう。
かなり広範囲で交易をしていたみたいだから、山も越えたのだろうか。そのほうが近道だろうし。
想像すると楽しい。



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