25日は昼間の仕事の後、4月からの仕事の研修へ。
1時間ばかり先輩達の呼の聴和をした。
閉めるギリギリになって英語のお客様が入呼。
急遽私が代わったが、しどろもどろ。
よく聞こえないし喋れない。というより日本語でさえ理解していないことを喋るのだから当然かもしれない。
「こんなタイミングで入ってくるなんて試しがけかもよ」と、先輩Aの言葉。

私が20年働いた職場でのOBさん達が、ここの職場の関係者には沢山いることが分かった。Aさんもその一人。
けれど、この職自体、斜陽の職種。事実、6月から大きな変更があるみたいで、皆さん戦々恐々としている。
私はそんな話しは聞いていないし。派遣で仕事をしていると、初めの話しと違う、というのはありがちだから、驚かないけれど。

今日の朝日の朝刊の一面。
「集団疎開心が痛む」「周囲に遠慮 少ない参加」というものだった。これは興味を覚えた。

盛岡の温泉旅館へ2~3ヶ月集団疎開するという人達に対して、「”家に戻って掃除する際には、またこの避難所に泊めて下さい”と言われたが、納得出来ない。我々を捨てて出て行って、都合のいいときだけ戻ってくるなんて」との避難所の責任者の言葉。
この避難所から疎開した人はほとんどいなかった、と書かれていた。

皆でがんばるのは良いのだけれど、それを断れない雰囲気、他と違うことが出来ない土壌が日本は強すぎて、私が我慢出来ないのはこういうことなのだと思う。集団で一丸となって一つの目標に突き進む、というのが我慢出来ない、というより許せない。スポーツ観戦時の満場一丸のニッポンコールも鳥肌が立つぐらい(本来の意味)我慢出来ない。外国でやるぶんにはいいけれど、日本のスタジアムでやるべきではない。相手チームに失礼だ。
そして度を超した礼儀正さも気味が悪い。それが出来ない人、しない人を排除する。ああ。これって、免疫が働きすぎの状態にも似ているかな。非常にクリーンな環境で、免疫系統が自己組織も攻撃したり、本来攻撃する必要の無いようなものまで攻撃したり、の状態。
早く通常の状態になってもらわないと私の精神がもたない。

投資の基本は分散投資だけれど、これは何に対してもいえる、と思う。エネルギーは電力とガスに分けておけば、停電しても料理は出来る。暖はとれる。ひとつが駄目になっても他の方法を確保しておき、それにいつでも軽やかにシフトするような感じ。けれどひとつのものに集中したほうが経済的なのだろう。

生物都市(諸星大二郎)を読み直したくなった。

コメント