世界史の授業で習った、とても有名なバビロニアの法律だけれど、「目を傷つけられた場合、相手の目も傷つける、という刑罰」として、認識されていると思う。ようするに、昔の人は残酷だったなぁ、という感じ。
けれど、実際はそうではなくて、昔は、とてもとても血気盛んな人が多かったので、目をやられたならば、とことんやり返したりして、殺し合いになっていた。
だから、「目をやられたならば、目だけをやり返しましょう」みたいな法律だったのだという。なるほど、と思った。
「大器晩成」もオリジナルの意味はちょっと違っていたらしい。
これは出典は確か老子。
もともとは、晩成の晩は、免だったという。
「大器免成」。
免は否定形だから、ようするに、大器は成らない。
大きな器というのは、成形が難しいだろうし、窯に入れた後も、きれいに焼き上がる可能性も低くなる。
だから、才能のある人ほど、なかなか大成しがたい、つまずく可能性も大きい、といったような意味、らしい。
らしい、と言ったのは、他にも解釈がいくつかあるみたいなので。
老子は難しい。
けれど、実際はそうではなくて、昔は、とてもとても血気盛んな人が多かったので、目をやられたならば、とことんやり返したりして、殺し合いになっていた。
だから、「目をやられたならば、目だけをやり返しましょう」みたいな法律だったのだという。なるほど、と思った。
「大器晩成」もオリジナルの意味はちょっと違っていたらしい。
これは出典は確か老子。
もともとは、晩成の晩は、免だったという。
「大器免成」。
免は否定形だから、ようするに、大器は成らない。
大きな器というのは、成形が難しいだろうし、窯に入れた後も、きれいに焼き上がる可能性も低くなる。
だから、才能のある人ほど、なかなか大成しがたい、つまずく可能性も大きい、といったような意味、らしい。
らしい、と言ったのは、他にも解釈がいくつかあるみたいなので。
老子は難しい。
コメント
「目には目を」は、旧約聖書にも書いてあるそうです。
「犯罪と刑罰は釣り合っていなければならない」という考え、
すなわち「罪刑均衡論」、または「応報刑論」の最も古い現れです。
法律に関してはあまり詳しくないので、いつか学んでみたいです。