本日、借りてきた。
作者は関裕二という人。
今まで知らなかったのだけれど、何十冊と本を出しているようで、有名な人らしい。
「聖徳太子は蘇我入鹿である」などというスリリングなものも中にはあって、いわゆるとんでも本の系統なのかな。

日本書紀が作られたのが西暦720年ぐらいだっただろうか。

人間というのは、せいぜい自分の祖父母の代ぐらいまでしか、よく分からないらしい。
まして、そこに自分の家系を正当化しようとする様々な思惑が働くと、確かにずいぶんねつ造されているのだと思う。

だけど不思議。
どうして古墳時代とかに文字が発明されて、歴史書とかが出来なかったのだろう?
あれだけ巨大な古墳を作って、副葬品も入れたのだから、埋葬者の偉業を讃える石碑のひとつも入れてもおかしくないと思うのだけれど。

the power of now じゃないけれど、昔の人は、今にしか興味が無くて、過去や未来は考えなかったのか。
それとも、ヒエダノアレみたいに、暗唱者がたくさんいて、信じられないぐらい長い物語を語れたのか。

グリム兄弟が昔話を収集した時、毎回毎回、一字一句違わず、正確に暗唱出来る人達がたくさんいたのに驚いた、とのことだけれど、昔の人は、今のように、便利な機器が無かったから、様々な能力に長けていたのだろうか。

コメント