病気が治るということ
2017年7月9日 健康 コメント (4)先日若くして亡くなった芸能人のことが何か引っかかっていて、がん関係のサイトを色々見ている。
病院で治すという人々と代替治療的なものをする人と。
前者が圧倒的に大多数だと思うのだけれど、どうなのだろう。
そして前者の中の識者は後者を「インチキ」と言い、警鐘を鳴らしている。
ただ色々なサイトを見ると、確かに治った人もいるようで、それは虚偽ではないと思う。
では何故治ったのかな。
ところで。
先日「梅味噌ドレッシング」を作ったのだけれど、発酵してしまった。
ボコボコぼこぼこ凄い勢い。
天然酵母は今まで何度培養を試みたのに全然成功しなかった。なのにいい加減に瓶に放り込んだ梅味噌が発酵したのにはびっくり。
梅味噌は過去に何回か作っているのだけれど、発酵したことはないんだよね。
天然のものというのは、こんな感じ。
ちょっとした温度、湿度、置き場所の違い、瓶をゆらす回数などでも違うのだろう。
で。
何が言いたいのかというと、免疫力とかで癌を治す人々というのは、ようするに天然酵母培養みたいなことをやっているのだと思う。
成功するかしないかは、ちょっとした勘。動物的な勘。
お風呂に入ったり。睡眠を優先したり。何を食べたり。食べなかったり。
絶食したり。人と会ったり。あるいは会わなかったり。
自分が何をしたいのか。何をすれば病気が治るのかを自身に聞きながら自身で治す。
病院で治す人々というのはそうではない。
お医者さんの言うことをよく聞き、真面目に取り組み、じっと耐える人々。
料理で例えるなら、天然酵母培養とかでなく、砂糖大さじ1杯、小麦粉200グラム、180度のオーブンで30分焼く、みたいな料理。
免疫で治した!とか、自分で治した!とか。
そういう人々は、普段から自分で考え自分で行動出来る人。
ちょっと変わった人。
「そういう人」だから治せたのかな、と思う。
それを「そういう人」でない人が、同じお茶を飲んだとか、同じ温泉に行ってみたとか、そういう表面的なことだけ真似ても効かないのだと思った。
でも分からない。
人は人。自分は自分。
人にはそれぞれ好みがあるのだから、口出しはしないで欲しいと思う。
けれど、「間違っている人々を正してあげるのが使命」と思っている人達もいるわけで。その人達はそれが彼らのネイチャーなわけなので。それを変えることは難しい。
よく分からない。
http://haigan-taiken.com/2016/06/17/profile/
病院で治すという人々と代替治療的なものをする人と。
前者が圧倒的に大多数だと思うのだけれど、どうなのだろう。
そして前者の中の識者は後者を「インチキ」と言い、警鐘を鳴らしている。
ただ色々なサイトを見ると、確かに治った人もいるようで、それは虚偽ではないと思う。
では何故治ったのかな。
ところで。
先日「梅味噌ドレッシング」を作ったのだけれど、発酵してしまった。
ボコボコぼこぼこ凄い勢い。
天然酵母は今まで何度培養を試みたのに全然成功しなかった。なのにいい加減に瓶に放り込んだ梅味噌が発酵したのにはびっくり。
梅味噌は過去に何回か作っているのだけれど、発酵したことはないんだよね。
天然のものというのは、こんな感じ。
ちょっとした温度、湿度、置き場所の違い、瓶をゆらす回数などでも違うのだろう。
で。
何が言いたいのかというと、免疫力とかで癌を治す人々というのは、ようするに天然酵母培養みたいなことをやっているのだと思う。
成功するかしないかは、ちょっとした勘。動物的な勘。
お風呂に入ったり。睡眠を優先したり。何を食べたり。食べなかったり。
絶食したり。人と会ったり。あるいは会わなかったり。
自分が何をしたいのか。何をすれば病気が治るのかを自身に聞きながら自身で治す。
病院で治す人々というのはそうではない。
お医者さんの言うことをよく聞き、真面目に取り組み、じっと耐える人々。
料理で例えるなら、天然酵母培養とかでなく、砂糖大さじ1杯、小麦粉200グラム、180度のオーブンで30分焼く、みたいな料理。
免疫で治した!とか、自分で治した!とか。
そういう人々は、普段から自分で考え自分で行動出来る人。
ちょっと変わった人。
「そういう人」だから治せたのかな、と思う。
それを「そういう人」でない人が、同じお茶を飲んだとか、同じ温泉に行ってみたとか、そういう表面的なことだけ真似ても効かないのだと思った。
でも分からない。
人は人。自分は自分。
人にはそれぞれ好みがあるのだから、口出しはしないで欲しいと思う。
けれど、「間違っている人々を正してあげるのが使命」と思っている人達もいるわけで。その人達はそれが彼らのネイチャーなわけなので。それを変えることは難しい。
よく分からない。
http://haigan-taiken.com/2016/06/17/profile/
コメント
いきなり治療を拒絶して代替医療に行く人は稀だと思います。終末期医療を進められた本人や家族が、まさしくすがるような思いで受診するのが代替医療です。ネットでは代替医療で完治した等と言う事がまことしやかに書かれてますが殆ど宣伝に関係する嘘だと思った方が良いです。代替医療で完治した人に会ったことはありません。きちんとした施設の代替医療で精々半年や一年程度の延命が望めるというところと考えるのが無難です。そもそも代替医療は後のない患者に漬け込むインチキで悪徳なところが多いので要注意です。
某芸能人の方は立派でしたがあのような状態で身体に良い物を食べるなどは無意味で痛々しさを感じました。あれほどの状態では食べ物や水でさえ全てガンの栄養となるので。
おばあさんは、ガンで3度手術をしいてて、4度目の手術をするときに手術したくないと暴れた後にボケてしまいました。
末期がんだったので手術をさせた方がいいか検査をしたら、がん細胞が減っていてお医者さんが手術をしないで様子をみた方がいいということになりました。
その後、検査の度にがん細胞が減っていて、結局手術をしないでいいということになりました。
おばあさんはボケたままでしたが、10年以上たって亡くなった頃にはがん細胞は消えてしまっていました。
不思議な話ですが、ボケて恐怖心がなくなったのが良かったのではということでした。
コメントを有り難うございます☆
>>いきなり治療を拒絶して代替医療に行く人は稀だと思います
→やはり最初から代替医療を選択する人は少数派なのですね。
>>代替医療で完治した人に会ったことはありません
→身近にひとりいます。
代替医療というか自身の免疫力に任せる自然治癒が個人的には好みです。
私は民俗学とか文化人類学的なものが好きなのですが、「圧倒的多数派のその時代の権威・その時代の常識」って、時代が下ると実は違っていた、というパターンが多いように思えます。
「加持祈祷」だとか「ゴマをたく」とかも、先進国である中国から来た最新の治療法だったろうし、戦前の医学では結核患者が吐血した場合、「栄養が失われるのを防ぐため」という理由で吐しゃ血液を飲むのが常識だったそうです(そのためかえって悪くなった)。
わたしはわたし。ひとはひと。
治療方法は自分で選びたいです。
恐怖心がなくなった、ということも大きな要因でしょうね。
病気が治るって、心のありようも深くかかわってきますよね。
3度の手術。辛かったと思います。
手術をする、薬を投与する、病院に行く、検査をする。
経済もかかわってきますよね。
色々なひとが関与します。
わたしはどうもそれが苦手。
”ひとり”がいいのです。”ひとり”で決めたい。
それがでも許されない世の中なのかな。