9時20分頃、施設を出発。
12時30分頃到着。
途中、高速のパーキングエリアで休憩。
外環道を松戸インターから入る。大泉インターまで。
外環道は今現在、松戸が終点。

茄子の料理
チンジャオロウスウ風な料理。
マッシュドかぼちゃの載ったサラダ。
高野豆腐とシイタケの煮もの。
串揚げ(玉ねぎと豚肉)
お寿司(カクジョウギョルイ?のもの)
デザートは綺麗な赤果肉のメロンとわらび餅?
コーヒー。

14時半ぐらいにおいとま。

途中、コンビニで休憩。
エンジンをかけたまま車を数分放置。
はじめ、父親と私がトイレへ。
弟が待ちきれず、まだ私達がコンビニ内へいるのにトイレへ駆け込む。
車に鍵がかかっていて入れず。コンビニ内で弟を待つ。
鍵はかたかっただけ。
かかっていなかった。

「アキヒロが・・・アキヒロが・・・ わたしが・・・わたしが・・・」
呼び捨て。
自分のことは「わたし」。

「A子はひとりでは運転するけれど、一緒の時は運転させない。」

向こうでは配膳などは私が手伝う。

17時30分頃、施設に帰着。

前日にM子ちゃんよりライン。
「あした、お父さんたちが遊びに来ます。椿美ちゃんもよかったら来て下さい。」
私が行くことが伝わっていない。
「あなたは行くかもしれない、と言っておいた。」

車内。冷房がんがん。音楽をかけっぱなし。



アドオンの無効

2017年6月13日 日常
何だかいきなり画面下方に広告が出るようになった。
アドオンの無効とかを試してみたのだけれど、全然消えない。

ところがよくよく見ると、これはどうやらヤフーの広告。
知恵袋とか、ヤフー関連のサイトを見ている時のみ現れる。
アンケートに答えて、そこの画面から無効設定をしたら、やっと消えた。

すっかり無駄な時間を使ってしまい、腹立たしいこと限りない。
無料なんだから仕方がないのかもしれないけど、非常にイライラした。

アドオンを無効にする方法
http://ebid-portal.kumamoto-idc.pref.kumamoto.jp/addon_mukou.html

ずんだ餅

2017年6月12日 料理
ずんだ餅
母親がスーパーで買って来たお惣菜屋の枝豆の残りで、何日か前に作った。
甘味は蜂蜜でつけた。
飾りはパクチーの花。
ずんだの黄緑とパクチーの花の白が可愛いけど、味的にパクチーはやっぱり合わない。
花もやっぱりパクチー味です☆
たんたんめん・昼食
朝食の残りのおみよつけで作った。
顆粒鰹だし、醤油、塩、酢、ラー油、生姜、セロリ、キクラゲ、麩、などを投入。
決めてはピーナッツバター。これで担々麺らしくなります。

仕上げにきざんだトマトとパクチーを載せて出来上がり。

しかし自分でラーメンを作ると分かるのだけと、非常に塩分が入っている。
薄味じゃおいしくない。
スープを飲み干すのは良くないかも。


障がい者をテーマにしたテレビを見ていたら。

発達障害の小学生男子が、教室内の「紙ゴミ」専用のごみ箱に、紙以外のゴミを入れてしまい、そのことで友達と喧嘩になった、というエピソードをやっていた。

その男の子の言い分。
「紙ゴミと書いてあったから、紙とゴミの両方を入れていいと思ったんだ!」とのこと。

なるほどね。
私もそういう傾向があるから、よくわかる。
「紙のゴミ」と書いてあったら、分かりやすかったのにね。

ところで言葉と言うものは不完全だけれど、特に日本語はあいまいな気がする。
主語がないことが多い。
しかも昔と違って、敬語が崩れて来ているから、主語が無くても動詞の丁寧さ加減で主語を推測するということも出来ないし。

あいまいな日本語。
責任の所在がはっきりしないので、これは確信犯的にわざとやっているのかな、と思ったりもする。
白黒つけない文化。

パクチーあるいはコリアンダー
パクチー。

食べ終わったあと茎をプランターにさしておいたら、すくすくと伸びて花が咲き、今は緑色の実がなっています。そのうち茶色になったら乾燥させればコリアンダーになりますね☆ 楽しみ。

画像、ひっくり返ってしまいました(’◇’

おとといの夜。E駅からバスに乗った。

斜め前の2人がけの席に、女性が2人座っている。
30代ぐらいの色白の人と60ぐらいの人。

二人とも髪はひっつめて後ろで無造作にしばり、そして同じく無造作な恰好をしている。
無造作としかいいようがない。清潔な髪。清潔な服。きちんと着てはいるけれど、何だろう。施設の子供が施設のルールに従って、服装を整えている感じ。
この2人は、お互いに喋らない。前を向いて無表情。

母娘? でも喋らないし。
それに何かが変な二人。
服装とかだけでなく。

あ。しばらくして気が付いた。
座席前の金属の手すりに、S字フックをぶら下げている!
それぞれに一つずつ。
そしてそれぞれが花柄のバッグをそれに丁寧にかけている。

S停留所で降りて行ったのだけれど、この停留所は乗車したE駅からわずか2つ目。
うーん。たった2つなのにS字フックをかけるかな。お母さんふうなほうが娘ふうのフックも回収して、丁寧に自分のバッグにしまっていた。
手すりには男性がひとり寄りかかっていて、当然その男性の腰あたりを少し触るような感じで回収していたし。

そして降りるとき、この2人、ものすごいスピードで降りていた。
たたたっって感じ。
降りてからも、たったったった歩いていた。走ってはいない。歩いているのだけれど、猛スピード。
無表情。手は繋いでいないけれど、ピッタリ寄り添って早歩きしている。

なんか妙な人達だった。
S字フックもバス旅行とかなら見かけるのだけれどね。


何か考えさせられた。
おそらくちゃんとちゃんと生きている人達なのだと思う。
そして二人だけで完結している感じ。

でも何かが変だから、職場で、学校で、ご近所づきあいで、色々嫌な目にあったりしていないだろうか。世の中が上手く回っている時はいいのだけれど、カリカリした環境では真っ先にスケープゴートになるというか、攻撃の対象にならないだろうか。


私もちょっと彼女たちふうなところがあるから。
気を付けないと、と思う。
どうすればいいのだろう。
幸せに、快適に暮らすのは。
私はその術を探している。
目立たず、決して悟られず。
でも自分だけの楽園を心に持つようにしたい。
そしてパラダイスを持っているということは、絶対に悟られないようにしなければ。ごくごく一部の人にしか分からない秘密の花園。

6月1日の日記

2017年6月1日 愚痴
先日のこと。

母親が近所のホールへ、無料のコンサートに行きたいと言い、私が車で送っていった。母親は支度に時間がかかり、15分ぐらい遅刻。これはいつものこと。ホール前で降ろし、私は父親の施設へ。

父親の施設では、洗濯物を交換し、Mちゃんの家へ電話をし、Mちゃん及びEちゃんと少し話す。
父親も2人と話す。父親はEちゃんと会いたいと言う。

Eちゃんがこちらへ来るか。父親が向こうへ行くか。
そのことをMちゃんと話す。
しかしながら、Mちゃんの家は東京都下。かなり遠い。
Eちゃんは93歳だし、父親は80代後半。体力的になかなか難しい。

Mちゃんは、父親の施設のロケーションをグーグルで調べてくれていたみたいで、「良いところね! でもちょっと遠い。ラインのテレビ電話で話す、というのはどうかしら。」などと言ってくれる。

私。父親。Mちゃん。Eちゃん。
考えてみれば、この4人は全て血が繋がっている。
そして少し似ている。
非常に話していて楽だ。価値観が似ている。

皆、行動力があって決断が早く、自分の気持ちに正直。
今回の父親とEちゃんのことも、父親はEちゃんに会いたい、そしてEちゃんも父親に会いたい。だから2人を会わせてあげたい。非常に分かりやすい。

お見舞いに行かないわけにいかない、とか、お見舞いに行くのが筋、とか、死ぬ前に会いに行くべき、とか、母親だったら、そんなふうに考えるのだろうけれど。
私達はそうではない。会いたいから会う。それだけ。


父親の施設の帰り、ホールへ母親を迎えに行く。
車は奇跡的に開いていた一番良いスペースにとめる。
ここからだと入口に近いから、母親があまり歩かなくて済む。

コンサートが終わるまで20分ぐらい待つ。
人波の中、母親が出てきたのだけれど、どこかの人の良さそうな、そしてルックスも悪くない60代後半ぐらいの男性の腕につかまって(!)歩いてくる。エスコートしてもらっている。

入口の案内係の人も母親に近寄り、「大丈夫ですか? ご気分は如何ですか?」。

帰りの車の中で母親は上機嫌。

「あの男性は隣に座った人。とっても親切なの。色々面倒をみてくれて。世の中には不親切な人がいるけれど、こっちはそんな人は大嫌い! やはり親切でないと。入口の案内係の女の人もとっても親切。席まで案内してくれたの。ドアから席まで急階段があるの。それを案内してくれたの。やはり人間は親切でないと!」


うーん。急階段だったのは、あなたが遅れて、脇の非常口から入った為だと思う。時間内に入場すればそんなことはない。

それから母親の言う「親切な人」。
これ、最近になってやっと分かってきた。
ようするに母親を特別扱いして、ちやほやとしてくれる人が「親切な人」ということなのだ。
それをしない人を「不親切な人」。

どうしても困っている時に助けを乞うのなら分かるのだけれど、そうではない。
コンサートとか旅行とか。ケーキを買いに行くとか、美容院とか。楽しみの為の外出とか。
そういう所に自分の健康を配慮せず出かけ、具合が悪くなり、色々な人にヘルプを頼む。それが通れば、親切な人!」。通らなければ「不親切な人!」。

ああ。
昔からそうだったのかな。分からない。
歳を取ったから? いや昔からだ。

母親は自身、介護というものをまったく経験していない。
姑は施設に入れてしまったし、自分の母親(養母)の面倒も見ていなかったと思う。そして今は自分の夫を施設に入れて、半年に一回ぐらいしか会いに行かない。「こっちも具合が悪いの!」と言っているのだけれど、でもコンサートには行くんだよね。旅行もしたい。外食もしたい。美容院にも行く。具合が悪くても。でも自分の夫には会いにいかない。

うちの父親の介護状態だけれど、それほど悪くない。
自分で歩ける。自分で食べられる。ぼけてもいない。
脳梗塞の後遺症は少し残ってはいるけれど。
でも、母親はもう父親の顔も見たくないのかな、と思う。

何だろう。

母親はすごい。
父親は跡取りだったのに、その父親を姑の家から切り離し、同居を解消させた。
姑が少しぼけはじめた時も、叔母達は交代で介護をしたのに、母親はしなかった。
姑を父が引き取ることになった時も、わずか3週間ぐらいで病院に入れてしまい、姑(私の祖母)はそこで4年ぐらいいた。
あの頃は、今のような介護施設はないから、病院。そう。精神病院。
6人部屋ぐらい。

長くなるので、ちょっと止める。

私はその姑にそっくり。
何だろう。なんかそろそろ何かをしなければ。
このままではだめだ。


コンサートの帰りは母親の希望で回転ずしへ。

違う。このままではだめだ。
先日、近所の中国語サークルに見学に行った。
平均年齢はおそらく70歳代。
学習より半分は遊び。しょっちゅう中国旅行に行っているよう。
これはダメだ。

ただ先生は良かった。
その先生がくれた中国語検定の冊子。
その後ろのほうに様々な広告が載っていたのだけれど、そのひとつが「ネトチャイ」。スカイプを使ったオンライン中国語スクール。

講師が選べる。講師は全てネイティブなようで、中国在住。
ウェブカメラを使わなくてもよくて、スカイプに登録しマイクひとつあればOK。
体験レッスン2回に申し込み、先程1回目のレッスンを受けた。
非常によかった。値段も安いし。これでは昔ながらの語学スクールはもうやっていけないのでは?と思う。

英語のネットスクールも検索したら、EFイングリッシュライフというのがヒットした。講師は全てネィティブ。きめのこまかいレベル設定。
そしてマンツーマンレッスンとグループレッスンがついてくる。

グループレッスンは世界中の生徒が集う。
これはいいかも。生徒が日本人だけだと、どうしても日本人英語を聞くことになるから。

NHKの語学講座のテキストの後ろのほうに、こういったネットスクールの広告は皆無だから、今までその存在にほぼ気が付かなかった。どうしてNHKテキストの広告には載っていないのだろう? 広告料が高いから? それともNHKが載せない?

世の中は動いている。
全てのことは時と共に陳腐化する。

何だろう。
出来る人は、やる気のある人はどんどんどんどん先を行く世の中になっているようだ。

ネトチャイ
https://www.netchai.jp/

English live
https://englishlive.ef.com/ja-jp/

午後2時開演。
・正札附根元草硯(しょうふだつきこんげんくさずり)
・流星(りゅうせい)
・雷船頭(かみなりせんどう)
・積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)

藤間恵都子という人を観に行った。
先日、NHKに出ていて、立ち居振る舞いがとてもきれいだったから。

一階の花道の近くの席。
息遣いが感じられるほど、役者さんの近くで観れた。
大勢の観客に見つめられているのだろうけれど、役者さんはまったく意に介していないように見える。自分の世界に没頭している。この感じは何だろう。日常生活においても、生きていく上で応用出来るような気がした。

女形が演じる歌舞伎と違って、女の人の役はみな、女の人が演じている。
やっぱり華奢できれい。

玉三郎とか梅澤さんとか、あともう一人当時若手のきれいな男の子とか。近くで観たことがあるけれど、皆さんごつかった。遠目にはきれいなのだけれど。
でも女の人の演じるお姫様は、近くで見てもきれいだった。筋力は相当ありそうだったけど。

国立劇場はいい。
三宅坂にある。名前のとおり坂道のある町。
皇居が近いためか何か空気が違う。
文楽とか声明とかお神楽とか。そういうものもよくやっている。
銀座は、歌舞伎座は。
人が多すぎ。


OBTさん

2017年5月24日 お仕事
職場の先輩?になるのかな。OBTさん。
60代前半ぐらい。結構天然。

2個ずつ個別包装になっているクッキー。
誰かから1包み貰ったそうで、
「とっても美味しいの! サクサクしていて。椿美さんにもおすそ分け。食べてみて!」

え? 袋の口は開いていて、1個を既に食べていて、残りは1個でようするに食べかけ。それも自分で買ったものではなく、誰かから貰ったもの。それに美味しいって感動しているけれど、それ、森永のムーンライト。大昔からスーパーで売っているもの。

その場では食べず、家に持ち帰り母親に見せたら、
「信じられない! 捨ててしまいなさい!」とのこと。
やっぱりそうだよね。うちの母親的にはありえない。

あと、この人は東京在住なのだけれど、通っていた都心の歯医者さんが千葉に移転して。それをわざわざ高速を使って千葉まで通っている。まぁ良い歯医者さんというのは希少だから分からなくもないのだけれど。高速を運転して行くかな。歯科治療って疲れるし。私だったら電車で通うと思う。
しかも、その歯医者さんの先生の名前を知らない。医院の名前は覚えているのだけれど。

実はその歯医者さんは、うちのすぐ近く。ネットで検索してみたら分かった。
「鈴木先生(仮名)っていうんですね! 本当にうちのすぐ近くです!」
といったら、きょとんとした顔をされた。
「フレンド歯科医院(仮名)って名前でいつも呼んでいるから、先生の名前まで知らなかったわ☆」

えー。十年以上も通っているんですよね? これもうちのお母さま的にはありえない。母は、とにかく人の名前をとことんすべて全員覚えるから。覚えない私や父親を異常者扱い。

それから昨日も。
「一度好きになるとね☆ 毎日まいにち同じものを食べるの!」なんて発言していた。

ああ! いいな。うちの母は毎回毎回違うものを食べる。同じものを食べるなんてありえない。単に同じ料理を食べない、というだけでなく、昼に醤油の味付けのものを食べたら、夜は醤油でなく味噌やトマト味、みたいな感じで、調味料まで違ったものにしなければならない。

肉を食べたら次は魚みたいに、肉が連続したり、魚が連続したりというのも許して貰えない。

ああ☆ いいな。OBTさん。いつも無邪気で本当に楽しそう。小さな子供のような人。
こういう人がお母さんだったら、私の人生は変わっていたかも。
でもどうかな。
うっかりミスも多そうな人だから。
それはそれで不満が出てきたのかもしれない。

うちのお母さまは決して間違えないからなぁ。

5月22日の日記

2017年5月22日 日常
チェーン店に行くと、やたらと感じがよい店員さんがいる。もちろん感じがよいのは結構なのだけど、ちょっと度が過ぎる人。向こうが下手に出ると、相対的にこちらが上がるわけで。妙な上下関係が出来て宜しくない。
特にこちらのが悪いのにも関わらず、あまりペコペコと謝らないで欲しい。謝られれば謝られる程、まるでこちらがクレーマーみたいな気分になり、精神状態が悪くなる。

新曲が出るのだろうか。最近メディアに郷ひろみがよく出ている。
NHKのドキュメンタリは、かなり長期間密着取材したもので、見ごたえがあった。
16歳から四十数年、トップアイドルを続けているのは、素直に本当にすごいと思う。
デビュー時からリアルタイムで知っている身としては、感無量。
「女の子みたいね。」男の子女の子でのデビュー時、祖母がこう呟いたのを昨日のことのように覚えている。

男の子女の子の作詞家は岩谷時子。
この時は50代だろうか。
♪ おいであそぼう 一度の人生 大事な時間 ♪
この歌詞は本当に心の底からそう思って書かれたものだと思う。

16歳の郷がそれを歌う。
若い男の子がいったどこまでこの歌詞のことを分かっていたかは疑問。
でもきっとそれでも本能的に分かっていたのだと思う。

料理で大根を一本使い切る、というと変なたとえだけれど、人間も生まれてきたからには、その生を使い切って人生を全うするのが本来の生き方だと思う。

16歳。子供と大人の端境期にデビューし、その青年期間際の一瞬の姿がちゃんと映像に残っている。そして甘い少年から大人の男性に見事に変わり、そして今も現役。

ちゃんと人生を生きているなぁと思う。
男の子女の子の歌が、その将来のプロローグのようで、興味深い。

昔のアイドルって、グループでなく独りが多い。
すごいなぁって改めて思う。
大量生産のマーケティングの産物でなくて、オートクチュール的。
なかなかもうこういうタイプは出ないのかな。

本日の夕食

2017年5月18日 料理
親子どんぶり
なめこと蕪のおみよつけ
ぬかみそ(古漬けの胡瓜と人参、そして生の生姜を全て刻み混ぜたもの)。

明日用にソラマメを茹でる。
蕪の葉も茹でる。
ワラビもベーキングパウダー入りの湯でゆでる。重曹がなかったからベーキングパウダーを使ったのだけれど、よかったのだろうか。

蕪の葉はいくら茹でても柔らかくならない( 一一)
祖母は昔、煮びたしにしていたようなのだけれど、やはり堅いからだったのだろうか。

親子どんぶりは美味しく出来た。
「親子どんぶりを有名店まで食べに行って、行列する人の気が知れない。親子どんぶりなんて、どこで食べても同じでしょうに。」母親の弁。
私もそうだと思うけれど、でもどうなのかな。

親子どんぶりは醤油も砂糖もみりんも大量に使う。
こういう甘い食事は私はあまり好きでない。
母親がいなくなったら食べないだろうな。

モールぎらい

2017年5月17日 日常
多くの人は。イオンとか行って。
良いものがお得な値段で売っていないかな、と探す。
こういう所の品物はどれも小奇麗で、新しくてピカピカ光っている。
そしてそれ程高くない。
だから買ってきて。次から次へと買ってきて。一度買うと歯止めが効かず、まだあるのにどんどん買ってきて。

それにもとより、こういう品物は長期使用に耐えられない。
安っぽい。すぐに飽きがくる。

あれ。

ふと思ったのだけれど、この法則って品物だけでなく全てに当てはまるような気がする。
人間に対しても。

皆自分にふさわしい素晴らしい誰か、伴侶を探している。
きれいで優しくてお金持ちで強くて気が利いていて。自分を満足させてくれる人。ここでない何処かへ連れて行ってくれる人。
そういう人と巡り合わないかな、といつも探している。
まるでショッピングモールでお値打ち品を探しているように。

でもね。どうなのだろう。
本当に良い物はショッピングモールには売っていない。
同様に良い人は探しても見つからない。
第一印象ばかり良い人が最近増えたように思う。
まるでモールで売っている品物のような。


まずは自分自身を好きになること。
自分自身が、自分自身の良き伴侶となること。
それが大切なんだろうな。

ああ。
わたしはやっぱり大衆が嫌いだ。
そしてこの自意識が私の最大の長所でもあり弱点でもあるのだと思う。
どうも私には嫉妬という感情があまりないことに、最近気が付いた。
きれいで賢くて幸せな人が好きだし、そういう人と楽しい話をするのが好きだ。

自分に出来ないことが出来る人がいれば、一所懸命努力して、何とか自分も出来るようになろうと思う。

私はあまり才能には恵まれないので、努力しても報われないことも多いけれど、でもそういった努力は自分の中に何かしら残っていて、それはいつか報われる。Hard work pays off. それがこの年になって実感できるようになった。

でもどうなのだろう。
私は個人的に恵まれているし、私はバブル世代なので、時代的にも恵まれている。そういうことと関係しているのかな。

世の中には嫉妬が溢れている。
そして嫉妬という感情は複雑で、ちょっとしたことがきっかけになるような気もする。健康だということ。自由になる時間がある。そんな些細なことでも嫉妬されるきっかけになる。

ロックオンされない。ターゲットにならない。強くしなやかで幸せだけれど、でもぱっと見で目立たない。分かる人にしか分からない幸せさ、強さ。魅力。
そういうものがある人っていいな、と思う。

ちょっととりとめのない文章でした☆

いつの頃かスーパーで安いトイレットペーパーを買うようになった。
そのうちスーパーには安いトイレットペーパーしか売られていないようになった。
ゴワゴワで茶色っぽい色なのはよいのだけれど、小さくて短くてすぐに無くなる。それがすごく嫌だったのだということに最近気が付いた。

安いものしか売っていないスーパーではなく、別のスーパーに行く。
昔からのブランドの高級なペーパーを買う。
もしかしたら2倍?ぐらいの値段がするかも。
でも大きくて長さも長いペーパー。

やっぱりこのほうがいい。
4月から某公共の施設で電話交換のお仕事を始めた。週2日勤務。
昨年度ヘルプで数回ほどお邪魔した職場。今年度は病気でお辞めになる方がひとり出たので、呼んで頂いた。

30分働き、30分待機(休憩)する。その繰り返しの一日。
お昼休憩の一時間はもちろん無給だけれど、30分の待機は有休。
いちにちがたつのが早い。体力的にも楽。精神的にも楽。
つなぐだけのお仕事なので、つなげばおしまい。書類を作ったりの後処理が無い。残業なんかももちろんまったく無い。

若い人は電話交換なんて知らないと思う。コールセンタとは違う。
お客様に低姿勢に出る必要もない。難しい仕事ではないけれど、広く浅くの知識と勘の良さみたいなものが必要かな。車の運転が苦にならないタイプだったら出来ると思う。けれど斜陽というかそのうち無くなるはず。

気を付けなければならないとしたら、人間関係のみ。
皆さん基本良い人っぽいけれど、なんとなくすこし、やっぱり何かありそうな気配はしてきた。女性の場合、やっぱり人間関係が一番難しい。

沈黙は金。
困った時はとりあえず黙って聞き役に回ろう。

覚書

2017年4月14日 お仕事
先月末で辞めた仕事なのだけれど。
研修は昨年の9月にあった。
その時に妙なメールを大量にくれた男性。
その人からまたメールがあった。
お茶の誘い。

http://33616.diarynote.jp/201609162259391255/

以下ひみつにて。




小林麻耶が坂上忍のインタビュー受けていて。

「病気がだいぶ良くなってきていて、とてもうれしい。
ごはん食べたり外を歩いたり。そういう何気ない日常のことが出来ることがうれしい。どうということもない信号機の美しさなんかにも驚いたり。毎日に”感謝”」と言っていたのだけれど。

大筋理解できるし、そのとおりだと思う。
けど。この”感謝”っていうのはちょっと違うかな。
感謝じゃなくて感動にしたほうがいいかな、と思った。

それに感動とした場合、自分と感動した物(例えば信号機。空の青さ)しか登場しないけれど、感謝となると、その他に神だの親だの友達だの、そういう第三者が出てくる。

神ならまだいくらかマシなような。
日本人の場合、神ではなくて、親だの友達だのだよね。
おかげさまでの世界。

私は感謝しない。

私もたまに或いは時々、他人に親切にするけれど、それは私が親切にしたいから。それに対して見返りは求めない。別に感謝されなくても気にしないし、感謝されればうれしい。

だから私も他人には感謝しない。とてもとてもグッドタイミングで心のこもった何かをしてもらい、その結果、私が心を動かされたら大げさにお礼を言うかもしれないし、また、そういう時に全身全霊でアピールする素直さ、反応の良さは身に付けたいとは思うけれど。おざなりのお礼、感謝、一日に百回ありがとうという練習、みたいなのはしたくない。

世の中皆がエゴイストになれば幸せになるのかも、ね。
自分のやりたいことをやる。
はっきりと言う。伝える。
ときには取っ組み合いの喧嘩。
でもあとに引きずらない。
幼稚園の砂場の喧嘩のような他人との関係。

なかなかそうもいかない。

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