花飾り3点
右上に写っているいるリース状の造花。ダイソーで買ったもの。
これを切り取って、コサージュだのバッグに下げるものだのを作った。

左端のものだけれど、花の下に写っているやはり花びらみたいなものは鯛の骨。
まるでクチナシの花びらみたいな色をしているのだけれど、何だかすぐに劣化、色あせがしそう。

でもそのほうがいいかも。天然のものはうつろう。儚い。そこが良い。




ひとつのことに集中すると同時に、興味のおもむくまま様々なことをやってみる。今に焦点をあてる。目の前のことを一所懸命する。分業体制ではなく、いちから全て知っている。工夫をする。
これが人間の本来の姿(nature)のような気がする。

思うに文明というのは細分化なのかな。
小さな集団で、メンバー各々が全てやっていたのに、それが段々分業体制になる。
狩る人は狩るだけ。解体する人は解体だけ。料理をする人は料理するだけ。
祈る人、癒す人、仲介者。土器を作る人。

そのうち祈る”人”が祈る”人々”になる。土器を作る”人々”になる。
大きな国の中で分業体制が出来て、エキスパートの一族が出てくる。

エキスパートの一族というのは、会社の中の役職のようなものだから。
当然それに付けないヒラの人達もいるわけで。
そういう人達が被支配者になる。

トップがいて。役職のある人達がいて。ヒラがいて。
それで体制として固まって。でもそのうちほころびが出てくる。
下剋上というか。
エントロピーの増大?というか。

何だろう。この先世の中はどういう方向に行くのだろう?
百年。千年。別に関われなくてもいいから。
ただひたすら見ていたいような気がする。

そらさん☆
リンクをありがとうございます。
最近はこちらからは新しい相互リンクをひかえています。
そらさんのブログは時々これからも読ませて頂きますね☆


26日(日)で無事に終了。
1週間ぐらい前から色々な人にご挨拶をした。
TTMさんは親切にもゴディバのチョコをくれた。ありがとう。この人はとても親切だった。そしてちょっと素っ気ない。甘い親切ではなくさっぱり系の親切。

大手の派遣会社。その派遣会社が請け負っているコールセンタでの勤務。
少し特殊な内容で、半公共的な所だったから、ちょっと面白かった。でも難しかった。規律的にはゆるい。アイスクリーム食べながら勤務してたり。

オペレータさんたちは皆優秀だった。私は優秀ではないけれど努力家。私なりにかなり一生懸命やった。

4月の末に飲み会があって。それに出席させてもらう。

何か最近、色々動いている。
人付き合いをしてこなかった私だけれど、周りの人達と接点が出来てきた。連動して動くようになった。

何だろう。うれしくもあるけれど、ちょっと不安。
好事魔多し。
はしゃぎ過ぎないようにしようと思う。
でもせっかくの波に乗りたいかも。
弟のおかげで私は今、節約モード。
どうせならゲームのように、とことん色々削ってみようと思った。

中国語学習の為の電子辞書も何とか買わずに済ます方法はないか、と考えた結果、「あれ? もしかしたらスマホアプリであるのでは?」と思いついた。

検索するとやっぱりあった! 
ラインのものとあともうひとつダウンロードする。

ラインのは中日辞典ではなく、中英なのだけれど。
英語の学習にも役にたつから一石二鳥。

単語の発音だけでなく、例文も全てちゃんと読み上げてくれる。
そしてこの例文の数が膨大。ちょっと手元にないからうろ覚えだけれど、数百単位の例文が出てくる。すごい。
そして漢字の書き順も勿論載っているし。
これが無料。本当にびっくり。

本日のタイトルの、Besides you, I desire nothing on earth.(あなた以外、この世で欲しいものなんかないわ)というのも、このライン辞書の例文のひとつ。
うーん。普通の辞書にこんな例文載っていないよね。

ちなみに中国語では、
除了ニィ、在ジュウグ世界上 我シェンマ都不想要。



3月末で終了

2017年3月19日 お仕事
9月から勤めた某コールセンター。月末の契約満了日で辞めることにした。
SVさん達には伝わっているけど、オペレーターさん達はまだ知らない。
辞める私に親切に教えてくれているのて心苦しい。
いつどのように切り出そう? 内緒にしたまま辞める?
・3月5日夜
・3月6日朝

弟と電話で話す。かなり長時間。1浪中のU君が大学に受かった。その報告に家族でやってくる段取りのため。ところが母親が電話に出ない。話したがらない。
結局弟は私とのみ話した。弟は母親の態度に、そして私にも不満。長年の不満。

「東京の家を売る。お金が入れば父親も母親もそのお金で好きなことが出来て、ふたりとも幸せ。」弟の言葉。

あまりにも唐突。父親と母親と私は、東京の家の家賃収入で主に暮らしをたてている。その家を売ったらどうなる?

「父親も母親も生きているうちにお金を使ったほうが幸せ。死んだらお金は持っていけない。」

そうかな。父親は金銭的には欲しいものはない。母親もお金に変えたらあっという間に無くなるから、売るのはよしたほうがいい、と折に触れ言っている。

そのあたりのことをいうと、
「あなたばかり恩恵に受けている。僕だって恩恵をこうむりたい。」
ああ。やっぱり。これが本音。

だったら最初からそういえばいいのに。
「父親と母親にとってもそれが幸せ」なんて、そういうふうにカタチを整えて切り崩してくる。まるで戦国ドラマか何かの権謀術数。さすが政治家。

それに。私はそれほど恩恵は受けてはいない。確かに東京の家に私の部屋はある。でもあれは管理部屋だし。うちのアパートは自主管理。修繕の手配とか経理とか。そういうのは私がやっている。そして某電話局でも20年働いたんだよね。

そして、(主に母親は)弟には節目節目にそれなりの額の援助もしている。

というか。弟がマンションを購入時。数千万円の援助をしているような。
ような、としたのは、これは父親が弟に与えているらしいから。
父親が自宅を売った時、その代金は弟が管理した。月々父親に送金という形をとったけれど、それが7年弱で無くなった。売った代金のうち幾らかは東京のアパートの建築費のローンを支払ってもらった。だからその残りの話なのだけれど。それでもあまりにはやい。
「マンション購入時には、随分援助してもらったようで。」これは弟のお嫁さん(Aさん)のお母さんの言葉。記憶違いじゃないと思う。確かにこう仰った。


「”椿ちゃんはよくやってくれているから。東京の家は椿ちゃんに全部残しましょう。” Aはこういっているよ。」たしか2年ぐらい前、Aさんはこんなふうに言ってくれていたはず。
弟に言うと、「Aと僕の考えはまた違うから。」

分からない。あのうちは金銭的なことは全部弟が管理しているよう。
そしてこれだけ大きな金額、相続の話なのに、私達にAさんと話させない。
「Aは関係ない。Aには話すな。」
Aさんは色々なことをどこまで知っているのだろう。

私だって、私が全部相続するわけにはいかない、最終的には売って分けるのが一番と思っている。しかしそれはあくまで両親が死んでからの話。
生きている時。そしてまだまだ長生きの可能性がある今の段階では、それはありえない。

「世の中には貧乏なお年寄りもいる。子供に頼らざるえないお年寄りもいる。でもうちはまったくあの子には頼っていない。それを有難いとあの子は思わないのかしら! 私は随分あの子に援助してきたのに!」
これは母親の弁。

「電車に発作的に飛び込もうと思うくらい毎日が大変。」これは弟の弁。
何が大変なのだろう。分からない。でも何かあるのだろう。

そしてU君。
小学校でいじめられ、近所の塾でいじめられ、遠くの塾でいじめられ、進学した私立の中学高校でいじめられ。
そのU君に弟はお金もエネルギーも費やした。そして母親も随分と援助した。

「私がおばあちゃんから貰ったお金の最後のいくばくかをU君の入学時に渡した。大学まで持ち上がりだというから。それなのに持ち上がりの大学に行かない。KOに行くんだ、とか言っている(一時期、KOとか言っていた。)馬鹿じゃないの。どこからKOなんて出てくるのかしら。あんなおぼっちゃま学校で、またいじめられるとは思わないのかしら? どこに行ってもいじめられる。自分の子供にも問題があると思わないのかしら? こっちはなけなしのお金を払ったのに! 大学なんか行かないで働けばいいのに!」

東京の家を売る、ということに関しては、父親にもきいた。
「売ればお金が入り、父親も母親も好きなものが買える、ということだけれど。」

父親は「絶対に売らない! 絶対に売らない! 学費が無いのならU君は働けばいい! 高校を2年(昔は2年?)出ているんだ。大学なんか行かなくていい。行きたいのなら官立?(こういう言い方をした)を受ければよかったんだ!」
とりつくしまもない。

母親は本心は弟が可愛い。でも長年のこともあってへそを曲げているといった感じ。
一方父親のほうは、私もそうなのだけれど、孫が可愛いとか誰かを助けようとか、そういう気持ちはまったく無い人。基本的に自分のことしか考えていない。売りたくないから売らない。それだけ。


結論。
弟には百万円、入学祝いを出した。これは父親の了承を得て父親の指示のもと、私が翌日送金した。「これからも出来る限りの援助をする。だから東京の家を売るのは最終手段。」弟にはこう言った。だからこれから私も頑張らざるえない。

けれどね。弟は一家で父親の施設に面会に行き、その時、
「百万円のことは父親にも了承を得た。」と私には言ったのだけれど。
父親は「知らない。お金が沢山かかるとは聞いたけれど、百万円をこちらが入学祝いとしてあげるという話は知らない。」と言う。

嘘がちらりちらりと混ざる。

「昔はあんな子じゃなかった。こっちは政治家とセールスマンは大嫌い!ずるくなった! 怖くなった!」これは母親の弁。
「こっちはあんたが心配。あんたはひとり。向こうには家族がいる。今に全部だまし取られる! あんたは気が強いようでお人よしだから。」母親。

「うちは中途半端にお金がある。無いなら無い。あるならあるが一番。」母親。

やれやれ。
突発性難聴。治りそうにないかな。ストレスだらけ。


夕食

2017年3月3日 日常
夕食
牡蠣ご飯。
お味噌汁。
豚肉野菜ロールカツ。
カキフライ。
自家製ピクルス(前日つけた)。

牡蠣ご飯。
お湯を沸かす。牡蠣を投入。数分後で引きあげる。大さじ3杯ぐらいの汁をとり、牡蠣にかけておく。
鍋の汁にだしのもと、醤油、塩、酒などを入れる。シメジ、マッシュルームなどを入れる。柚子も入れる。この出汁でご飯をたく。
牡蠣は醤油、みりん、蜂蜜などで甘辛く煮る。
炊き上がったご飯をに牡蠣を混ぜる。


1月5日ぐらいに発症。
起床後耳の違和感を感じた。つまった感じ。くぐもった感じ。
翌日ぐらいにすぐに耳鼻科を受診。10年以上前に「突発性難聴」になったことがあるので。この病気の治療はスピード勝負と言われたので。

今回は右耳の低音部分の聴力が落ちているとのこと。
ステロイドやビタミン剤を処方された。
初診のあと、2回ほど通って、聴力検査で元に戻ったので通院終了。
でも何日かしたらまた違和感復活。
けれど母が医者に行くことを許してくれず、それから仕事で忙しいこともあって、お医者には行かなかった。

2月の後半、また別のお医者に行く。
今度は左耳の低音部が落ちている、とのこと。
ステロイドは出されず、ビタミン剤やゼリー状の薬を出される。

昨日は鍼灸院にいった。
2万5千円ちょっと支払う。
効果はどうなのだろう?

スマホに聴力検査アプリがあるのを見つける。
何回かやる。
右耳の低音部が落ちている。2回目の耳鼻科は左耳の検査時に周りがうるさかったから、数値が下がったのかも。
やっぱり調子が悪いのは左ではなく右。

自分で聴力を計ると、その時によって微妙に数値が違う。
入浴後は悪い。以外。

とにかく音が響く。割れる。耳が詰まった感じ。
非常にストレスフル。

昨日行った鍼灸院。
非常に清潔で、施術師は温かみがある人柄だったけれど、鍼灸院というのは、どうもうさんくさい。怖い。深層意識が「怖い!怖い!」と叫んでいる。
本当は効果があるのかもしれないけれど、こういう状態ではかからないほうが良いのかも。
それに施術料が高すぎるし。今日はちょっと調子がいいのも、針の前にやってもらったマッサージの効果なのかもしれないし。

私はマッサージとか気功のほうがいい。
痛いのは嫌だ。
痛くても、「あ。これはいいかも。」というのは直感で分かるけれど、針にはそれは感じられない。

気功は。
一月の中旬、職場でワダさんという方にやってもらった(この時はのどの痛みに対して)。
効き目があった。


「あんたはね。耳が聞こえなくなったほうがいいのよ! そうすれば少しはこっちの気持ちがわかるから! こっちが随分辛い思いをしているか! 全然分からないんだから! 聞こえなくなればいいのよ! 医者になんか行くな! あんたはすぐに医者に行く!」

これは母親の弁。
しかし彼女は老人性の難聴。音の響きなども無いみたいだし。
それとも彼女の言っていることが正しいのだろうか。
よく分からない。
マフラー
ダイソーで購入した毛糸で編んだ。
はじめ長編みだけで編みすすんだが重たくなったので、二段に一回、穴があくみたいな編みかたを入れた。
房も適当に作った。
料理と同じで何でも簡単なやり方があるということに、さいきん気がついた。

一流の人

2017年2月14日 お仕事
9月から土日に4時間だけ働いているコールセンタで、仲良くなったT・Rさん。

フリーのアナウンサーあるいは司会者のようなものが本業とのこと。
事務所に所属をしていて、お仕事を貰い、海外出張も時々あるらしい。

年齢は私よりも下? もしかしたらそれほど変わらない?
でも雰囲気が女の子。甘くて可愛くて優しい感じ。でも芯はしっかり。

彼女の仕事がうらやましい点は、仕事で一流の人と出会えること。
芸能人、文化人、アスリート。
一流の人というのは、とても意識が高く、話していて触発され、そして周りの人に親切らしい。

私は最近やっと一流の人というのは、やはりそうではない人ととても違うらしいということに気が付いて。そのことを彼女に話すと、
「あたりまえじゃないの!」と一喝されてしまった ^^)

一流の人と30分でもいいから話してみたいな、と思う。
パワースポットではないけれど、そういう人と話すと色々エネルギーがもらえると思う。また、私の中にある何かにスイッチが入るような感覚もあるような気がする。

今の世の中は。みな、薄い人達、薄いもの、薄い概念ばかりのような感じ。
小奇麗でそこそこ回っているけれど、お湯を注ぐと出来上がるスープのような。あるいはケイジの中で餌をついばむニワトリが作る卵のような。

私はそうではない何かが欲しい。
そうではない何かに触れたい。所属したい。

T・RさんとはラインのIDを交換して。
ラインでちょっとメッセージをやり取りしたのだけれど。
「こんどランチでも☆」と何回も言ってくれる。
けれど、華やかな忙しい人だから。
本気にしないほうがいいのかな。ちょっと尻込み。
でもランチできたら楽しいだろうな。

y・yさんと行ってきた。
父方の祖父が出てきた。
家を出て、どこか下町の貧しい家庭でつつましく暮らしている。
中年女性ともう大きなその息子。息子の妻と小さな子供。
そういう家庭に居候のような感じで、一緒に暮らしている。
そういう夢。
私が連れ戻しに行くのだけれど、帰らないという。
何故か祖父の顔は弟にそっくりに見えた。

祖父は亡くなってもう40年。
あ。
今、気が付いた。命日は2月14日。そして今年がちょうど40年。
潜在意識にあったから、夢に出てきたのだろう。

祖父と祖母は恋愛結婚だけれど。
晩年は祖父は祖母に随分いろいろ言われていたように思う。

「昔はあんな女じゃなかった」とこぼしていたそうだが、もっともこれは父親の弁だから、そのとおりに受け止めるのも違うかも。

家を出たいと思っているのは私。
それが祖父と深層意識でリンクした。

あるいは何かもっとスピリチュアルなことも働いている?
まぁそれはいい。
ポイントはこれはようするにメッセージ。

外食

2017年2月8日 愚痴
6日(月)、ペースメーカー外来を受診した。その他にいつもの主治医の診察があった(母の調子が悪いので特別に先生が診てくれた)。

新しいケアマネさんも付き添ってくれた。

その帰り。
外食がしたい母と大戸屋に行った。

その大戸屋で。

・出されたお茶がぬるいと言い、新しい熱いお茶にかえてもらう。
・ご飯がパサパサで不味いと言う。ご飯に少しお湯を足してもらい、電子レンジにかけ、お粥状にしてもらう。
・セイロ蒸し野菜を頼んだのだけれど、通常は7分の蒸し時間とのこと。これでは硬いので、20分間蒸してもらう。
・テーブルには醤油、ソースなどはあったが、お酢は無し。お酢を貰う。小さな器に入れられてもってきてくれた。


これだけのことを店員さんに頼んだのは勿論わたし。
非常にストレスになる。

母は、相手をしてくれた店員さんのひとりを、
「とても感じが良い! 嫌な顔一つしなかった!」と褒めていたけれど、何か違うんじゃないかと思う。
母にとっては自分の要求を叶えてくれる人が「良い人」。
逆らう人は「感じの悪い人」。

昔からこんな人だっただろうか?
単なる老化?
いや。
昔からだ。
年を取って、色々なデコレーションが剥がれて顕在化したのだと思う。

手ごわい。
本当に私は「呪い」にかけられている。

カウンセリングに通うより、占い師や呪い師、加持祈祷に行ったほうが良いのではないだろうか。

救急車で運ばれたのは、この日のわずか一週間前なんだよね。
こちらも偶然見つけたブログよりの引用。

http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-1911.html

中尾英司という人。
うちの母と私の関係に一番近いのでは?と思われるブログを発見。
消えてしまった時の為に引用させて頂きます。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

作者は、yuhka-uno という方です。



母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。

学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。

母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入れに布団が入った状態では点検がやりにくいと考えた。だが、帰ってきた母は、布団を出しっ放しにした状態で消防署の人を部屋に入れたことについて、気に入らなかった様子だった。

 

宅配便が来たとき、私がすぐ行って玄関のドアを開けると、母に怒られた。玄関に出ている靴をきちんと揃えてから出るように、と。だが、宅配業者の配達員が、玄関の靴が散らかっているかどうかを、そんなに気にするだろうか。私が配達員なら、靴を揃えるよりすぐに出てくれるほうが有難いと思うのだが。他所の家の玄関の見た目より、外が暑かったり寒かったり雨だったり、荷物が重かったりするほうが、配達員にとっては重要な問題だと思うのだが。

 

引越し祝に、母方の祖母と伯母が新居に来ることになった。母は相変わらず家の中を完璧に掃除し、いつもより豪華な昼食を作った。昼食の内容は、ニシン丼と、3~4種類ほどおかずがあった。

昼食の用意をする際、私は全員分のご飯を盛ってニシンを載せた。私は、他におかずが沢山あるのだからと、ニシン丼の量をいつもより少なめにした。

母は食べる段階になって、「ニシン丼の量少ないやん。もう、この子自分が食べる量で考えてるんやからー。もっとご飯入れたるわ。少ないやろ?」と言いながら、祖母と伯母のニシン丼に手を伸ばした。祖母と伯母は首を横に降って、「もうこれで十分やで」と言った。実際、二人はニシン丼のおかわりはしなかった。

母は、二人が帰ったあとも、ニシン丼の量について「あんたなぁ、いっつも自分の食べる量で考えるやろ、あれは少ないで」と言っていた。私は、他人の家でご馳走になる場合、最初から多めに盛られて残してしまうより、残さず食べられる量を盛られておかわりをお願いするほうが、心理的負担は少ないんじゃないのかと反論した。

 

お隣さんが「足を悪くして自治会の集会に行くのがしんどいのよね」と行ったところ、母は代わりに『私が』行くことを引き受けた。その話し合いの場に私はおらず、その取り決めの間、私に何の連絡もなし。別に代わりに集会に行くこと自体が嫌なのではない。私の行動を決めるのに、全く私の意思が入っていないことが嫌だった。母は、まるでお隣さんに親切に自分の「モノ」を貸し出しているような感覚なのだろうか、と思った。

ちなみに、そのお隣さんが『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いた、「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」と言った人である。

 

その他にも、母の前で目上の人と話したときは、後から言葉遣いや言った内容について細かく注意されたり、親戚の集まりなどの場で気を配ることなど、様々あるものの、わかりやすい具体例はだいたい上記の通りだ。尚、来客がある時に家を片付ける作業は、私が小さい頃はもちろん母がやっていたが、私が成長するにつれ、その作業の大部分を私がやることになっていった。

母は、家の外の人に対しては親切に振舞ったが、私に対しては親切とは言えなかった。他人の評価目線から身を守るための「鎧」として気を遣っていた母にとって、家の中ではその「鎧」を着る必要はなかったのだ。他人と母とでは、他人が母を評価するという関係だが、母と子供とでは、母が子供を評価するという関係なのだから。

他人に対して気を遣ってしまうと言えば聞こえは良いが、そういう人は、自分がほぼ完全に支配下に置いておける人間に対しては、逆にほとんど気を遣わず、まるで自分に属する「モノ」のように、他人から良く思われるための道具にしてしまうという暗黒面があると思う。

 

母は上記のことを「普通」「常識」「皆こうしている」と言っていた。理想が高い人は、自分は理想が高い人なのだという自覚がない。私もまた、母の理想が普通の人と比べて高いことにはっきりと気がついたのは、成人してからだった。

私は元来マイペースな人間だ。幼稚園の頃、参観日に親が来ると、教室で私の姿だけが見えない。先生に尋ねると、私は別の部屋で一人で絵を描いていた。それくらいマイペースだ。そんな私に、両親(特に母)は「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」という、ものすごく高いハードルを要求した。我が家は、父、母、私、弟二人の五人家族で、こういう家族構成なら、普通は父母が親で私と弟二人が子供という立ち位置になるはずだが、我が家は父母と私が親で、弟二人が子供という立ち位置に近かった。そのため、本来なら親の責任や役割であるべきことまで、私が担わされることもあった。両親が離婚してからは尚更そうなった。

私は、頑張ってもなかなか母の言う「普通」のレベルに到達できなかったので、「私はどんくさい子なんだ」「私は、ものすごく頑張らないと、他人とちゃんと付き合えないんだ」という自己イメージを持つようになった。その一方で、「でも、そこまでする必要ないんじゃないの?」という疑問もうっすらと持っていた。

 

親子関係は人間関係の基礎だ。働くようになると、私は失敗する度、「こんなに失敗して怒られるのは、自分だけなんじゃないのか」「他の人は、きっと私より上手くできるんだろう」と思い込んだ。母に「あんたがそんな態度だと、私が悪く思われてしまう!」という恐怖感から怒られていた私は、上司や先輩に怒られる度、「私があまりにできないので、きっと、すごくイライラさせてしまっているんだろう」と思い込んだ。この頃が私の今までの人生の中で一番の暗黒期だった。

その後、お隣さんの「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という言葉と、カウンセラーの「気を遣う人に接すると、こっちも気を遣うからね」という言葉がきっかけで、母に植え付けられた洗脳を振り解き、新しく自分なりの他人との関わり方を構築し直すようになり、その過程で段々楽になっていった。「母は、他人に嫌われないために気を遣っているのであって、他人に対する思いやりからじゃない」ということに気付いてからは、「もっとテキトーに生きて良い」「母のように完璧にしようと思わなくて良いから、相手にとって居心地が良ければそれで良い」と思えるようになった。例えば、親しい友人が家に来た時などは、「喉乾いたら、冷蔵庫の中の飲み物、勝手に飲んで良いからね」で良いんだよね。

実際、悪くは言われないけれど、相手が気を遣ってしまうような接し方って、相手のためじゃない。本当は、相手に気を遣わせないようにするのが、思いやりってもんなんじゃないだろうか。素直で気さくな人のほうが接しやすいもんね。

 

そういう過程を経て、お客さんが来るときに掃除をするのは、相手にとって居心地良くするためであって、後で「あの人の家、散らかってたわね」と言われないようにするためではない。親業は、子供が自分の人生を歩んでいけるようにするためであって、「良い親」という自己イメージを保つためにするのではない。自分の知性を成長させるには、純粋に問題そのものに向き合い、好奇心や探究心で行動することであって、「頭が良い人」という自己イメージを保つことではない。良い作品を作るのが目的であって、その作品を作っている自分が良く見られることが目的ではない。というふうに考えるようになった。

 

で、「ちちんぷいぷい」の中で、大吉アナが失敗して怒られているのを見て、「ああ、ああいう失敗は誰でもするものなんだな。私だけじゃないんだ」と思えたこと。大吉アナを指導する上司や先輩たちが、本心から大吉アナを受け入れ、彼の成長を願っているのがわかったこと。色々失敗しても、その失敗が経験としてきちんと積み上がって、大吉アナが成長していっていること。これらのことが、番組を見ることによって、自分が自問自答しながら構築した認識や価値観が、客観的な視点から再確認できたことが、私にとっては発見だったので、ブログに取り上げることにしたのである。

 

まぁ、積み上がっていく失敗と積み上がっていかない失敗ってあるよね。私は母に洗脳されている頃、積み上がっていかない失敗ばかりを繰り返していた。母のやり方は、私を成長させる部分が多少はあったかもしれないが、それ以上に私の成長を停滞させることになった。

そりゃ、元来一人で絵を描いているようなマイペースな人間を、「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」に仕立てあげようとするなんて、最初から無理がある。母は私を褒めることはあったが、それは母の望む「良いお姉ちゃん」でいられた時に褒めていたのであって、それは褒めてはいるが私を認めてはいない。誘導するための手段として褒めているだけだ。だから私は、「褒めて育てる」という、一見耳に心地良い子育て法も、危うい面を持っていると思っている。

認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ。だから私は、そっちの自分を自分自身の手で育てていくことにした。

 

フロレスタのネイチャー・ドーナッツ
あまりドーナッツは食べない私だけれど、ここのドーナッツは美味しい。
癖になる味。
油で揚げてあるのだけれど、さっぱりしていて。生地は少し重たい感じ。素朴。
ネーチャーという一番シンプルな商品が好き。

全国展開しているようなのだけれど、それほど数は多くない。
東京にも何店舗かあるが、新宿や銀座などの都心部にはなくて、郊外の商店街みたいな所にある。直営店でなくフランチャイズだからだろうか。

本店は奈良。
私、やっぱり奈良とか京都とか。お店は西のほうのものが好きみたいだ。

http://www.floresta.jp/

ユニクロ

2017年1月25日 買い物
ユニクロ
どこかから拾ってきた画像はピンクだけれど、今年はこの色はなかったよう。
私が買ったのは、チャコールグレー系の格子柄。表面はフリース。裏はボアタイプ。Sサイズ。とても細身。シルエットがきれい。
確か3千円ぐらいだったと思う。
買ってよかった。
東京エリアは暖かいし、室内も電車内も暖房が効いている。
確かにちょっと寒い日もあるけれど、足早に歩けば暖かくなる。厚いコートって必要ないかも。このくらいがちょうどいい。

1週間ぐらい前、売れ残りが千円ちょっとで売っていた。
とても気に入っていたので、思わずもう1つ買いそうになったけれど。でももちろん必要無し。買いませんでした。


私にとっての一番好きな住まいというのは、ナルニア国物語の中のタムナスさんの洞窟かもしれない。小さくて居心地がよくて。シンプルなのだけれど好きな物がいっぱいつまった部屋。
いらない物で溢れた部屋でなく、あくまでもちゃんと使用している物がそれなりに沢山ある部屋かな。でもシンプル。掃除が行き届いている。

暮らしだとかインテリアだとか。お茶の習慣だとか。ユーモアのセンスだとか。私はやはりイギリスが好き。児童文学というのはイギリスのものが多いから。そういうものを読んで育ったから、いつのまにかイギリス贔屓になったのだろうか。



Lucy thought she had never been in a nicer place. It was a little, dry, clean cave of reddish stone with a carpet on the floor and two little chairs ("one for me and one for a friend," said Mr. Tumnus) and a table and a dresser and a mantelpiece over the fire and above that a picture of an old Faun with a grey beard. In one corner there was a door which Lucy thought must lead to Mr. Tumnus’ bedroom, and on one wall was a shelf full of books. Lucy looked at these while he was setting out the tea things. They had titles like The Life and Letters of Silenus or Nymphs and Their Ways or Men, Monks and Gamekeepers; a Study in Popular Legend or Is Man a Myth?

"Now, Daughter of Eve!" said the Faun.

And really it was a wonderful tea. There was a nice brown egg, lightly boiled, for each of them, and then sardines on toast, and then buttered toast, and then toast with honey, and then a sugar-topped cake. And when Lucy was tired of eating the Faun began to talk. He had wonderful tales to tell of life in the forest. He told about the midnight dances and how the Nymphs who lived in the wells and the Dryads who lived in the trees came out to dance with the Fauns; about long hunting parties after the milk-white Stag who could give you wishes if you caught him; about feasting and treasure-seeking with the wild Red Dwarfs in deep mines and caverns far beneath the forest floor; and then about summer when the woods were green and old Silenus on his fat donkey would come to visit them, and sometimes Bacchus himself, and then the streams would run with wine instead of water and the whole forest would give itself up to jollification for weeks on end. "Not that it isn’t always winter now," he added gloomily. Then to cheer himself up he took out from its case on the dresser a strange little flute that looked as if it were made of straw and began to play. And the tune he played made Lucy want to cry and laugh and dance and go to sleep all at the same time. It must have been hours later when she shook herself and said,


https://www.gutenberg.ca/ebooks/lewiscs-thelionthewitchandthewardrobe/lewiscs-thelionthewitchandthewardrobe-00-h.html#chap02
人間のやっていること、考えていることは今も昔も大昔も同じ。と、最近悟るようになった。
しまった的な買い物をして。返品を考えるのは昔の人も同じなのではないだろうか。おそらくは縄文時代だってそう。

縄文時代にお金はない。でもね。お金はなくてもお金的なものはあったと思う。黒曜石のナイフだったり。非常によく出来た石斧だったり。
そんな中で縄文時代、一番高価で大きな買い物は何かというと、それは「お嫁さん」なんじゃないかな、とふと思った。このあいだ。

仲人さんの話では、とってもよさげな娘さんのようだし、お見合いみたいな席でもニコニコと感じよさそう。丈夫そう。働き者みたい。
でもね。実際嫁いできてしばらくしたら、「あれ?このお嫁さん、うちには合わない!」的なケースも多々あったのかな、と思う。今と同じで。

そういう場合のクーリングオフ。
お試し期間、返品可能期間みたいな制度が絶対にあったはず。
お嫁さんのほうの側でも、このクーリングオフ期間内で戻された場合は、経歴に傷はつかない、みたいな感じで。

時代は下がるけれど、古事記の中で、黄泉の国に行ってしまったイザナミをイザナギが追いかけて行って。でもイザナミはイザナギに向かって、
「私はもう黄泉の国の竈で調理された食べ物を食べてしまったので、いっしょに戻れない」みたいなことを言う。

そう。こんな感じ。向こうの竈で調理された食事を食べない限りはクーリングオフオッケーみたいなものとか。
何日も食べないわけにはいかないので、最初の一か月ぐらいは里から付き添いが10人ぐらい来て、その人達が調理をして、お嫁さんはその人たちと食べたとか。

アイヌのチセ?じゃないけれど、この頃の家というのは簡単な作りになっていると思うので、こういうことも出来たかも。

縄文時代、どういう暮らしを人々はしていたのだろう?
タイムマシンがあったら、まず最初に見てみたい。

1月18日の日記

2017年1月18日 愚痴
6:00頃 起床。
お湯を沸かしたり。洗濯機を回したり。仏壇に茶をあげたり。

駅に行き、広報を取ってくる。
近所の空き家、駐車場など回るが、夏みかんは収穫なし。
てっぺんのほうへ、2つ3つ残っているだけ。

8:45頃。家に戻る。

母親の談。

「いったいどこへ行っていたの! 洗濯機に洗いあがったのを放ったまま!  お味噌汁は食べないの! あんたの欠点はね! 作っても自分で食べないの! 料理人はね! 自分で食べて味見しないといけないの! あんたは食べない!食べない! だからダメなの! イクラの醤油漬けだって、自分で作って何故食べないの! それからおでん! 市販のセットなんか買ってきて! こっちはね。はんぺんならはんぺん。つみれならつみれ。一個一個ちゃんと吟味して買ってきて、スープも自分で作るの! 付いてきたインスタントの汁なんて! 添加物だらけ! 今の子供たちは添加物だらけでどうなるのかしら! 回転ずしなんて!あんな物ばかり食べて! 回転ずしなんか良くない! 焼肉が食べたい! 肉が食べたい! 焼肉には一人で行けないから! この辺には良い店がないから ! しゃぶしゃぶが食べたい! ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ!」

「鶏肉はトマトスープにしてちょうだい!!」

トマトスープを煮ていると。

「スープでなくもっと水分が少ないのにしてちょうだい! スープでお腹がいっぱいになるから! 野菜がとれなくなるから!」

女心と秋の空ではないけれど、くるくるくると気持ちが変わる。
そして、最近は短期記憶容量が無くなっていて、言ったことを忘れるみたいだ。


「今日はショッピングモールに行くから! ずっと家にいるから! 歩けなくなるから! 歩かなきゃ歩かなきゃ歩かなきゃ!!! お昼はいらない!」

医者には歩かないように言われている。
そして、10:45現在。
まだ化粧もせず。日向で広報を読んでいる。
出かけるとしてもおそらく15時過ぎ。
さっさと出ればいいのに。





1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 >