うー

2003年4月28日
会社に一人、頓珍漢な上司がいる。
ギリギリの状態で仕事をしているのに、使えない人が一人いると非常にやりづらい。
おまけに彼女は、今月はおそらく目標値をクリアできない。
こういう人が「指導」をしているのだから、そしてなめられないように虚勢をはっているのだから、やってられない
アマゾンのUsed bookコーナーに出品。
画期的なシステムだと思う。
基本的には個人間でやりとりをし、アマゾンが仲介に入る。
買いたい本を検索すると、新品の他にちゃんと中古の情報も出るというところも素晴らしい。
大げさに言えば、世界中のありとあらゆる事も、こんな風にすれば無駄が省けられるかもしれない。
これからは、消費を拡大して世の中を活気づけるのではなくて、少ないエネルギーで効率的な生活をすることが大事なのではないかと思う。

昨日久しぶりにHのおじさんから電話。
何か喋り方が暗かった。
夕御飯にレトルトのカレーを食べたとか言っていた。
奥さんはどうしているのだろう?。
数年前に両親が離婚して、父親と幼い弟と暮らしている中学生の女の子。
父親に恋人が出来て、再婚したいと言い出す。
最初、彼女は反対していたのだけれど、結局父親とその再婚相手の熱意に心を開く・・・、
そんな感じでNHK朝の連続テレビ小説が進んでいる。
母親が観ているのを脇から眺めているから、詳しい筋は分からないのだけれど、だいたいこんな風なストーリーだと思う。

時々世の中の人たちの物分りの良さに愕然となる。
私だったら、こんな状況はとても我慢できない。
「父親」であるべき存在が、どっかの誰かの「恋人」になって、そして、皆一緒に新しい家庭を築く、なんて言うのは、おぞましいこと以外の何ものでもないと思う。
わぁわぁ叫んで、未来永劫許さないのでは?と思う。

だけど、みんな本当は傷ついているのだと思う。
大人だから、物分りの良いふりをして、納得したふりをする。
でも、心の奥底にわだかまりが出来る。
そして、それがある日、耐えられなくなって表面に出る。

生きていたって、良いことなんか何もない。
髪を切った。
やはり美容室に行くのは疲れる。
美容師さんとのコミュニケーションだけでなく、シャンプーにしろブローにしろ、肉体的にも負担だ。
おまけに肩先まで切ったら、髪の先端がクビに当たって痛い。
ナイーブすぎる自分がほとほと嫌になる。
デパスを極限まで減量しているのだけれど、また少し増やしたほうがいいのだろうか?

あーあ

2003年4月22日
先日話した例のカルチャーセンターでは、実はもう1講座申し込んでいた。
今日は、そのもう1講座の初日。

今度の講師もひどかった。
1時間半の講義のうち、1時間5分を雑談に費やした。
それも、山本五十六だのシンガポール陥落だの60年安保だの共産主義だのマルクスだの、そんな話しばかり。
思い余った生徒の一人が、授業を始めてくださいと頼むと、
「今、アメリカ及びアメリカ英語の重要性について話している。こういうカルチャーのクラスと違って、若い人たちの本当のクラスはもっと柔軟で、彼らはアメリカ英語の重要性を良く理解している。」とヌカシた。
そして、その後も延々と「雑談」を続けた。

際限のない話がやっと終わり、出欠を取ったのだが、これも5分かかった。
そして授業が始まったのだが、ほとんどテープを聴いただけ。
彼自身の「講義」は、むにゃむにゃと10分程あっただけだった。
推定年齢80ぐらいとみえる爺い。

2、3日冷却期間を置いてから苦情を言おうかと思ったのだけれど、会社に着いた後、にわかに怒りがフツフツと湧いてきて電話。
ワーワーと文句を言いまくって、講座を総てキャンセルし、お金も払わない!と宣言した。
向こう側は拍子抜けがするほど、素直に了承した。
おそらく苦情が多いんだと思う。
だったら、申し込み前の見学は無し、だとか、授業がスタート後のキャンセルは受付けない、だとか、そんな事はパンフレットに書かないことだ。
とにかく疲れた。
苦情を言うのも、精神力、体力がいる。
自己嫌悪も酷いし。

粉好きな私

2003年4月21日
昨晩、夜遅くおやきを作る。
インターネットでざっと作り方をおぼえて、あとはいい加減に作った。
もともとは、信州の農家の食べ物だから、いい加減で良いのだと思う。
小麦粉とそば粉と賞味期限切れの全粒粉に、塩と油と熱湯を加えよく混ぜる。
しばらく寝かせて、中に茄子の味噌いためを詰めて、蒸かしたのち焼いた。

結構よく出来た。
売っているものとは違って、食感が重たい感じが私好み。
私は何でも、固くて噛みごたえがあって、薄味で素朴なものが好きだ。
よって、デパ地下に売っているような食べ物は、どんな有名店の高級なものでも基本的に口に合わない。
手作りとか無添加が好き。
そのくせ、もちろんたまには、市販品も好む。
難しい人間だ。

それにしても、インターネットは本当に便利。
本屋や図書館で料理本を探すのと違って、何千というレシピが瞬時に手に入る。
個人が、一人一人が、データベースとなって、情報を共有し世界がつながっている。
世界は変わるはずだ。

不純な動機

2003年4月20日
某クレジット会社でパート電話オペレータを募集中。
土日だけでもオッケイとのことなので、応募してみようかと思う。
採用されるかされないかで、自分の好感度を測るというか、私もまだ他人からみて「大丈夫」かどうか知りたいというか、ようするに不純な動機だ。
とても暑い。
日傘を持って出勤。
ところが退社時は、雨が降っているとの事で、置き傘を持って出る。
結局雨は降っていなかったのだけれど、日傘と雨傘と両方を持って家に帰るはめになる。
テニスへ行く。
今日のコーチは何かというと、連帯責任の「罰ゲーム」をやらせる人だった。
私達に色々と課題を出し、それが出来ないと罰ゲームを課す。
もちろん楽しいレッスンの一部としてやっているわけだし、事実、生徒達も皆きゃぁきゃぁと楽しんでいるわけなのだから、それでいいのだろうけれど、私は全然楽しくなんかなかった。
それでも、表面上はニコニコと嬉しがっているフリをしなければならないわけだから、メンタル的にまいるのも当然かもしれない。

私はどういうわけだか「連帯責任」だとか「罰」だとか、そういう事に激しく反応する。
私が小さい頃は、まだまだ教師が暴君のように威張っていて、それこそ「歯を食いしばって立て!」みたいな感じで体罰を加えたり、人権もなにもあったもんじゃない的な罰を科せられたりしたものだから、そういうものも関係しているのかもしれない。
そして子供の頃のことなんか、私にしてみれば遠い昔のことだから、殆ど前世からのカルマみたいに思えるのかも。

だけど、皆、偉いなぁって思う。
テニススクールとかでも、コーチは皆を盛り上げ、皆もコーチを盛り立てる。
わきわきあいあいで、楽しい時間を持とうとお互い努力をする。
一方、私はといえば、誰にでも出来るはずのこういうことが出来ない。
集団で楽しむことが全然苦手だ。
ユーモアのセンスは皆無だし、おまけに「罰ゲーム」ごときでこんなに過剰反応をおこしたりする。

私は小さい頃から成績も良かったし、家も恵まれていたし、容姿もわりと良いほうだったから、子供の頃は本当に自惚れた嫌な子だったと思う。
そして、回りの子供は皆、愚鈍なブスばかりだと思っていた。
小市民的で慎重で、努力の末に克服するような子達を馬鹿にしていた。

だけどね。
私が行き当たりばったり的に世の中を歩いてきて、失敗してはすぐ次の職場なり人間関係なりに鞍替えしてきたのに比べて、彼らは着実に一歩一歩ステップアップして、人間関係を築き、スキルを磨き、人生を楽しく円満に生きている。
私みたいに過去を嫌な思いで振り返ったりしないだろう。
そして、年齢と共に円熟していく。

私はどんどん腐っていく。
吉高の桜を観に行くけれど、少し遅かった。
満開は2日程前だったそう。
染井吉野ではないので、満開を過ぎるとあっという間に葉が出てくる、とのこと。
そして、葉は緑ではなく赤紫っぽいので、桜のパッとみの印象はあまり良くなかった。
残念。

その後、佐倉城址公園に寄る。
小川のせせらぎを自然のままに再現した所があるのだけれど、セリ?みたいなものだとか、あとクレソンが生えていた。
セリは全然匂わなかったので、もしかしたらよく似た毒ゼリかもしれないけれど、クレソンのほうは、御馴染みの刺激臭がプンプン。
美味しそうだった。
あと黒っぽい5センチぐらいの長さの巻貝もたくさんいた。
母親いわく、蛍の幼虫のエサかもしれないとのこと。
本当だとしたら、夏にはこのへんは蛍で綺麗だろう。
早稲田大学のカルチャーセンターのようなところへ、講義を受けに行く。
今日が初日。
何から何までがっかり。
某大学の教授だとかいう講師には、ひと目見ただけで生理的嫌悪感をおぼえた。
ニュースステーションで昔、銀行員から抜擢されて、後干されたおじさんに外見も性格も似ている。
朴訥なように見えて、単にセンスが無いだけのずうずうしい爺いだ。
喋っている内容も中身が無く、講義というより酒場で自分のことを思いつくまま喋っているだけみたいな感じだ。
こっちがお金を貰いたいぐらい。
あーあ。
がっかり。

基本的にカルチャーセンターというのは、ダメだ。
外部から講師を呼んでいるので、学校側は講師にも生徒にも両方に気を使っている。
そして、どちらかというと、生徒より講師側により気配りをしていると思う。
生徒は大勢いるけれど、講師は少ないし、皆、有名な人たちだしね。
その点、普通の小規模の学校というのは、教師を雇い入れているので、教師に対してもビシビシ指導をして、生徒にもアンケートとかをして、教え方の下手な人気の無い教師はどんどん切り捨てるので、良い教師が揃っているのだと思う。

この事に気がついて、かなり前に、「カルチャーセンターなんて、もう行くまい!」と、堅く心に誓ったはずなのだけれど、10年たって忘れたみたいだ。
やれやれ。
ものの本によると、世の中には、良い癌と悪い癌の2種類があるそうだ。
良い癌は放っておいても治るし、悪い癌は何をやっても治らない。
よく、「私は早期発見で手術をして治った」とかいうのは、ようするに「良い癌」だったわけで、つまりは放っておいても治る癌だった、ということだそうだ。

この説は、本当かどうかはわからない。
でも私はそうだと思う。
世の中、医者が病気を治す(他動詞)のではなく、病気が自然に治る(自動詞)なのだと思う。
上司に思い余って労働条件のことを直訴しに行ったのだけれど、なんか上手く丸め込まれてしまったような感がある。
私は気が強いようで言葉が足りないし、言うべきことが上手に説明出来ない。
もちろん、頭の回転だって悪い。

で、結局何だか不完全燃焼。
最初は私が意気込んで口火を切った話し合いも、気がついてみれば、彼女の話を「拝聴」するような形になってしまった。
とても不甲斐ない。

でも、今回のこの件に関しては、ぜったい私のほうが正しいはずだ。
毎日、始業5分前に朝礼が始まる。
それに対して、給料は支払われない。
彼女が言うには、
「どんな会社でも早く来てお掃除をしたり、お花の水を取り替えたりするでしょう?
ここの職場はそういうことが無い代わり、5分前の朝礼があるのよ。
仕事の前に、大事な話し合いをする。それは当然でしょう?」
とのことだった。
もちろん、5分前の朝礼を受けることは、やぶさかでは無い。
でも、問題は、それに対して給料が支払われないということなのだ。
そして私たちは、3時間とか4時間勤務のパートで、原節子とかの時代の終身雇用の社員ではないのだ。


決して労働者の味方とはいえない労働基準監督署とかの人たちだって、「それはおかしい」と言っていた。
ただ、それを是正するには、まず自分達で会社と話し合うこと、それでもダメだったら、労基側から対処してくれるとのことだった。
ただし、匿名はダメ。ちゃんと自分の名前を出して、労基に申しでなければならない。
おいおい。
それが出来ないから困ってるんでしょ。
銀座のくまざわ書店がもうじき閉店するらしい。
昨日、ネムキを買いに行ったら、レジの張り紙に書いてあった。
銀座でマンガを売っている本屋って、確かここだけだったはず。
困った。

だけど、これがそろそろ少女漫画を止めるきっかけになるかもしれない。
私の世代は少女漫画全盛期に育ったので、今だ未練のようなものがあるのだけれど、いくら歳を取って、金銭的に負担にならないからといって、読んでいても全然面白くないものを買ってもしょうがないものね。

ノビル採取

2003年4月12日
近所を散歩。

川沿いに桜が綺麗に咲いているけれど、ゴミがたくさん落ちている。
ザリガニをとっている男の子達がいたけれど、水は油で汚れていた。
歩道があるような道路は殆ど無く、歩いている私の横をトラックがスレスレに通り過ぎる。
田舎というのは基本的に車社会で、歩く人の為には出来ていない。
工場がたくさんあるのだから、トラックがたくさん通るのも道理か。
当然、空気だって汚れているはず。
東京のほうが遥かに環境がいいような気もする。

ノビルを採取して、夕食に食べる。
中国産野菜よりもしかして危ないかもしれないけれど、まあたまに食べる分にはかまわないだろう。

war is over

2003年4月11日
メアリアンから英語を5年近く習って、知らず知らずのうち、彼女とそして「米国」に感化を受けたような気がする。
好き嫌いはともかく、やっぱりアメリカって凄いと思う。
アメリカ人が中東とかの国々を、野蛮で前近代的で人権の抑圧されたどうしようも無い国、と思うのも理解できる。
そして、そういう国々を解放することは、単に自分達の利益だけではなく、純粋に正義感的な思いもあることはあるのだろう。

翻って、日本はどうか?
確かに、イラクみたいな独裁者がいるわけじゃないけれど、でもやっぱり相当前近代的な部分が残っていることは確かだと思う。
労働条件にしろ、医療問題にしろ、皇室の取り扱いにしろ、社会に残る様々なタブーにしろ、男女不平等にしろ、選挙にしろかなり無茶苦茶だ。
日本は、戦後のし上がったけれど、それはナリフリかまわず一丸となって働いたからであって、本当に実力があって効率よく働いた結果じゃないと思う。
足元は、いまだベチャベチャぐちゃぐちゃだ。

世界は急速にひとつになりつつあり、そしてその世界標準は「アメリカ」だ。
このところストレートパーマをかけたり、着るものに気を使ったりしているので、見かけがすこしマシになっている。
ふっくらとした頬や色白のなめらかな肌も、とても年齢には見えないと自負している。
ショーウィンドウや通勤電車の窓ガラスに映る自分の姿に満足出来るってことは、とても嬉しい。
私は私が嫌いだけれど、少なくともルックスに関しては8割がた満足している。
ふっくらとした頬、二重のはっきりしたアーモンド型の形の良い目、小造りでほんの少し丸みをおびた鼻、笑っても歯茎がむき出しにならない口元からは小さな愛らしい歯が覗いている。
量の多い太くて真っ黒な髪は昔は持て余していたけれど、歳をとるにつれ、これは有難くなってきた。
胸のない手足の細い幼児体型も、やはり昔は悩みだったけれど、今となっては美点だ。最初から胸なんか無ければ、たるみようがないものね。

皆、誰でもそれなりに美しいとは思うけれど、それでもたまに信じられないくらい器量に恵まれない人がいる。
やっぱり悲しいだろうなぁって思う。
それでも性格的にタフだったら良いと思うけれど、内面的にもぱっとしなければ辛いだろう。
だけど、もちろん、内面の美しさと外面の美しさと、どちらか一つ選べといわれたら前者に決まってる。

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