昨晩、BSでシェイクスピア原作の映画、「12夜」を観る。
男女の双子が入れ違って、騒動を繰り広げるお話し。

ただ、映画として映像的に観ると、やっぱり女性が男役をやるには無理がある。
シェイクスピアの時代は、少年が女性の役をやったというけれど、14,5くらいの声変わり前の、中性的男の子がやってからこそ面白いのかなぁという感。
男装の少女の役を、少年が演じる、というこのヤヤコしさ(?)もまた楽しいかも。

オーシーノ公爵の想われ人の役で、ヘレナ・ボナム・カーターが出演していた。
世界の美女トップ10にもかって選ばれた、さすがの美貌もやはり盛りを過ぎていた。
この作品に限らず、あるいは洋の東西を問わず、何か原作モノを映画化する時って、俳優の年齢が原作のそれよりはるかに高い。
そのへんを考慮してほしいなぁ。

ずっと気になっていた人形の服作りが、どうにか完成に近づきつつある。
ただ、服を作り終わったら、私はこの人形を処分しようと思っているのだけれど、はたして私にそれが出来るだろうか?
人形を捨てるなんて、今の私には、かなりおっかない。
だからこそ、ほったらかしだった罪滅ぼしをかねて、新しい服を作ってはいるのだけれど、でも、結局処分できるかなぁ。
もう、絶対人形なんか買わない!

今日の日記

2003年9月5日
思い切ってT大学病院へ行くが、何か相手にされなかった感じがある。
こちらとしたら、とにかく検査をしてほしかった。
そうすれば気が済むのだから。
でも、殆ど何もなし。
これじゃぁ、わざわざ大学病院に行った意味が無い。

とにかく私は、我慢強くない。
だから、3ケ月も続いているこの不快感に我慢出来ないし、その原因が知りたいだけだ。
原因が解れば、対策がたてられるから。

とことん検査をして、そしてその結果何でもないのなら、ストレスということで安して養生できる。
それがよく分からないまま、リラックスなんか出来ない。

死んでしまうのは構わないのだけれど、ただ痛みには耐えられないだけだ。

泳いだ

2003年9月4日
久しぶりに泳ぐ。
しかし、ここのプールは利用料420円はいいとしても、ロッカー代金の100円が戻らないのはボッタクリでは?
おまけに駐車料金まで取るし。

今日の日記

2003年9月3日
ここ1週間ぐらい、また喉の不具合がぶり返している。
今度は嚥下障害があるので、モノが飲み込めない。

他人からは馬鹿みたいに思われている、と思う。
神経質な甘ったれオンナの、気のせい病?って感じ?
でもね。
本人にしてみれば、痛みは本物なんだから仕方が無い。
昔、佐藤史生の「タオピ」に、
「押しが強いだけの中年男に押し切られる、気の弱いけれども優秀な男性」
というシチュエイションがあったけれど、いったい全体、人間の「格」だの、場における「力関係」だのは、どうやって決まるのだろう。

私は、Yさんは、凄く優秀な人だとは思わない。
ただ、すごく努力をしているし、それなりに優秀だとは思う。
けれど、決して飛びぬけて「出来る」人ではないはずだ。
にもかかわらず、だれもがYさんには一目置いているし、というか、何かと気を使う存在で、彼女一人が職場で緊張感をそそる存在だ。

こういうのって、いったいどこから来ているのだろう。
もっと優秀な人も、そしてもっと厳しい人だっている。
にもかかわらず、彼女のみが突出しているのは何故?
とにかく彼女の「頑張り」と「熱心さ」と、そして「自分が出来るんだからあなたも出来るはず」という押し付けは、非常に迷惑だ。

彼女と話していると、何だかいつも打ちのめされたような気分になる。
自分が馬鹿扱いされているような、感じ。
そうそう。
昔、彼女、
「お客さまには、負けて勝て!、です。」
なんて言ってたっけ。
つまり、彼女の、「人の事を聞いているふり」、「謝っているふり」、は、、文字通り「ふり」なんだろう。
相手を馬鹿だと思っていなきゃ、「負けて勝て!」なんて言葉は出ないものね。

とにかく、彼女はイヤだ。
何とかして欲しい。
NHKの「英語でしゃべらないと」が超面白い。

ゲストで来ていたコニシカツヤ(?)の意見に私も賛成。
曰く、日本の受験英語の問題点はそこに哲学性を求めること。
そうじゃなくって、あくまでも英語は英語。
ただのツールなんだよね。
文章に表われる人間性まで、問わないで欲しい。
それは、また、英語とは別の問題なのだから。

それにしてもエリック、じゃない、パトリックの日本語はすごいなぁ。
性格的にも申し分ないし。
天衣無縫のようでいて、ちゃんと回りへの気配りも出来ている。
暗ーいセイン・カミュなんかとは大違いだ(笑)

今日の日記

2003年8月31日
ノッテングガムヒルの恋人をテレビで少し観る。
ジュリア・ロバーツの笑顔はやはり超魅力的だと再認識。
この映画、以前わざわざ、劇場で観たっけ。
何だかんだ言いながら、ヒュー好きなわたし(笑)

喉の嚥下障害がひどい。

もうじき会社で健康診断がある。
内容が気になる。
この間、胃カメラをのんだばかりだし、面倒な検査が多かったらパスをしよう。

今日の日記

2003年8月29日
犠牲者及びその遺族に関しては本当に気の毒だと思うけれど、でもそれでも心のどこかでは宅間守の気持ちも分からないではない。
そういう人って、案外多いんじゃないだろうか?
だからこそ、事件が大きく取り上げられているのかも。
決して、子供を持つ親が被害者側の心情にたって、学校のセキュリティ問題を取り上げて、改善を提示しているわけだけではないと思う。

ゲームと違って、人生はリセットできない。
本人にその気があれば、いつでもやり直しが利くなんてウソ。
もちろんそれが出来る人もいることはいるだろうけれど。
自分自身の性格そのものを変えることが出来ない以上、少なくとも私には無理だ。

「阿修羅城の瞳」

2003年8月28日
新橋演舞場で「阿修羅城の瞳」を観て来る。
やはり私には演劇は合わない、ということを再発見。
確か白熊さんが褒めていたはずだし、市川染五郎は嫌いではないので、それなりに期待して行ったのだけれど、見なきゃよかったって感じだった。

大袈裟な台詞、もったいづけたストーリー。
その割りに中身は陳腐というか空っぽ。
殆ど「少年ジャンプ」の世界だ。
スモークやらスポットライトやら大音響の音楽やらで、ぱっと見は素晴らしいものに出来てはいるけれど。
3時間を超える長丁場だったし、後半は退屈で退屈で眠くて仕方なかった。

それにしても人の好みは不思議だ。
白熊さんと私は年齢も近いし、少女漫画や好きな小説の好みはバッチリなのだけれど、こと「お芝居」に関しては全然合わない。
彼女は月に何本も、そして時には地方にまで遠征するほどの舞台好きなのに、私はやっぱ、「舞台なんて大嫌いだ!」なぁ(笑)。
指先のアップひとつで感情を表せられる映画のほうが、絶対にいい。

ところで染五郎といえば、私、昔、彼のハムレットを観た事があります。
確か、まだ彼は十代だった。
おじさんがやるのと違って、実年齢に近いハムレットはやはりそれはそれは初々しかったです(笑)

今日の日記

2003年8月27日
家人の留守中、父親が新聞のセールスに押し切られて契約をしてしまう。
父親はどうかしている。
今回のことも、「何だかよく分からないうちに」、気がついたら契約が成立していたのだそう。

この前も交通事故をおこして、相手側の剣幕に押し切られて、その場でお金を払い、一筆まで書かされたばかりだというのに。
第一、、事故に関して、本人は「よく覚えていない」(!)とのことで、事故状況を聞いても全然要領を得なかった。


明日は、朝から対処に走り回らなければならない。
本当に、本当に、何とかして欲しい。

今日の日記

2003年8月26日
谷崎潤一郎全集を読んでいるのだけれど、巻末の解説の文が素晴らしい。
いわく、

・・・ミューズの神は、これに触れようとするものに祟らずにはいないのだ。かくして、この物語は、時代と所をこえた生命をもつ。・・・

なのだそう。この「祟る」という表現が本当に言いえて妙。

彼が言うように、検閲を逃れるために付け加えられた、「異端者の悲しみ」のラストの数行はまったくの蛇足だと思う。
後に作者自らが削除したのは、まったくの妥当だろう。
この解説者の言うように、芸術のあだ花は千に一つしか開花せず、主人公の青年もその例に洩れないからこそ、「異端者の悲しみ」の普遍性があるのだと思う。

どうせ開花などしないのなら、いっそ最初からそんな感性など全く無いほうが、どんなに幸せだろう。

今日の日記

2003年8月23日
久米寛がニュースステイションを降板し、古館一郎が引き継ぐらしい。
楽しみだ。
久米寛は20年近くこの番組をやったわけで、もうじき60になる。
人生の働き盛りの部分を総て費やしたわけだ。
何か、人の一生なんて、本当に短いと思う。

life is a constant struggle

2003年8月22日
今日は朝6時過ぎの電車で東京に向かう。
午前中には用事が済んだので、美容室や映画など、かなり複数のことが出来た。
ただ、手順が悪くて、わざわざまた引き返したりして、少々落ち込む。

アタマも悪いし、愛嬌も無い私は、本当にこの世は生き辛い。
両親がいなくなったら、この世に私の事なんか気にかける人は一人もいなくなるだろう。
それもみな、身から出た錆だ。
何一つ、まともに築き上げてこなかったのだから。
昨日は東京へ泊まる。
不動産やさんから、ファックスが来ていたのを見つける。
103号室のお風呂場の換気扇が壊れた、とのこと。
やれやれ。
修理の費用を持つことは構わないのだけれど、色々と段取が面倒くさい。

翌日、本人とケイタイで話して、留守中、部屋に入ってチェックしても良いとの許可を貰う。
「汚いですけれど、」とのコトバ通り、超汚い。
下駄箱の上には、少年マガジンが山積みになっているし。

浴室のドアを開けると、水滴だらけ。
カビが心配。
速攻で直さなければ。

だけど、あれ?って思ったのは、トイレの換気扇がつけっぱなしになっていたこと。
お風呂の換気扇のスイッチもオンの方になったまんまだったし。
この人、もしかしたら、入居以来ずーっと換気扇をつけたままにしている?
後で調べると、ユニットバスを全取っ換えしたのが、わずか2年半前。
壊れるには、ちょっと早いタイミングなんだよね。
あと、気になったのは、どうやらリビングのエアコンがつけっぱなしになっているようだ、ということ。
リビングには入らなかったから、確かめようがないけれど、冷気が漂ってきていた。

友人で一人、帰ってきたらすぐ涼めるように、外出時はエアコンをつけたままにしているって人を知ってるし。
うー。
エアコンも同時期に買ったばかりなんですけれど。
そのうち壊れるぞ。

やっぱ、ここは一つ、意見をしなきゃいけないのだろうけれど。
大家というのは、こちらのほうが立場が上なようでいて、でもやっぱり店子は顧客でもあるわけだから、難しい。

そういうわけで、修理に立ち会うため、明日もまた東京行きです。

キモワル男

2003年8月20日
NOVAで一人、気持ちの悪いおじさんがいる。
40代ぐらいで独身。
運送業なのだそうだが、最近は全然仕事がなくて失業状態なのだそう。
「どうしたらいいのでしょう?」
なんて、真顔で問いかけて来る。
無表情で殆ど喋らず、そしてたまに喋ったかと思うと、こんなんだからやってられない。
他人にいきなり、そんなこと話すなよなっ!って感じだ。

英語の実力もかなりお粗末なものだ。
文法もボキャブラリも滅茶苦茶。
その上、キャラクタも暗いんだから最悪だ。

昨日は、他校から助っ人でやって来た、黒人の若い女性が講師だったのだけれど、彼女はすぐに彼が「キモイ奴」だと気がついて、あからさまに失礼な態度を取り始めた。
私は、彼女に対しても凄く腹が立ったし、そして勿論、彼女にそういう態度をとらせる彼の態度に対してもとても腹立たしかった。

何だろう。
上手く言えないや。
とにかく、このキモワル男とはどういう訳かレッスンが一緒になる。
私は、教育訓練給付金制度で授業に来ているので、すべてのレッスンは基本的に曜日が固定されている。
そして、その事を皆に明言している。
つまり、「私の事が嫌いだったら、この時間帯に予約を入れないでね。」という意思表示だ。

にも拘わらず、彼とよく一緒になるということは、あえて彼はそれをしているのか、それとも頭が悪いから私の言った事に気がついていないのか。
とにかく、私も独身で、年代が近いので、気持ち悪いこと甚だしい。
何か「勘違い」でもされると、すごく怖い。
同じ電車の沿線に住んでいる、と判った時も、滅多に表情を変えないくせに凄く嬉しそうだったし。

うー。
何とかして欲しい。

確かブラットベリの短編で、毎日毎日雨ばかりの惑星で過ごすうちに徐々にオカシくなっていく人達を描いたものがあったと思うけれど、こう毎日雨ばかりだと、その気分もすごくよくわかる。
太陽が心底恋しい。
むかしむかし、まだ愛親覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え輝いて居た時分、支那の大都市の南京に孟世?と云ううら若い貴公子が住んで居ました。
(谷崎潤一郎、「人魚の嘆き」より)


谷崎潤一郎の作品は、基本的には読んだことはないのだけれど、昔、ほんの数編だけ読んだことがある。
物置の中のオンボロの文学全集の中に、含まれていたものを、さらりと読んだのだ。
今回、谷崎の全集を借りてきているのだけれど、この冒頭の部分を読んで、その時の記憶が蘇った。

「六月の牡丹のように栄え輝いて居た時分・・・」
なんて美しい表現(笑)
昔もそういうふうに感じたし、今、また同じように感心した。
人間の好みなんて基本的には変わらないよね。

class?の腫瘍だそう

2003年8月17日
胸のシコリが良性のものだと分かって、母親の機嫌が良い。
私も一安心。
一緒にペイントでお絵かきをして遊ぶ(?)

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