えっちゃん

2009年5月30日 日常
朝、えっちゃん(叔母)より、叔父の法事の件で電話。

久しぶりに話したのだけれど、相変わらずパソコンに興味があり、バリバリ使いこなしている様子。
エクセルは必要が無いので使ってはいないようだけれど、その便利さはちゃんと理解していたし、一周忌のハガキはワードで自分で作成し、またブログもやっているとのこと。それでいて、ユーチューブなんかは知らない、というところが面白いのだけれど、何しろこれで80代後半というところがすごい。

決して頭は良い、というわけではないと思う。
能力的には普通。
けれど、好奇心が強いし、行動力もあるし、分からない点は分るまで聞くし、自分でも調べる。しかもせっかちだから、すぐに行動をおこす。

ブログは、是非、その年齢を言うべき、と伝えておいたのだけれど、「おばあさんのブログなんか誰も読まない、孫やヒコの話しをするので、分る人には分るでしょう」と言い、あくまでも、その点はぼかしているよう。

でも、こんな元気なお年寄りの存在を知ることは、勇気付けられると思うので、是非、言うべきだと思う。

Tさんに就職が決まったことを報告したら、数日後、お祝いの商品券を送ってきた。

お礼の電話をしたら、その後すぐに、今度は大箱にいっぱい、マスクとナッツ類、ネパールの手すきの紙などを送ってきた。

確かに、マスクが品薄という話しをした覚えがあるけれど、私のうちが無くて困っている、と言ってはいない(と思う)。
有り難いといえば有り難いし、感謝するべきなのだろうが、基本的に不用品の類を送ってくることが多いので、釈然としない思いもある。
就職祝いにしても、新卒なわけでなし、彼女は私の親戚でも何でもないのだから、そんな事をされる理由は無い。

うちの母親はそのあたりは間違えない。
あげる時にあげるべき物をあげるべき人にあげる。

マスクの話しだけれど、数日前、母親の友人が、「入手困難なので、お宅の近所の、××病院の売店なら手に入るかもしれないので、買ってくれないか」、と電話してきたことがあった。実は、うちには大箱が1つある。
私やTさんだったら、すぐにその旨を伝えて、幾つか分けてあげると思う。

けれど、母親はそれをせず、頼まれたとおり、父親を買いにやらせた(結局無かったけれど)だけだった。

曰く、「インフルエンザもまだどうなるか分らない。まずは自分のうちが大事。彼女だって切羽詰っているわけではない」、なのだそうだが、このやり方が正しいのだと思う。
もとより頼みごとの総てに対して、真剣に対応したり、手の内を総て見せるようなことをする必要は無いのだろう。

これは決して「秘密主義」(父親は母親のことをこう呼ぶ)なのではなく、他人との無意味な面倒はさけ、誤解を受けないようにし、良い関係を築く知恵なのだと思う。

母親のこの友人だけれど、結局、テレビでマスクの作り方を紹介されていたのを見て、自分で多数作り、親戚にも送ってあげたのだそうだから、結局、母親のやり方は間違っていなかったのだ。

Tさんは未亡人で、子供もいない。それなりの資産家でもある。
「細々としたものはいらないから、遺産でも残して欲しいのに」と母親に言ったら、「あんたたち(私と父親のことだ)のその発想が理解出来ない」と言われた。
確かに。
私達(私と父親とTさんのことです)は、マイノリティだと思う。

少し前、めずらしく、どこも痛いところ、不調なところが無い日々が続いた。だるさもまったくといって無かったし。疲れ目も大丈夫だった。
わずか数日で終わったけれど。
子供の頃はこうだったのかな。世の中には、いつもこんな状態な人もいるのかな、と羨ましく思う。

あ。
ちょうど就職が決まった後、すぐに202号室に入居の申し込みがあった。
良いことは重なる。
離職時に貰った紅白饅頭、冷凍庫にまだあるのだけれど、そろそろ食べようかな。

最近のマイブーム。
インダス文明。
他の古代文明と違って、非常に明るいイメージ。
百年一日がごとき生活。

こんな所で、毎日、日干しレンガを作りながら、同じものを食べ、午後には沐浴をしながら、生まれては死んでいく他の生き物同様、自然に溶け込みながら、さらりと生きていけたら幸せだろうな、と思う。
実際にはどうだろう。良い面ばかりでもなかったのかな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E6%96%87%E6%98%8E

田んぼは雨が似合う
田んぼは雨が似合う
田んぼは雨が似合う
研修スタートまで約1週間。こうなればとことん遊ぶことにした。

昨晩は眠りが浅く、何回か目が覚め、朝も7時頃目が覚めてしまった(私にしては早起き)。
寝足りなくて不満だったのだけれど、これをポジティブな方向に捉え、ちょうど良いから、ずっと行きたかった大山千枚田を訪ねることに。雨模様なのも田んぼには似合うと思ったので。
そして、これも念願の高速道路走行。

鋸南保田インターで降り、すぐ右折して、長狭街道をひたすら30分ぐらい前進。看板が見えるので、そこを曲がり山道を登ってすぐ。
バリ島のような棚田が広がっていた。

観光スポット的な棚田の部分は、狭いエリアなのだけれど、ここから大山不動尊までの道は、アスファルトの車道で、でもそれ程クルマも通らず、お散歩するにはちょうど良いと思う。棚田もずっと広がっていて、何でも江戸時代には棚田の数は増えていなく、つまりそれ以前から、山間地のこの辺りでは、棚田を作るのは自然に行われていたのだそう。

とはいえ、目の前に見える、千葉の”最高峰”、愛宕なんとかは、えーっと、確か400メートルちょっとと書いてあって、千葉と言うのは本当に穏やかな地形、穏やかな気候、というのが良く分った。

大山不動尊は中々由緒正しそうで、ご利益もありそうだったし。

坦々麺のお店は、長狭街道沿い、千枚田のすぐ近くにあり、偶然見つけた。クルマもたくさん駐車してあったし、何となくただならぬ雰囲気。
お店の内装は、普通の田舎の食堂だったけれど、坦々麺は確かに独特だった。ラーメンについては殆ど無知な私の評なので、当てにはなりませんが。

辛さ普通に控えめに、で頼んだけれど、それでもやっぱり少し辛かったです。

お花は、この季節、よく見かけるありふれたもの。うちの近所のもありますが、千枚田近くでも見かけました。
ツル性で、白い花で、でも、枯れかかると黄色く変色します。そして良い匂い。
何て名前なんだろう?

http://www.senmaida.com/

http://www.chibaraumen.com/report/ezawa.html



火曜日に就職試験を受け、採用が決定した人のみ電話で連絡とのことで、落ち着かないことこの上なかったが、翌々日、木曜日の午後に連絡があった。
こういうのって、受かる人は大抵翌日には電話が来ると思っていたから、てっきり落ちたものだと思っていたので、本当に良かった。

某大手派遣会社を通じての、某大手コールセンタ。
販売などとは無縁で、純粋に情報を提供するだけの受信の仕事。就職決定を知らせたIさんは「マニアックな知識が増えて面白そう」だそうだが、確かにそんな感じ。
やっぱり仕事は自分が興味を持ったことをやりたい。

H(ぱんだ)にもすぐにメールで知らせて、その日の夜遅くに新宿で会った。ファミレスでご飯を食べ、喋り、その後映画。韓国映画ばりの、甘ーい、気恥ずかしい台詞満載の、吸血鬼テイスト青春映画?との前評判で、実は、ほんの少し期待して観たのだけれど、危うく大爆笑しそうでした。誘った私が悪かった。ぱんだ、ご免。女性達から、うるうると大感激のレビューばかりだったのだけれどな。私は、どうもこういうのは駄目みたい。

5月の夜の新宿、というのも良いな。楽しかった。

仕事は6月1日から。
9時間拘束というところが不安だし、交通費も出ないけれど、週休3日で、社会保険完備だし、千葉の家からも東京の家からも便利。
前職からのリハビリ、という意味でも頑張ろうと思う。
けど、働いている人の主流は、2、30代とのこと。
大丈夫かな。まあやってみよう。


http://twilight.kadokawa-ent.jp/top2.html

昨日は所要で新宿へ。久しぶりに頭を使ったので疲れた。緊張もしたので、心臓がバクバク。お年寄りなら発作をおこしそうな雰囲気だった。

深夜、BSで映画、「覇王別姫・さらば愛」を観る。
公開時も観ているけれど、細部でやはり少々分らない所も。
3時間を超す大作で、うつらうつらしながら、観終わった。
レスリー・チャンとコン・リーは熱演だと思うけれど、もう一人の主役男性は、ちょっと役に対し説得力が無いような気もした。以前もそう感じたと思うけれど。


垓下歌(がいかのうた)

 力抜山兮気蓋世(ちから やまをぬき き よをおおう)
 時不利兮騅不逝(とき りあらず すいゆかず)
 騅不逝兮可奈何(すいのゆかざる いかんすべき)
 虞兮虞兮奈若何(ぐやぐや なんじをいかんせん

この漢詩は、中学時代、教師が気持ち良さそうに詠唱していた記憶があるし、「項羽と劉邦」なんていうベストセラーもあったし、項羽と虞美人のお話は日本人にも、馴染みのあるものだと思うが、それも過去の話しなのだろうか。
最近の若い人達は、全然知らないかもしれない。それは中国も同様?

京劇って、役者さんが歌うのですよね。
歌舞伎は歌わないと思うし、アクロバットも無いから、京劇のほうが派手。

私は、白蛇抄とか孫悟空のお話のほうが好きかも。

昨日は、スーツが縫い上がったというメールを貰ったので、急遽神田まで取りに行く。

ついでにH(ぱんだ)に会えないか連絡すると、打ち合わせ(おそらく編集者との)があるが、3時過ぎには終わると思うので、会いましょう!とのこと。
スーツは10分で受け取り、その後、「やぶそば」でぼぉーっとし、駅までゆっくり歩いて3時15分。
きのうは暑かったし、スーツはかさばるしで、へたれな私は帰ることにした。

「終わったよー☆」というメールが来たのは、そのわずか数分後。
残念。縁が無かったね。

神田のやぶそばは、レトロなつくりとか、店員さんの歌うような復唱とか、レジというか帳場の雰囲気とか好き。値は張るけれど。
昨日は、良いお天気で、外の明るさと、室内の暗さのコントラストが心地良かった。昔の家ってこうだった気がする。風がよく抜けて、夏は日差しが入らなくて、ひんやりしていた。

H(ぱんだ)と会いたかったな。

http://www.yabusoba.net/
時間枠の指定があったのだけれど、それでも1時間半待った。
立っている人も大勢いて、人に酔った。疲れた。

三十台後半くらいだろうか。男性二人。しゃがみ込んで、大きな声で話している人達がいた。それが、

「××(地名)で昔、ヘッドを張った、○○(暴走族のグループ名)の何とかさんは、お元気なんでしょうか?」
「ああ。元気だと思うよ」
「ていうか、あの人、生きているんですか?」
「生きてるよ。ムショに入ってなければ、元気にやってるんじゃないかな」

こんな具合の会話。
大勢の人が待っているとはいえ、誰も話す人などなく、静かな室内にクリアーに響き渡っていた。
ネタですか?と思えるほど、台詞のような淀みの無い会話だったし。
こういう人達を見ると、「ああ、早く就職しなければ」と思うから、その筋の人が雇った役者さんだったりして。

でも、内容はともかく、本当にカツゼツの良い、分りやすい話し方だったなぁ。

昨晩は、から揚げとおみよつけを作る。それに、頂き物のざる豆腐と切り干し大根の煮物。あとは、キノコを炒めたものとトマトを添えた。

から揚げは本を見ながら、生まれて初めて作った。
醤油の汁に鶏肉を漬けた後、卵と片栗粉を投入して、もったりとしたコロモを作り、低温でじっくり揚げ、最後は強火でカラリと仕上げる。
何回かに分けて揚げたのだけれど、最後の物は見かけはともかく美味しく出来たので満足。

おみよつけは、だし汁に、トマトとセロリ、にんにくのすりおろしを入れ、最後に味噌を入れた???なもの。適当に作ってみた。
このにんにく入り味噌汁というのは、確か100歳を越して長生きした「橋のない川」の作家が好んだもので、たまに作るけれど、トマトとセロリを入れたのは初めて。
何か、アメリカのベジタリアン風ミソスープみたいになって、美味しかった。酸っぱいけれど。

数百人の一人

2009年5月13日 日常
昨日は職安(ハローワークという言葉はどうも好きになれない)の説明会へ。
教室2つ分ぐらいの細長い部屋に、200人ちょっとパイプ椅子に着席していて、寒い熱気?で包まれていて、咳をしている人もちらほら。
持参したマスクを着用。それでも心配だったけど、どうやら大丈夫そう。

過去に、職安は利用したことが無くて、きっとお役所然とした所だと思っていた。でも、基本的に親切な職員が多いよう。今は超多忙だろうし、そんな中での親身な対応は有り難いと思う。

認定日だとか、就職活動と認定される行為だとか、まだ良く分らないことは多いけれど、覚えていきたいと思う。
明日は初回認定日。
その数日後に失業給付金が支払われるとのこと。
昨日は母親を引率して東京の家へ。
東京に入ると、車内はマスクをした人がちらほらと目立つ。やっぱり新型インフルエンザの影響? どうやら死に至るような病では無さそうだけれど、万が一感染でもしたら、面倒だし、仕事も休めない、ということなのだろう。
病気になるのも自己管理の問題、と糾弾される社会は辛いよね。

英語班は、新しいセンターでは、皆でいっせいにやる方式、とのこと。
英語のお客様が送られてくると、日本語のお客様対応をしていた英語可能オペは、大急ぎで日本語を切り上げ、その英語のお客様の所へと急ぐ。で、一番早くたどり着いた人が、対応するらしい。

この方式だと、皆が、総ての時間、英語着台ということになり、つまり英語の時給が総ての時間に適用される。
今までは、スケジュールを組んで、この時間はAさんが英語、みたいにやっていたから、英語時給もその時間しか適用されず、不公平感を持つ人も多かったし、スケジュールを組むのも大変だった。

この方式って、私の提案が採用されたんだよね?って思う。
新センターに移動するつもりでずっといたから、そういう提案も要望書に出した。
・・・て、私、何を考えているのだろう。
もう辞めたんだから、今更関係無い。


bewitched......

2009年5月8日 日常
目は変化無し。
見たくない事、やりたくない事が多いからだろうか?
筋肉の緊張がとけないことには、眼鏡も作れないみたいだし。

就職のことを色々考える。
失業保険は幸い長期に渡って支給されるので、職業訓練校に通いながら、じっくり探すべきなのか、それとも、どんどん面接を受けるべきなのか。

尋常ならざるぐらいに疲労感が強い。
昨日は、母親に付き合って、ショッピングモールやレストランなどあちこち回ったけれど、重病人の母親のほうが元気。私は、まるで体中に穴が開いていて、そこからエネルギーが抜け落ちていくかのように疲れる。
甲状腺の具合がいよいよ悪くなっているのかな、と思う。

アパートはリフォームが終わったけれど、引き合いがまるで無し。これも不安。

鏡を見ると疲れた顔。メイクでも隠しようがない。
朝から疲れている。

離職以来、母親の小間使い状態なのだけれど、価値観の違いが強すぎる。
私はシンプルライフ志向だけれど、母親は未だあれもこれもタイプだもの。
旅行にしても食べ物にしても、「あれもしたい、これもしたい」を言い続けている。結構なことだろうが、実行に移してあげるのは私だし。

これは私がやりたいと思っていた生ではない。
何かやることがあってこの世にやって来たのに、まるで魔法にかけられて、すっかり忘れてしまっているような気分。

就職するにしろ、しないにしろ、自分自身を変えないことにはどうしようもない。
昨日は、高島屋で浮世絵展を見たのだけれど、館内が暗くてよく見えない。試しに老眼鏡をかけてみたのだけれど、同じく見えないのだから、やっぱり暗さのせいだと思う。

この間行った眼科では、「明るい所でも暗い所でも、目の大きさが変わらない。ずっと小さいまま」と言われたから、そのせい? それとも、そんなことを言われたから暗示になっているのかな。

両目の視力は相変わらず1.5もあり、ただやはり年齢的に老眼もあるのではないか、本来なら老眼鏡をかけても良い年齢、自分も渡辺さんと同じ年代で、裸眼で1.5あるが、眼鏡(遠近両用)をかけている云々とお医者は言っていた。

ただ、あまりに目の筋肉の緊張があり、さっき言ったように、明暗の反応が無いので、取り合えず、これを治さないことには先に進めない、ということなので、今は、目薬で様子見。

目も大事だな、って思う。

ただ、9年前に経験したメンタルブレイクダウンに比べれば、遥かにましで、凹んだ時は、そう思うことにしている。

お休み

2009年5月2日 日常
目、養生中。
おとといは、しっかり8時間睡眠を取り、夜中目覚めることもなく、ぐっすり眠れた。

昨夜は、うとうとしていたのをタイマーをかけて23時頃起き上がって、中国語講座を録音し、デス妻を見ようかと思ったけれど、睡魔に勝てず、寝た。

おとといと違って、夢をたくさん見た。

起きたのは9時前だから、10時間近く寝たことになるけれど、あまり疲れが取れていない。
目も相変わらず疲れ目全開。
やっぱり、今日は医者に行ってこよう。

電車で20分程の所にある、ショッピングセンター内の眼科。年中無休。こういった所のほうが、眼鏡とか作るには、良いような気がするし、先日会ったTさんも、ファッションビル内の眼科に行き、同じビル内の眼鏡屋さんで作っている、とのこと。

しかし、年中無休で、お医者さんの名前は一人しか紹介されていないのだけれど、どうやって、やっていっているのだろう?

良いお天気だし、自転車で行ってみようかな。
何しろうちの路線は、世界で一番高い路線だから、たかだか20分程度の所へ行くのに、往復千円以上かかると思う。東京メトロ沿線に住みたい! 切実に。

Tさんは、「予算はいつも5万円ぐらい」と言っていたし、Iさんは、「最近は安いものもたくさんある」と言っていたけれど、どうしようかな・・・
高くても、ちゃんと目に合ったものを作って貰えればいいのだけれど。結局使わずじまいでは嫌だ。

あ。
このお医者は、東邦の出身。だからここにした。
東邦って何か好き。のんびりとした雰囲気がある。
たんなる偶然かもしれないけれど。

my eyes are killing me

2009年4月29日 日常
おとといはTさんと自由が丘で待ち合わせ。
ショッピング、食事の後、家まで歩いた。
いつのまにやら彼女も70歳。
先日は、駅の階段でころんで怪我をしたというので、歩くのは大丈夫かな、と心配したのだけれど、後で家まで来た時、「まだいつもの三分の一しか歩いていない」とのことなので、安心した。

けど、その怪我だって、「ハイヒールでのろのろ歩いている若い女の子がいたので、イライラして追い越したらころんでしまった」そうなので、何だかなーと思う。

結局、丈夫で長生き出来るのは、能力があって、なおかつ慎重なタイプなのだろう。
彼女のように、能力が衰えても強気なタイプ、あるいは私のように、慎重だけれど能力に欠けるタイプ、では無理なのかもしれない。

202号室は、募集をかけて2週間ぐらいになると思うのだけれど、未だ不動産屋さんからは何も言ってこない。
早い時だと、翌日ぐらいに決まることもあるのだけれど、時期が悪いのか、それとも不景気のせいなのか、分らない。

昨日は、神田でスーツをオーダー。
割引券を使用して、3万8千円というのは、高いんだか安いんだか、慣れていない私にはよく分らない。
就活の為、と自分に言い聞かせているけれど、無職という身分で、お金を使うことに対する不安はある。

目の調子もいよいよ悪いので、老眼鏡を買わなければならないかもしれないし。
100円ショップで試しに一番度数が低いのを買ってみて、確かに本などは読みやすいのだけれど、ちょっと目線をずらして遠くを見ると、ぐらりとくる。
こういうのって、高い眼鏡を買ったからといって、解消されるものでは、どうやら無いらしいのも分らない。

あと、仕事を辞めて、モニターを眺めるのははるかに減ったと思うのだけれど、そのとたん、目の調子が悪化したというのは、やはりストレスも関係しているのかな、とも思う。

何か分らないことだらけ。
誰かにアドバイスを聞いても、大抵皆さん、自分の意見を強力にプッシュするので、聞き辛くもあったり。

本来なら今頃、中国語やパソコンの勉強をしっかりやっていなけらばならないのだけれど、それが中々進んでいないことへの言い訳を、目に求めているような気もするし。

考えすぎ。
「台湾の人達は親日的、というのはよく知られていることなので、あえて違う切り口の作品を作ってみた」、というのがNHKの言い分なのだそう。

私は、それで納得がいく。

ドキュメンタリーは、作者がいる以上、そこにテーマが出てくるのは当然で、この作品は日本統治の負の部分にスポットライトをあてたのだろう。
インタビューした人達、総ての意見をそのまんま放送するなどというのは物理的に無理だし、その必要も無い。裁判の記録ではないのだから。

日本人としては非常に観ていて胸の痛む番組だったけれど、私は別にNHKの姿勢に対して、疑問も怒りも感じなかった。

ネットの掲示板を見ていたら、先日放送された、NHKの日本の台湾統治に関する番組が、ひどく非難されていたので、私の感想を述べました。

それよりも外国語学習をしているせいか、自分が気になったのは、台湾人のお年寄りの日本語。
日本を批判するにしても日本語。
日本語が第一言語であって、台湾語は喋れるにしても、おそらく完璧ではないと思う。
そして、あの世代の人達は、中国語は喋れない人が多いのではないだろうか。
その第一言語である日本語にしたって、日本人のそれとは違うと思う。
こういうのって、すごく不幸なことじゃないかな、って感じる。
日常生活には不便は感じなくても、古い詩を読んだり、ちょっとした言葉の妙に感慨を持ったりすることは出来るのだろうか。

日本人に好意的な台湾のお年寄りのお話を聞くことは、とてもear candy?的なので、私達はついついそれに甘えてしまうけれど、(日本統治は)悪い分だってたくさんあったのだから、それにも目を向けるべきだと思う。

4月22日の日記

2009年4月22日 お得
昨晩の夕食。
タケノコご飯、冬瓜のおみよつけ、オムレツ(新玉葱、トマト、ハム、シメジ入り)、大根のぬかみそ。
タケノコご飯は、母親が下茹でしたものを私が引き継ぎ、その他のおかずは、私が作った。

家事も自分で考え、自分でやる分にはそれ程苦にはならないのだけれど、今回のタケノコご飯のように、他人が作り始め、「疲れたから後はやって!」というのは面倒。

タケノコとか、泥ねぎとか、そういう下処理が大変なものは、自分の体力を考えて買って欲しいのだけれど。アシストする身としては思う。


会社を辞めて、定期券がなくなったのは不便なようで、逆に束縛が無くなったので、色々なルートを取れて楽しい。
T鉄道の往復と東京メトロ一日券が付いた切符は、東京メトロの部分は乗り放題。
千代田線とか丸の内線とか、殆ど利用する機会が無かった路線も、これからどんどん乗りたい。
(先日の新宿行きは、丸の内線利用。確かにワンマン運転になっていて、車掌室は空っぽだった)。

ケチな英国人でさえ誉めるのだから、東京メトロは非常に有り難い存在だと思う。
都営地下鉄と一緒になれば、もっと有り難いのに。

http://www.tokyometro.jp/joshaken/otoku/tonai/index.html#ichinichiken

今、アップしたと思った文章が消えてしまった・・・

昨日、H(ぱんだ)と高尾山へ行ったことについて書いたのだけれど。

新宿から往復乗車券と片道リフト(あるいはケーブルカー)券がついて950円。このリーズナブルさがミシェラン三ツ星の理由かな、と思う。

帰宅したら、母親が、お友達(80歳)から電話があって、お嬢さん(50歳ぐらい)が就職を決めた、とのこと。
それが、私の前職の会社の違う部門。すごい偶然。

英文メールの経験が必要、とあったから、私は応募をためらっていたのだけれど、すれば良かったかな、と少し後悔。

会社辞めても、何かすっきりしない。
責任転嫁の対象が無くなって、これではっきりしたけれど、私のもやもやの原因はやっぱり自分自身なのだと思う。

今日はハローワークに行ってきた。

15時頃に着き、終了したのが17時半頃。
それでも最初は、「待ち時間3、4時間」と言われたのだから、思ったより早く済んで、ほっとしている。

私が並んだのは、新しく失業保険を受ける人達の列だから、いかに多くの人達が失業したのかが、分る。

戻ったら旧勤め先より、三月分の給与明細と21年度分の源泉徴収票が届いていた。
総務のOさんの丁寧なねぎらいの文章も添えられていて、本当にこれでもう終わりなんだな、と思った。

説明会と認定日は約1ヶ月後。
それまでは、特に求職活動はしなくても良いのだそう。

まだ勝手が分らない。

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