ひとりごと

2010年2月23日 日常
明日はaさんがU君の入学費用を取りに来る。
私はいないほうがaさんも気を使わないのでは、と思うのだけれど、母親は居て欲しいという。

昨晩は、aさんと電話で段取りを決めたのだけれど、どうもaさんと母親の見解には相違があることが分った。

aさんの考え(弟の考え)は、金額が高額なので、母親が一人でおろすのは危ない。また、aさんが持って帰って自宅に保管するのも危ない。
だから、aさんと母親が一緒に郵便局に行き、お金をおろし、その場で弟の口座に振込みをする、というものだった。

母親の考えは、お金は前日に私が付き添って、郵便局からおろし、当日、aさんに現金で渡す、というもの。

aさんの考えのほうが、妥当に思える。
どちらにしろ、お金は学校に振り込まなければならないのだから、銀行口座に振り込んだほうが安全だし、面倒はないと思う。

けれど、母親は自分の案に固執していて、ひどく不機嫌。
耳が遠いので、aさんとの電話も私が途中で変わらなければならず、母親に伺いを立てながら、プランを組み立てるのは、非常に面倒。

更に事情をややこしくしているのは、この日は、母親の誕生日だ、ということ。

どうも母親は、aさんと一緒に食事をしたい、弟抜きで、女性同士の本音の話をしたい、というのが、深層心理にあるようなのだけれど、このあたりもよく分らない。

母親の誕生日に、高額なお金を援助してもらいに行く、というのも、向こうは心苦しいのではないかな、と私は思う。
だから、aさんには来てもらわず、私と母親でおろし、振り込む、というのが私の考え。

母親は、レストランで食事うんぬんと言っているけれど、その費用は誰が持つのか。弟の家はかなり切り詰めているし、誕生日なのに、こちらが負担するのも変。
静かな良いレストランなども見当がつかない。

私は家で食べるのが良いと思う。
食事は何でもよいと思う。
昨日焼いたチーズケーキがあるし、スープとパン、果物の軽食で良い。
けれど、母親からは、「何か珍しいもの。手作りのもの」というオーダーが出た。

もともと頭の良いひとだったから。
今だって、私などよりセンスがある部分がある。
でも、すっかり色々なことが出来なくなって、そのくせ未だにボッシーで命令口調で、自分が采配をふるう。

明日は気が思い。





今からドライブ。
良いお天気なので、どこかへ行きたいというオーダーが出たので。

寒い

2010年2月17日 日常
寒い
寒い
母親から、お取り寄せした物のお金を払ってきて欲しい、と言われ、振込用紙を手にコンビニへ。
そうしたらコンビニは休みだった。一週間ほど改装工事だとのこと。

別のコンビニに行ったら、この振込用紙では駄目だと言われる。領収書の部分が足りないらしい。母親が間違って切ったのだと思う。

その後、バー×ヤンに行ったら、3時までだというランチが既に売り切れていた。まだ1時半なのに、数分前、最後の一食が売れたとのこと。

何かの映画の出だしみたいに、ついていない一日。

天気欄に、毎日雪だるまマークが付くはっきりしない天気が続く。そのくせちゃんとした雪は降らない。ときおりふりかけみたいに、はらりと降っているよう。
雪はともかく寒いのがこたえる。

部屋の本棚の脇には、毎年お約束のミヒャエル・ゾーヴァの「2月」を飾っている。
その上には、神坂雪佳の「雪中竹」。こちらのスズメもちょっと妙。

三月になったら、桜でピンク色に染まる山の絵葉書に変える。こちらも毎年お約束。

久しぶりに晴れ

2010年2月14日 日常
U君は無事に第一志望を含めて数校に受かり、結局第一志望に行くことになった。
弟曰く、「第一志望は学費が高い」そうで、直前までどうするか家族で悩んでいたけれど、結局、本人の希望を酌んだよう。

しかしながら、余分に学費がかかる分、こちらに援助を頼んできて、母親がU君の為に積み立てて来た貯蓄を取り崩すことになった。

結構な金額。

「今から、そんなんでどうするつもりだろう。学校は6年も続くのに。近所に立派な公立があるのに」
母親は私にはさんざん苦情を言っているくせに、面と向かって弟には言わない。また、返事を先延ばしにして、間に立ったせっかちな私は落ち着かなかった。

弟は、この数年、母親がどんなに不満に思っているか、まるで分っていないと思う。

U君は、ここ数年、東京の塾に通い、最後の1年は、毎日、夏休みも冬休みも返上状態だった。
夜の9時過ぎに塾から戻り、就寝は12時近くらしい。
別に親が勧めているわけでなく、本人の希望。
そのくせ、勉強は好きではなく、塾に行く理由は、「塾の友達のほうが楽しいから」。

身長は140センチ以下、体重は30キロ。
小学校中学年にしかみえないのは、睡眠不足、運動不足もあるのでは、と思うが、それは余計なお世話。私にはそんなことを思う権利は無い。

けれど、自分の人生に失敗しているから、ついつい考えてしまうけれど、何か違うと思う。

何かが好きで好きでたまらなくて、それにお金や時間をつぎ込んでいるのではないから。

一緒に買い物に行っても、何回言ってもカートを引いてくれない。ちょっと引いても、すぐに放り出して行ってしまう。交差点では、妹や私を置いて、ひとりでクルマの前を、さささっと横断する(弟からは予め注意を受けているのに)。
電車では、高齢の母親を立たせ、自分ひとりで席に座る。
遊びに来ても、手伝いはまるでしない。
気遣いの言葉も無い。
学校は嫌いだそうで、学校の話しはしない。

「気配りが足りない。子供っぽい。躾がされていない。勉強なんかより、そちらのほうが大事」母親は私にこぼしてばかり。

根は素直だし、まだまだ子供だから、根気よく言えば分ると思う。

けれど、Aさんはそういったことはまるで考えていないよう。女親というのは、細かなことに目はいっても、大局的なことは分らないと思う。弟は、そうでもないみたいだが。


どうなのだろう。
良い学校に行き、良い会社に入る、というのが幸せな人生の近道だったのは、古きよき時代の話ではないのかな。
今時、そもそも高校に行く必要さえ、無いのかもしれない。
中学を出て、働いて、スキルを身に付ける。
その上で、大学に行きたいのなら、行けばよい。
そのほうが、親も経済的、体力的に楽だろうし、本人も本当の実力が身に付き、どんな世の中になっても、やっていける、と思う。

自分は、主流から外れているから、そんなことを(自分勝手に)傍観者の立場で考えたりしている。

生きていくのは大変。


コスラエ島

2010年2月12日 日常
「太りゆく人類」という本を読んでいるのだけれど、コスラエ島という島が出てきた。
昔は、ココナッツやパンノキの実などを食べていたけれど、今は、炭酸飲料や米(輸入)、豚肉の缶詰(スパム)等を食べ、糖尿病などで短命の人が多い地域、とのこと。

ふと興味を覚え、ネットで検索をかけてみたのだけれど、驚くほど情報が得られない。ウイキピディアにしろ、かりにも一つの国(正確にはミクロネシア連邦の一部)なのに、大元のミクロネシアに関する記述でさえ、芸能人のそれにさえ劣る。

世の中、情報で溢れているけれど、それはごくごく限られた物に対してなのかもしれない。
人気のある一部の人、会社、地域、スポーツなどに関しては、皆、知りたいし、話題にのぼるけれど、ひっそりと話題にのぼらず、息づいている物も多い、というか、その方が大多数なのだと思う。

結局、コスラエ島にはどう行けばよいか。
しばらく検索してみたけれど、あきらめた。
直行便はもちろんツアーひとつ引っ掛からない。
もちろん行くことはないけれど。

筑波山へ

2010年2月10日 日常
昨日は、また、筑波山へ。
今回はクルマで行く。
休憩を含め、三時間弱でロープウエイ駅(ふもと)まで着いたから、電車と比べても遜色は無いと思う。

翌日の雨の予報のためか、全体に霞んだ景色。
山頂は一週間以上前の雪がまだ残っていたけれど、
気温は高いし風も無く、快適に登れた。

下山はロープウエイを使ったから、筋肉痛はおきないと思う。
不安定な石の上をひょいひょいとカモシカのように渡りながら、降りることが出来るようになれたら良いな、と思う。
死にそうな思いで仕事をしています。

肉体的な限界は、すなわち精神の限界でもあって、頭が働かず、勘が働かず、本日も一件大ポカ。今、思い返しても、あの時、どうすれば良いか見当が付かず、まだ引きずっている。最初の段階で間違えると、後で中々収集が付かなくなるのが厄介。

それにしても、怖いのは、30代から40代ぐらいの女性。
前々職では、マニアックな男性のクレーマーが多かったけれど、今の職では、上記の年代の女性が一番怖い。
何だろう。モンスターペアレンツみたいな世代と被ると思う。
非常に冷静でキレやすい。怖い。こちらは萎縮するから余計に失敗する。
読売新聞主催の大手小町の書き手達みたいな怖さ。

男と女ってやっぱり根本的に違うな、と思う。
男性的なクレーマーのほうが非常に単純。

それにしても、私、気分転換の場が無い。
職場でも、グチをこぼす相手がいない。
新人さんの輪からも外れている。
決して苛められている、という訳でないけれど、一人。
自己嫌悪もひどいし、他の人達も皆、私みたいに失敗したりしているのだろうか。

上からは何も言われない、ということは、クレームも失敗も無い、ということだろう。
手数時間も後処理時間もセンター平均並みになった。
けれど、自分の仕事に自信が無い。
いやだ。
ヴィヴィッドな表紙に魅かれ購入したバイエル併用曲集(とぼけたウサギも可愛い)。
購入日の1月18日以来、毎日毎日弾いているから、結構ツボにはまったのかも。

初級者用だから、私にもそれ程難しくはない。
けれども、ミス無しで、すらすらと情感を込め、スタッカートなどもきちんと弾く、となると難しい。
それから、私は今まで暗譜というのをしたことがなかったのだけれど、やっぱりこれは重要かも、ということでトライしている。

ネットで検索すると、ピアノ上達のコツが色々出てくる。

”英語と同じ。英語を日本語に翻訳して理解するのではなく、英語のままで理解するように、と言うでしょう? 楽譜も、いちいち、ドだのミだの言うのではなく、楽譜を見たとき、音がダイレクトに頭の中で鳴り響くようにする”というのには、成るほどと思った。

あと、CDが付いているので、楽譜を見ながら聞いている。
スローな曲はよいけれど、ちょっと速い曲は、ついていけないことがある。

ちょっとした音符ひとつが、大きなアクセントになっているようで面白い。
私は音楽というと、歌詞優先だったから。
歌詞が無くても、そこには雄弁さが感じられて楽しい。

昨日の減価償却関係のことで税務署に電話をしたら、何か予想と違う答えを貰った。

償却しそこなって数年放置しておいた分を、今年償却しようと思ったのだけれど、それは出来ない、とのこと。
最初に出た人が分らず、折り返しかかってきた男性の見解は、このようだった。

本来なら、耐用年数が終わって、90%の償却が終わった時点で、更に95%まで償却するべきで、今の時点では出来ない。
ただし、法律が変わって償却出来ることになった最後の5%に関しては、5年間かけて償却出来る、とのことだった。

納得いかず。
税務相談室のほうに聞いたら、こちらの女の人は、あっさり、”大丈夫ですよ~”。
再度、色々説明しても、”大丈夫ですよ~”。

先程、税務署で駄目と言われたことを伝えると、折り返し返事をする、と言われ、しばらくして電話が来て、”やっぱり駄目でした。えへへ”みたいな感じだった。

しまった。

最初から税務相談室に電話をし、そこでOKを貰い、確定申告書には”税務相談室の了承済み”みたいなことを摘要欄に書くべきだった。

税務署>税務相談室の力関係だから、税務署側で不可が出たら、これはもう覆せない。

あるいは、最初からそ知らぬ顔で、償却してしまうべきだったかも。もとより大した額ではない(私達にとっては、大きい額だけれど)。

税務署というのは、人によって見解がまるで違う、ということは、22年前、アパートを建てる時に学習したはずなのに、すっかり忘れていた。

あの時は大変だった。
億以上の贈与税がかかる、と言う人、一円たりともかからない、と言う人、幾らかはかかる、と言う人、3種類に分かれた。

皆さん曰く、実際にどうなるのかは、その時になってみなければ分らない。その時の担当の職員の判断になる、とのことで、呆然とした記憶がある。
今、思い出しても、怖い。

そして結局、贈与税はまったく課税されなかった。

ところで、税務相談室というのはコールセンター化されたよう。
各税務署にかけると、今ではガイダンスが流れ、相談を選ぶと、係りが出るのだけれど、この人達は、おそらく、どこかのセンターにいるのだと思う(昔はそれぞれの税務署にいたはず)。
だから、オペレータっぽいというか感じが良い。
税理士さんとか資格をを持っている人達だと思うけれど、大変な仕事だな、と思った。

確定申告書類の作成に取り掛かっている。

アパートも今年で築22年になり、減価償却の耐用年数が次の確定申告で切れる。未償却額10パーセントの行方が気になり、ネットで検索したら、新しいことが分った。

まず、私は、今まで様々なものを、未償却額10パーセントで放置しておいたのだけれど、これは、実は、耐用年数までは、定率なり定額で償却し、その後は、5パーセントになるまで更に償却出来たのだということ。

次に、最近法律が変わり、100パーセントすべて減価償却が出来るようになった、とのこと(帳簿上は忘れない為に1円だけ残しておく)。

知らなかった。

考えてみれば、私が簿記を習ったのは、もう20年も前。
税法も年々変わるし、チェックが必要なのだな、と思った。

税務署というところは、間違えて低く申告するとチェックが入るけれど、その逆とかは言ってくれないから。

非常に有りがたい改正。
さっきまでテレビでやっていたものを、夕食の合間に何気に見始めて、最後まで見てしまった。
悪くなかった。

新米キャビンアテンダントと機長への昇格を目指す副操縦士が一応メインキャラだけれど、その他にも様々な航空業の関係者が出てくる。
飛行機が飛ぶのって、色んな人達のチームワークなんだな、と改めて実感。
軽~いノリで、でも真面目な内容。
どのキャラクタもよく設定されていて、破綻が無いストーリー。
あまりに良く出来すぎているのが、欠点かな。

普段、ふにゃらとしている人達でさえ、有事になるとキビキビと一丸となって働き始めるのが良いな、と思った。機転を利かせ、瞬時に判断し、危険を回避する。
どの人も皆、職人さん。
こういうのってすごく日本的だと思う。
アメリカと違い、ヒーローやスタンドプレイをする人が出て来ないから。

綾瀬はるかの笑顔がチャーミング。
田辺誠一も良い。
グランドスタッフの女の子(俳優さんの名前度忘れ)のベテランさんのど根性ぶりも良い。

なあんの暗いところも無い、製作者の人に対する明るい信頼度が感じられる作品、と思いました。

サリンジャーが亡くなったそうで。
まだ健在だったの、というのが、私を含めて大多数の人の感想だと思う。
私がティーンエイジャーだった頃、既に隠遁生活に入っていて、自宅の塀は高く、メディアには姿を見せない生活だったから、いったい何年、そんなだったのだろう。

ライ麦畑でつかまえて、というタイトルは美しいけれど、原題の直訳は、ライ麦畑の捕まえる人。
学校をドロップアウトしまくる主人公同様、私もいったい何になりたいの?と聞かれれば、ライ麦畑の捕まえる人になりたい、と答えたいかも。

村上春樹の新訳も含めて、もう一度読みなおそうかな。
毎年バースデイケーキを焼いていたけれど、今年は気力が湧かず。だらりとした一日も、はや終わろうとしている。

168錠のデパスと84カプセルのドグマチールを貰ってくる。調剤薬局のお姉さんが色々質問してくるけれど、本当はもっと言いたげな感じ。
事実、以前、他の薬局で言われたことがある。

はいはい 分っています。トランキライザーは依存性があるし、こんな大量の処方はどうかしている、ってことも。
けれど、精神科なんてこんなもの。
頼めばいくらでも融通をつけてくれます。
例の有名な合法覚せい剤だって、くれるのではないかな。
それとも最近はうるさくなっただろうか。

何かついていないことが続いている。

処方箋は、クスリの名前、処方量は貰うときにちゃんとチェックしたのだけれど、家に帰って、生年月日がまるで違っていることに気がつく。
呆然。今時手書きの処方箋。医師が書いたのだけれど、どこかの誰かと間違えたんだろう。たるんでいるとしか思えない。こんなことでは、その内クスリの処方だって間違えそう。

昨秋、北海道の白老町のアイヌ博物館の駐車場で、柵にちょっとぶつけた。
凹んだところを直してもらったのだけれど、その時、板金やさんが、修理時、外しておいたライトのコンセントをそのままにしておいたので、右のライトがずっと点いていなかったのを、つい最近気がついた。
3ヶ月! 無灯火のまま!
気がつかなかった私にも自己嫌悪だし、そんな仕事をする板金やさんもたるんでいるし、それを監督する修理工場(長年の付き合いのところ)もたるんでいる。

しかもおまけがあって、やっとライトが点いたと思ったら、昨日、実は右ウインカーも点いていないことに気がついた。これも板金やさんが(ウインカーの)ライトを差込口に入れていなかったせい。
こんなんで、ずっと運転していて、日曜日は高速のって来たのだよ。唖然。

前のウインカーだったのが、不幸中の幸い。
後ろだったと思うとぞっとする。

明日は、マネージャーと話し合い。
何が何でも辞める。

これからは、短期の仕事のみにしよう。

水仙祭り

2010年1月24日 旅行
暖かな日だったので、どこかへ行きたいという母親を連れて房総へ。家を出たのは10時半過ぎだったけれど、出発ラッシュがひと段落した後とみえて、道路は空いていて、2時間弱で、目的地(保田)へ着いた。

まだ水仙祭りの最中だけれど、見頃は過ぎているよう。
けれど梅や菜の花もきれいで、雲ひとつ無い青空の下、よく映えていた。

このあたりは、昔、夏目漱石が若い頃、夏休みに滞在したのだそう。昼は泳いだり、鋸山を散策。夜は飲み会に囲碁、かるたをして、真っ黒になって東京へ帰った、とのこと。楽しそう。

遠くへ旅行をしなくても、千葉には良い所がたくさんあるし、気候が温暖で高山もなく、のんびりとしている。
水仙の散策路沿いで、花や農産物を売っていたおじさん達も、にこにこと良い顔をしていた。

この辺りの水仙は、昔からお正月の頃になると、船に載せて、江戸まで運んでいたらしい。良い匂いがするし、2,3日、水につけなくても萎れたりしないから、流通的にも良かったのだろう。
昔から栄えていた地域、という名残は随所に感じられた。



運転していて思うのだけれど、私は、車線変更は案外得意のような気もする。
コツは、”絶対に入る”という強い意志を持つこと。
あとは、すばやい決断だろうか。
けれど、度を越した怖がりだから、高速道路上での車線変更、合流となると、いつまでたっても慣れない。
て、それ程、しょっちゅう乗っていないのだけれど。

ナビは買って本当に良かった。
滅多に誉めない母親が、「あんたは迷わないで目的地に行くからすごい」と感嘆していた。

リタイアしたら房総に住む、というのも有りだと思う。

暖かい夜でした

2010年1月22日 日常
おととい会った2人は、前々職で一緒だった人達。
その内の一人、Kさんが顔の広い人で、え?、あの人とも連絡を取りあっているの?とびっくりするぐらい、たくさんの人の消息を知っていた。

どうやら、皆、再就職が出来た様子。

確かに世の中、不況は大底だけれど、職を選ばなければ、何かしら就職先はあるのだろうと思う。私達のような中高年でも。

あまりメディアに振り回されないで、生活設計をしていく必要があるかな、と思った。

しかし、私の近況も、Kさんを通してあっという間に広がるな、と思う。
まいいか。
確か昨日は”辞めよう!”と思ったのに、今はやっぱり続けてみようかな、と思ったり。
自分で自分の気持が分らず、嫌になる。

通帳を引っ張り出したり、税務署に電話をしたり。
収支計算をしているのだけれど、ギリギリ何とかなりそう。
しかしながら、今までのようなちょっとした贅沢は出来なくなるし、お金を気にしながら買い物をするのは辛い。

それに無職では世間に対する申し訳が立たない。

Aさん(義妹)よりメール。
U君が第三志望の中学に受かったとのこと。
お目出度いけれど、また手付金がかかるだろうな・・・

相変わらず可愛らしいけれど、最近痩せてきて疲れが見え始めた彼女のことを思うと、私一人楽は出来ないと思う。
家事、育児、パートとてんてこ舞いの義妹だから。

妹のKちゃんは、お絵かきやダンス、ピアノが大好きで、習いたいのだけれど、送り迎えの時間が取れず、また経済的にも余裕が無いから、習うことは叶わない、なんてことを聞いているから、よけい私も頑張らなければ、と思う。

本日も夕食を作る。

ごはん
白菜のおみよつけ
ロールキャベツ(コンソメ仕立て 柚子入り ロールキャベツは市販品)
アボガドとトマトのサラダ
温泉卵(市販品)

あ。
明日、久しぶりに会う人達がいるので、おみやげのケーキも焼きました。


自分で作ると、お金もかからないし、満足感もある。
外で働かなくても、収支は合うんじゃないかな、とは思う。
先日Wさんと、のだめを観に行く。
レディスデイだというのを差し引いても、朝一番だというのに、ほぼ満席だった。
他愛無く楽しめたし、元気な主人公の葛藤もごく自然。
最終章の前編だということだが、後編も観に行きたいと思った。

以来、ピアノが弾きたくて、昨日、久々にキーボードの覆いを取って弾き始めた。
すっかり錆び付いている私の指。

ビロードの布の上を真珠の粒がひとつひとつ転がるように音を響かせる、というのは、確か昔々私がピアノを習った時の教則本のひとつに書いてあったと思うのだけれど、美しい表現ですね。

昔の教本は古風な文なので、読んで楽しい。

私のピアノはバイエルに毛が生えた程度。
ピアノを練習できるような環境になかったから辞めた、というのは言い訳。経済的には恵まれていたのだから、その気があれば、もっと続けられただろう。

ピアノが自由自在に弾けたなら、どんなに慰めになるだろう。
昨日、副マネージャーに電話をした時の、彼女の態度を見ると、どうやらこんな風に退職を切り出す新人は多いのだと思う。
あの時点で、私は単にシフトを少なくすることを考えていたのだけれど、どうやらそれも叶えられそうにないし、否、たとえ叶えられても、何だかもう働きたくなくなったのが、今時点での気分。

何と言うか不毛の仕事。
待遇も非常に悪い。
公けの仕事だから、おそらくどこかで今も高給の中高年の正職員がいて、彼らを養う為に、私達の条件が悪くなっているのだと思う。

休むまもなく喋りとおし。

その周りで、派遣先の嘱託のおじいさん達が常時3~4人、暇そうにお喋りをしている。

大抵のことは、インターネットで出来る今、コールセンターにかけてくるのは、お年寄りが多いし。

働かなければならない、というのは脅迫観念。
今、辞めると、この先復帰出来ないかも、という思いもある。

ただどうなのだろう。20年働いてきた。
昔だったら十分隠居の歳だし、実際問題、新しい仕事は中々覚えられない。
簡単なこと、ちょっと難しいことなら大丈夫。
けれどイレギュラーが重なると、しどろもどろだし、スピードが極端に落ちる。
もう新しいことは出来ない歳になってきているのかもしれない。

私が出来ること。
英語もタイピングも車の運転も30代前半までに始めた。
英語は勘が働くし、タイピングも何も考えなくても、すらすらと打てる。車の運転も、怖い怖いと言っている程には苦にならない。
けれど、新しいことはそういったレベルにはならないだろうし、そういう状態で働くのは辛いな、と思う。
そういうのって、私の気位の高さなのだろうか。

一昨年の秋、平均余命一年と言われた母親のこともある。
幸い元気。病状に変化無し。
父親も元気。
けれど、近い将来、いなくなってしまうことへの想いは、常時あるし、残り少ない時間をずっと付いていたいと思う。

仕事を辞める。
今までずっとやりたかったことをやる。
時々短期で働く。
この身を奉げるような給与をもらってする仕事は、今の時勢には、なかなか無いだろうから、短期が良いのかもしれない。

早起きをし、季節や天候に左右されるような労働をする。

甘いだろうか。
先日応募した某仕事は採用されなかった。
当然といえば当然だろう。
ここの会社から派遣された前職を、4ヶ月弱で辞めている前科があるのだから。

それでも面接時、「詳しいシフトは採用時の電話連絡で話し合いましょう」みたいなことも言われたので、少しは期待もしたのだけれど。
そうなると、しばらくは、今の会社で頑張らなければならない。

ということで、今、会社に電話をして、マネージャーが本日出社かどうか確かめた。
残念ながらお休みだとのこと。
けれど、副マネージャーが、何か用かと聞いてくれ、シフトの変更の件だと打ち明けると、マネージャーに伝えてくれるとのこと。感触としては悪くはなかった。

とにかく喋り通しの職場なので、今の連続シフトではとても喉が持たない。

採用以来、私は無遅刻無欠席。
苦情や案内ミスもない(他のオペさんはどうやらある様子)。
手数時間もセンター平均並になったので、そういったことを考慮してもらえたらな、と淡い期待。

けれど、本当はもう働きたくない。
というか、耕したり、困っている人をサポートしたり、といった、何か実のあることをしたいのだけれど。
実はこの本は読んでいないのだけれど、というか、この作者の出版された本は、何一つ読んでいない。
けれど、朝日の夕刊に連載中の「聖なる怠け者の冒険」が佳境に入り、断然面白くなってきたので、ネットでチェックしてみたら、作者は思ったとおり若くて、関西出身者で、幾つか発表した作品もどれも好評のようなので、こうしてレビューしています。

1/6日の主人公、小和田君の、大日本沈殿党の関西支部における演説にはびっくり仰天。今まで逃げまとっていた小和田君が豹変。実は悪の帝王だと打ち明け、打倒ぽんぽこ仮面の気勢を上げたのだから。
玉川さんでなくても「そんな馬鹿な」の展開だ。

作者は若いだけあって、言葉の使い方がセンスがあり軽妙。とにかく読んでいて楽しい。深みやもったいぶったところなど何もないとは思うのだけれど、でも楽しいだけでない何かも感じるような気もするところがポイント。

アマゾンのレビューで大絶賛の「夜は短し歩けよ乙女」、そのうち読みます。
今年はお餅をたくさん頂いたので、鏡餅を自作してみた。
鏡開きの今日、ほどよく乾燥しているその鏡餅で、カキモチを作った。
少々揚げすぎて苦くなったけれど、初めてにしてはよく出来たと思う。
何でも作ろうと思えば作れるということを再認識。

夕方、いつもアパートのリフォームを頼んでいるTさんより、携帯に着信有り。
何だろうとかけ直すと、「特に用事はないけれど、ヒマだから新年のご挨拶。就活はどうなりましたか?」と相変わらず無邪気な人。
私のような癖のあるタイプにも、全然気にせず、ストレートな球を投げてくる。
て、第一、私はお得意様なのですけれど。
けれど、この明るさは貴重。
どうもありがとう。

Tさんによると、彼が関係しているアパートでは、家賃未納者が多く出ているとのこと。
やっぱり相変わらずどっぷりと不況だよね。

203号室は、一部未入金だった12月分と1月分の両方を払ってもらえたけれど、来月分はどうかな。
仮に失業中だったとしても、まだ若い女の子だから、就職先はいくらでもあると思うけれど、何か思いつめそうなタイプだし、諸々心配。

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