6月24日の日記

2007年6月24日
昨日、Kさんが明け方にぼーっとネットをしていたら、変なサイトに入ってしまい、クリックしたら、「会員になりました!」みたいな画面が出て、おまけに、「あなたのプロバイダ:ぷらら・・・」みたいな個人を識別出来たような画面も出たので、あせって、友人に電話をしたところ、「そこに電話をして取り消したほうがいいよ」(-_-;)みたいなアドバイスを貰って、電話をしてしまった、とのことだった。

で、電話をしたら、番号を通知しないと繋がらない電話だったので、通知して電話をした、とのこと(-_-;)
先方は、会員取消料が数万円かかる、などと言うらしい。
で、ここで、彼女も冷静になり、もちろん住所氏名などを言う事なく、電話を切り、警察やぷららに相談。
「無視してください」とのアドバイスを貰った。

それにしても、最初の画面には、アコムなどの消費者金融のバナーも貼られていて、ようするにお金がなかったら、ここで借りなさい、ということらしい。騙すほうも色々考えているよね。

普段冷静なKさんだけれど、昨日は珍しく興奮して喋っていた。
これから歳をとっていくと、ますますお互いに騙されやすい状態になっていくわけで、結婚とか子供とかも、こういう時の為にもあるのかなぁ、と少し反省。
ネコじゃ相談できないし。

6月21日の日記

2007年6月21日
今日は両親を連れて、銚子・飯岡方面までドライブ。
先日、予行練習?をしていたので、道は分かっていたが、やはり遠い。何回かのコンビニ休憩を入れると、片道3時間近くかかった。もっと良いルートはないのだろうか。

ドライブの目的は牡蠣。
現在、飯岡は牡蠣祭りを開催中。
この辺は、波が荒くて、海岸の浸食が激しかった為、波消しのブロックを海岸線に埋めたところ、以来、牡蠣が取れるようになった、とのこと。
牡蠣と言えば、Rの付く月が旬、みたいな感じだけれど、産卵前の今頃が、この辺りでは牡蠣の季節みたい。

天然物。
大人のこぶし大。
普通の牡蠣の10倍ぐらいの大物。

母親は、もともと、ずっと以前から食べたい、と思っていたようで、先日、新聞記事で見たのをきっかけに、”食べたい!”を連発していたので、連れて行くことに。

やっぱり大きな牡蠣でした。
ただ、宿泊組合から紹介された、ランチをやっている民宿というのが、実は、数年前、父親と母親があんこう鍋を食べに行き、「あんまり良くなかった」と、未だにグチをこぼしている所で、今日、民宿の前まで行って、はじめて気がついたというのが、皮肉な偶然。
あの時も、やっぱり宿泊組合からの紹介だったのだそう。

今回の牡蠣のコースも、小食の私達でさえボリューム不足を感じるほどの、量の少なさ。
味付けは悪くはなかったけれど。

来年は、別の所にしよう。

千葉は良いかも。
穏やかで、魚は美味しく、気候も温暖。
ただ、同じ千葉県の北部エリアから行くとなると、不便と言うか、東京駅から急行か何かを利用したほうが、かえって近いような。

でも、また来年行きたいかな。

6月19日の日記

2007年6月19日
東京の家に、地デジアンテナ対応のテレビがいよいよ来た。
何かすごい多機能。
番組表とかも出るし、電話線と繋いで、双方向のアンケートみたいなものにも答えられるみたい。
地上波、BS、CSと色々あって、どこかしらで何かしらの映画とかやっているから、見続ければ、英語も進歩するかも。

古いテレビは、「リフォーム屋さんにあげる」とのことで、電器屋のおじさんが、持っていったのだけれど、リモコンをテーブルの上に置き忘れていった。
この人は何かしら忘れていく。

すぐにリフォーム屋さんから電話。
後で取りにくる、とのこと。
ガスメーターボックスに入れておいた。
皆、近所の商店街の人達。
こういう関係は、やはり何かほっとするかも。

私の留守中、弟が子供2人を連れてきた。
母親は、なるたけ彼らに手作りのものを食べさせたいと思っていて、この日も私がカボチャのスープを作っておいたのだけれど、U君が”ウナギが食べたい”とのことで、イオンで買うことになった。

Kちゃんの誕生日プレゼントを買うついで。

弟は、結局、1パック千円のウナギを人数分5人前買ったのだけれど、このことに関して、母親は立腹。
確かに5人だけれど、子供は幼稚園児と小学校4年生なわけだから、人数分はいらない、第一1パック千円!、と怒っている。
まぁ確かにその通り。
Kちゃんの誕生日プレゼントも千円ぐらい、と言っていたのに、結局3千円以上。それに関して弁明もない。
ただ、問題は、値段うんぬんより、「高いものを買ってごめんね☆」みたいな態度が全然ない、ということ。
当然のごとく払わせ、そして、おそらく、弟は、私達を嫌っている、というか蔑んでいる。
そのくせ、世間体の配慮で、表面上はお付き合いをしている感じ。
そして、お金はしっかり払わせ、お礼もない。

身内だし、金銭的な援助だって、出来る限りのことはしてあげたいと思うけれど、もっと素直に、「お金がかかって大変だから、少し援助して☆」みたいに言えばいいのに、そんな態度はない。
すごく無礼だ。

今度は、Aさん(お嫁さん)の誕生日に礼服を買って!と言ってきたのだけれど、まず僕達2人で出かけて決めてくるので、そうしたら、そっちへ言うから、買って欲しい、とのことだった。
これもこちらとしては、面白くない。
「Aさんとは、弟抜きで買い物になど行ったことは一度もないから、Aさんと自分とあんた(私)と三人でデパートにでも行って一緒に買いたい」と、母親は言っているので、そのことを近々Aさんにメールしなければならない。

ここのうちは、総てにおいて夫唱婦随。
金銭的なこと、子供の教育、旅行の行き先、など、すべて弟が仕切っているよう。

けど、礼服を買うのなら買うで、”僕達2人が先に行って決める”などではなく、皆で買いに行く。出来れば弟抜きで。

6月17日の日記

2007年6月17日
社会保険庁が連日、under fire 状態で、確かにその仕事ぶりを考えると、それも仕方がないのだけれど、ただ、どうなのかなぁ。今まで、チェックしないで放っておいた国民側にだって、少しは自己責任もあるかと思う。
お金払って頼んでいる民間企業じゃないのだから、将来年金を貰いたい、と思ったら、自分でだって、時々チェックしなければ。

そういう私だけれど、お察しの通り、支払った年金の領収書は全部あります。20年、さかのぼって。
転職だとか、年金番号が統一された時とか、年金が払えなくて免除の申請をした時とか、節目節目に社会保険事務所にも出かけていって、ちゃんと正しく登録されているか確認してきたし。

年金が払えない時なんかも、そのままにしておくと単なる未払い扱いだけれど、免除の申請をすれば、ちゃんと支払った月にカウントしてくれる。こういう情報なんかも、公報とかを読めば、一応周知はしているのだけれど。

年金はこのままでは、絶対破綻するのは、私のような素人にも分かるし、これを機会に色々改革するのは、良いことでしょう。

それにしても、私のこの細かさ。
これは、生まれつきなのか、育った環境なのか、それとも前世の因縁? 一度誰かに分析してもらいたいかも。
DVD ギャガ・コミュニケーションズ 2007/08/03 ¥3,990 1958年ニューヨーク。ファッション写真家の夫アランのアシスタントをしていたダイアンは、スタジオのあるアパートで開催されるショーの日、同アパートに引っ越してくる人物を見かけた。体はマントで、顔は帽子と布で覆い隠している男に目を奪われる。彼の名はライオネル。彼のことが気になって仕方がない彼女は、カメラを持って何度もライ…

昨晩、渋谷で観て来た。

というか、もともと単館公開なので、ここだけでしか観れないうえに、いつの間にか、20:45分の回しか上映されてなくて、おまけに、今日、金曜日まで。
夜の外出は気が進まないのに・・・、雨降りなのに・・・、と、萎える気持ちを何とか鼓舞して、出かけてきた。
結果は・・・観に行って良かった。
何だろう。はまる人にははまる作品だと思う。

もともと男性には障害があって、おまけに不治の病で余命数ヶ月。階下に住む美貌の人妻とのプラトニックな愛・・・って、ストーリーもかいつまみ方によっては、まるで韓国ドラマみたいになるけれど(笑)、もちろん、これはそういう作品ではありません。

「毛皮のエロス」という邦題の”エロス”の部分は、日本独自。
フリークがたくさん出て来た、風変わりな設定だけれど、エロスは違うかも。

この”不治の病”の男性、ライオネルは、変わった性癖の持ち主だけれど、基本的に彼は、観るだけ、聞くだけ。自分は拘わらない。
だからこそ、ラスト近くのニコール・キッドマンとのシーンが、活きてくるのだと思う。もっとも、この場面でも彼は、キッドマンを見つめていたけれど。

そして、ニコール・キッドマンの圧倒的な美しさ。
この美しさが作品の説得力を増す。

この作品は、この2人以外の配役は考え付かないかも。それほど、キッドマンもロバート・ダウニー・Jrも良かった。

色々と説明不足もあるような気がするけれど、でももう一度観てみたいピュアな”ラブストーリー”。

それにしても、性癖は違うけれど、自分もいわば世間とは違う人間なので、身につまされる。

6月13日の日記

2007年6月13日
昨日は、洗濯、掃除、料理の他、何もせず。
料理は、グリーンピースとエビの炊き込みご飯、にがうりと大根、人参などのおみよつけを作った。後は、まぐろのお刺身、それからデザートは甘夏。
今日は、昔ワンピースを縫った端切れを使い、枕カバーを縫うつもり。何とか午前中には仕上げ、午後からは映画に行こう。レディスデイだし。

携帯の着歴に、電器屋さんから。
かけ直すと、「えーと。お約束は今度の月曜日でしたっけ? それから、請求書の送り先はどちらに・・・?」みたいなことを言っていた。

だいじょうぶだろうか(-_-;)
請求書は千葉の家に送ってください、と、紙に大きく住所も書いて渡したはずなのだけれど。約束の日だって、大きく18日(月)朝
9時と書いたはずだ。
また電話口で住所を言うことになってしまった。うちの住所、団地名とかあって長いから、ちゃんと聞き取ったかなあ。
不安。
職人だから、仕事の腕は確かだけれど、こういうぬけがあって、やはり何でも皆、良い点・悪い点があるよね。

さて、枕カバーを縫おう。
花柄の木綿のサッカー地だから、涼しげ。

三連続up

2007年6月12日
My car radio doesn’t work on FM, i can play Cd’s, and listen to AM stations. What would cause this?

私が毎日”努力している”ことのひとつが、アメリカ版ヤフーのホームページを見る、ということ。

特に”answers”のページは、楽しい。
日本版のタイトルは、ヤフー知恵袋?だったと思うが、ようするに、誰もが皆、質問して、それに色々な人が答える、というもの。
口語だから簡単だし、非常に勉強になる。英語の。

上記の文も、ある女の子の質問から。
簡単な文章だと思うけれど、ポイントは、What would cause this?のwould。
何が原因か分からないのだから、あいまいにぼかして、いわば仮定法的な用法だと思うのだけれど、こういったwouldだとかcouldというのは、日常茶飯事的に使われていると思うのだけれど、学校英語では全然重要視されない、よって、学校英語しかやっていない日本人は、苦手、というより、その重要さに気がつきさえしないのが不思議。

仮定法の敬語的な側面には、敬語に敏感な日本人は気がついているみたいだけれど、遠慮だとか、配慮だとか、ためらい、だとか、自信のなさだとか、もっと、いろいろな要素があるみたい、なのだけれど。

answersとか、毎日読んでいると、そのての感性が分かるような。

谷中あたり

2007年6月12日
谷中あたり
昨日は本郷三丁目駅で降りて、しばし散策。
三四郎池、根津、谷中、谷中商店街、千駄木、と歩いてきた。

写真は、台東区谷中1−7−36、延寿寺のあたり。
三叉路、です。
周りは、ひたすらお寺ばかりで、谷中はどこもそうなのだけれど、この辺りは特にまるで明治時代にタイムスリップしたかのようで、奇跡的に昔が残っている感じ。夏目漱石が歩いていそう。
あと、私は何故か、三叉路とか五叉路とかに魅かれる。自然発生的だから、だろうか。

家事をしてから出かけたので、夕方で、お寺も美術館も閉まっていたのが、残念だったけれど、このお散歩は良かった。

細い路地、昔ながらの個人商店、急な階段、ハカマ着用の怪しい?白人の日本画家の店、路地裏の猫、クチナシの生垣、そして、お寺からは読経の声・・・。

今度は朝早く行ってみよう。

十二支のかたち

2007年6月12日 読書
ISBN:4002602141 単行本(ソフトカバー) 柳 宗玄 岩波書店 1995/02 ¥1,223

まだ前書きしか読んでいないのだけれど、非常に興味深かった。

十二支の子・丑・寅・卯・・・という漢字なのだけれど、子にはネズミなんて意味はないし、丑もウシじゃない。寅もそう。

これはどういうことなのか?

それは、つまり、昔々、中国ではもともと、月名にこの十二支が使われていて、子は11月、そして丑は12月、といったような風だった。 
それが、時代が下がって、どこの文明もそのようなのだが、実務上便利な為か、月名は、1月、2月、3月、という風に呼ばれるようになり、十二支のほうは、十干などと結びつき、今のように使われるようになった、とのこと。

また、その月を象徴する動物という概念も、時代を下ってからで、もともとあった、子・丑・寅・・という月名に、いわば当て字としてあてたにすぎない、とのことだった。

長年の疑問がひとつ解決。

こんなふうに、本当にその分野に詳しくて、そのことが好きで好きでたまらない、みたいな人による本は、難しくてたとえ総てが理解できないにしろ、読んでいて楽しい。

最近は本もデフレ状態なので、この手の本に出合うことはまずないのが残念。
昔の作品で、なおかつ今に残っているもの、というのは、やはり良いものなのだろう。

6月11日の日記

2007年6月11日
今日は、9日間のお休みの5日目。
中日だ。
で、私は、お休みの間中、何をやっているかというと、ほとんど何もやっていない。近所のモーター屋さんに行ったり、図書館に行ったり、ゴミ捨て場のようになっている父親の部屋を掃除したり(母親の我慢の限界が来ていたので)、着物の整理をしたり。
あとは、ひたすらおさんどん、というか料理。

例えば、天婦羅うどん。上にのせた天婦羅は、青じそ、ししとう、たまねぎ。自分で揚げたのだけれど、挙げたては、手抜きで作っても美味しい。

豚の角煮。これは、ナンシー関の得意料理とかで、彼女のアドバイスを思い出し、ひたすら油の除去につとめた。

マンハッタン風?クラムチャウダー。クリームタイプではなく、トマト味のクラムチャウダー。サワークリームも入れたので、とてもさっぱりしていて、美味しかった。

キムチ汁。キムチが残り少なくなったので、キムチの入っていた容器にお湯を足し、よく振って、無駄なく使った。発酵タイプのものなので、酸っぱくて美味しいキムチ。冷蔵庫の中にあった、小さくなったキャベツの芯なども、よく煮込み、無駄なく総て使い切った。

あとは、海苔の佃煮なんかも作った。”海苔がしけていて、食べられない!”と、母親が言うので、醤油、みりん、砂糖で煮てみたら、ちゃんと佃煮が完成。何でも自分の家で出来るんだな、と改めて思う。

別に、遠くに出かけなくても、そして、これが大切なのかもしれないけれど、”自分で工夫をして”すると、すごく満足感がある。

今、私達は、消費にしろ、趣味にしろ、そして人生や生き方や、もっと高尚なことにしろ、何ていうか、情報過多で、追い立てられているような感がある。
テレビコマーシャルなどで、消費をうながしているものは、分かりやすい。
けれど、あっちにもこっちにも旅行に行きたいとか、もっと発展した交友関係を築きたいとか、もっと向上してもっと人生を有意義にしなければ、とか、そういうのも、もしかしたら、単なるコマーシャルに踊らされているのと変わらないような気もする。
根本にあるのは、”もっと! もっと!”という、飽くなき飢え。

もちろん向上心は大切、とは思うけれど。

そんな訳で、最近私はやっと、自分なりのやり方が見えてきた。
他人が何て思うか、なんてかまわない。
自分が本当に好きな事をやる。
別に、人生有意義に過ごそう、なんて思わない。
少し、努力して、出来る範囲の場面では、努力する(例えば、ここ最近の努力目標は、毎日、掃除機をかける)。
(あとは、両親に経済的には、不自由させない)

それで、よし、とする。

6月10日の日記

2007年6月10日
昨日は、銚子方面までドライブ。

296をひたすら東へ向かったのだけれど、途中、”広域農道”というのを見つけ、こちらを辿った。
右も左も田んぼで、文字通り、農道。田んぼの真ん中を開いて出来た道。
信号もないし、交通量も多くはないし、60キロぐらいで、かなりとばせた。

けど、農家の人とかが、道路を横切る時は、どうするのだろう? ネコグルマか何かを引いて、渡るとしたら、何か命がけな気がする。交通量も多くは無いといっても、引っ切り無しにあるし。

私は、こういう道でも、制限速度は守りたいタイプなのだけれど、後続車の手前、とばさざるをえない。
都会の運転も怖いけれど、田舎も怖い。
徒歩のお年寄りとかには、特に住み辛いだろうな、と思う。

一応、ドライブの目的は、某美術館。
知人のお父さん(故人)の作品を集めた、私設のもの。
「父は、ハンサムで素敵で、私、大好きだったの!」と、彼女は言っていたけれど、なるほど、彼女には、そういう幸福な家庭で育ったイメージがある。
60歳ぐらいで独身だけれど、とても明るく、良い雰囲気。
幸福な子供時代、だけの理由ではないだろうけれど。

6月9日の日記

2007年6月9日
6月9日の日記
昨日、近所の駐車場に咲いていたものを撮影。
ワルナスビという名前の雑草。
感じで書くと、悪茄子?
ナスに似た紫色の花なのだけれど、トゲがあって、もちろん実もならないので、ついた名前だったと思う。

雑草も色々バラエティがあって、気をつけてみていると、楽しい。

小学校1年の時、初めて自分のお小遣いで買った本のひとつが、植物図鑑。ホトケノザとか、カラスノエンドウとか、オオバコとか、道端に何気に生えている草の名前を覚えるのが、好きだった。あと、効能というか、クスリになる草、食べられる草、を覚えるのも。

小さい頃好きだったこと、というのは、強いのだそう。
自分は元々何が好きだったかを思い出して、やってみるのもよい、とのこと。
確かにそうかも。

6月8日の日記

2007年6月8日
昨日は、モーター屋さんに行って、折れたアンテナを付け替えてもらう。ここのうちは、ご主人と息子さんの声が似ている。

電話で段取りをつけてから、出かけたのだけれど、出て来たご主人は、「今日はどうしました?」。
てっきり、自分は、電話で、ご主人と話していたつもりだったのだけれど、息子さんだったよう。

声だけでなく、顔も似ているのだけれど、この60歳ぐらいのお父さんのほうが、遥かにいい男かもしれない。単なる私の好み、ということではなくて。

よく似ているだけに、ちょっとした違いで、印象が分かれるのが不思議だ。
人の人気・不人気、お客様を怒らせたり・大丈夫だったり。
そういうのも皆、ちょっとした微妙な点で違ってきたりするのかも、と思う。
「誰でもそれなりの英語が喋れるようになる本」だけれど、実は、懲りずに、少しずつ、書いていたりしている。
で、先日は、某出版社に、「企画書案」などを送ってみたりもした。←無謀
そしたら、親切にも、わざわざ丁寧な返事が、メールで送られてきた。
「わずか1ページの企画書では、よくわからない。もっと具体的なことを書いてきて下さい。ただ、英語学習本はたくさんあるから、難しいですよ」とのこと。

今日から、実は、9連休。海外旅行にも行かなくて、近場で色々楽しむつもりだから、案外濃いものになるかも。
晴れた日は、外に出て、雨の日は、”執筆”しよう! うん。

6月4日の日記

2007年6月4日
昨日は、H(ぱんだ)のちょっとした一言が勘に触り、それでもにっこりと「お疲れ様!」と言って、一人で帰ってきた。
体の調子が悪いと、機嫌も悪くなるので、早く回復しよう。

ネットサーフィンをしていたら、「山口県光市」の事件についてのブログに偶然行き当たる。
私は、あの事件については、見たくもない、聞きたくもない状態なので、現実世界では、まったく触れない。
だから、ちょっとここで吐露。

見るのが耐えられないのは、あの被害者の夫。
横田めぐみさんのお父さんについても、似たような感想があるのだけれど、私などと違って、まっとうに生きてきたはずの人の人生が不幸な出来事をきっかけに、すっかり変わってしまったのを見ることが、とても耐えられないのだ。

あの夫は、事件以来、寝ても覚めても事件のことだけで、何だろう、確かテニスか何かだったと思うのだけれど、「事件以来、もう止めてしまった。犯人が極刑になるまでは、僕は、そんなことを楽しんではいけない、楽しいことをして笑ったりしてはいけない、と思ったりするのです」、みたいなことを言っていたりして、私には、そういうことがとても耐えられないのだ。
一人の人間の魂がruined されるというか、仮に犯人が死刑になったとしても、彼はもう回復しないだろうな、というのが、とてもとても辛い。

また、今回のことにしても、この夫が一生懸命頑張ったから、1、2審の判決が覆りそうなわけで、そんなことで変わる判決というのも、私には何かイヤだ。
結局、自分は人間が大嫌いなのだと思う。
とても興味深い生き物だと思うけれど、弱くて、脆弱で、傷つきやすく、いつまでたっても、完全なものになんかなれない。

すごく嫌だ。

すみません。何か攻撃的。
やっぱり、早く風邪、治そう。
4日程前から、今度は風邪をひいてしまい、具合が悪い。何よりの心配は咳。一度出始めると、風邪が治っても咳だけが残り、一ヶ月も激しく咳き込むので、肋骨に激痛が走るほど。

こういうのは、咳喘息といって、本当の喘息ではないのだけれど、若い女性に多い、とのこと。普通の咳止めは効かず、気管支拡張剤とか、喘息のクスリが効くらしい。
来週から、やっと恒例の春休み(もう春じゃないけど)が9日間ほど取れたので、何とかそれまでに治さなければ、と思う。

ワンピースは、どうにかスカートに治した。
他にもお針仕事はたくさんあるけれど、休みの間中、ミシンがけじゃ、つまらないし。

下記は、築40年とかの物件を中心に扱っている、不動産屋さんのホームページ。
世の中には、こういうおんぼろ好きなお客も多い、とのこと。
確かに。
私も、新築よりも、古くて味のある建物に魅かれるかも。
色々手の入れがいもあるしね。

http://www.onboro.net/

6月1日の日記

2007年6月1日
昨日は天気予報が外れて綺麗に晴れたので、地デジのアンテナも無事に上がった。 
夕方からは雷雨になったし、今日も朝のうちは雨が残っていたので、雨うさぎの私の割には、ラッキーだったかも。

電器屋のおじさん(というか、おじいさん)は、もう一軒約束があるとかで、お昼過ぎに2時間程いなくなったので、おじさんが持参した試験用のテレビで、色々と見る。
BSアンテナ、そしてアナログ放送のアンテナもまだ上がっているので、従来放送、BS、地上波デジタル、CSなど、盛りだくさん観られる。

地デジ番組は、番組情報というボタンを押すと、その番組の説明が出てくるので確かに便利。
けど、お年寄りには少々難しいだろうなぁ、という気もするし、ここまで便利なのもいらない気もするし、何なんかなぁ。

台風の後など、テレビの移り具合をチェックする意味で、大家が、地デジ対応テレビを持ってないことには始まらないので、この電器屋さんから、20Vのものを購入することにした。

量販店で買うのと違って、値段はもとより、ポイントも付かないし、クレジットカードも使えないし、大損なのだけれど、電話一本で、いつでも駆けつけてくれる、”生身の”電器屋さん、というのは、今時貴重なので、やはり貸しは作っておいたほうが良い、ということで。

ただ、こういう電器屋さんも、もはや絶滅品種。
20年後にはいないだろうなぁ。

5月30日の日記

2007年5月30日
やはり以前、Mから貰った、古着のワンピース。
クラシックな感じで好きなのだけれど、身頃の布が薄いので、着ていて落ち着かない。

スカートに改造しようと思い、近所のイトーヨーカドー内のリフォーム屋さんに聞いてみたのだけれど、やはり、任せるには一抹の不安。
ガラス張りの作業所内では、大勢の女性がミシンがけをしていたけれど、腕は確かかなぁ。
皆、求人広告で雇われたパートだろうし、玉石混合というか、良い人に当たればいいのだろうけれど。

仕方が無い。
自分でやろう。
明日は雨だし。
地デジアンテナ工事も中止だろう。

お針は苦手だけれど、でも何かを作るのって、楽しい。
買ってきたものでも、自分で刺繍とかして、手を加えると愛着がわき、大切に使うようになると思う。
服でも食べ物でも何でも、簡単に安く買うと、満足感が得られず、更にもっともっと買わずにはいられなくなり・・・、みたいな感じなのかも。

明日はやはり、ミシンの前に座ろう。

5月29日の日記

2007年5月29日
昨日は上司とちょっと話す。
たまたま彼女の機嫌も良かったし、私も調子が良かったのか、うまく話し合うことが出来た。

ただ、その中で、「椿美さんのようにメンタル系の病気を抱えているにも拘わらず、頑張っている人がいるのに、そうでない人達もいて・・・云々」には一瞬ドキリとする。

私が色々と体調を崩して、メンタルブレイクダウンを経験したのは、もう7年も前のことなのに、ちゃんと覚えているんだな、と反省。
あの頃は自分は無邪気というか、考え無し、というか、弱音を吐きまくりで、誰彼かまわず、思った事を口にしていたから。

他人とは距離を置こう、と決心したのは、つい最近のこと。
天気の話しとか、食べ物の話しとか、無難な話題を喋り、踏み込んだことは言わない。

困っている人がいたりすると、ついつい余計なことを言ったり、おせっかいをやいたりしがちな私だったけれど、世の中、困っている人や困っている状況はキリがなくあるし、また自分には人助けを出来るような力量も無いし。
だから、余計なことはせず、定型文なような台詞を、でも心をこめて言うようにしよう、と思う。

でも、こんなのは当たり前のことで、皆もっと若い頃に悟ったんだよね、きっと、と思う。

まぁ今からだって遅くない、と思うことにしよう。

5月28日の日記

2007年5月28日
ヤフオクで品物が売れると、落札者のメルアドが知らされるので、後は、お互いにメールでやり取り、みたいな感じだったのだけれど、それが最近変更された。

ヤフー側が、専用の掲示板みたいなものを提供して、そこでやり取りをすることになった。

これって、つまりヤフーが、落札後の出品者・落札者間のやり取りをも把握することだよね。
トラブル防止に役立ちそうな反面、何から何まで、ヤフーに知られているようで、ちょっと嫌かも。

昨年、Mから貰った「全力ウサギ」、ヤフオクで無事落札。
癒し系の、のほほんウサギが一念発起して、ガテン系に転進。
眉をきりりと描き、毎日全力で頑張る、というお話し。
何故、Mが、これを私にくれたかは不明。(ちなみに、私もうさぎと呼ばれている・・・)

他人から貰ったものは、年数がたつと、手放せなくなるので、この辺で処分。
それで良しとしよう。

< 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 >