今度は103号室

2007年1月12日
ちょうど出かけようとした時、電話が鳴る。
母親が出て、
「よく分らないから、代わって頂戴」と言われ、代わると案の定、今度は103号室の新規入居者の女の子。何か嫌な予感。

でも、まずは、
「はじめまして! 渡辺です。よろしくお願いします!」
と、大きな声で挨拶。初めの一歩は成功。

「あのう。洗濯機に繋ぐ水道がありますよね。あの蛇口が変なんです。漏るんです。」(女の子)

「すみません。それでは、今から業者さんを手配しますので」(わたし)

「今日中に来ていただけますか? 私、今日ならいるので」(女の子)

「いえ、今すぐ手配はしますが、申し訳ありませんが、今日うかがえるかどうかは分りません。取り合えず、手配をすぐさせて下さい」(わたし)

女の子はめちゃくちゃ強気で、何だかシドロモドロになったけれど、内装工事のTさんは相変わらず頼りになり、すぐに行ってくれて、知り合いの水道屋さんを手配してくれ、何とか事なきを得た。

でもね。
この女の子、某大手宝石チェーン店にお勤めなのだけれど、例えば、私が、そのお店の大得意かもしれない、とか頭に浮かばないのだろうか。
それに、大家と店子というのは、どちらが立場が上なのか微妙な所だ。
もうちょっとbehavior には気をつけたほうがいいと思う。

私もなんとか、
「築18年だし、家賃も下げたし、もちろん修理のほうは誠意を持ってさせていただきますが、ご不便な点があっても、どうかご容赦を」
と、言っておいた。
感じよく、でも舐められないように。
大変。

1月11日の日記

2007年1月11日
ダイアリーノート、配色を少しいじっています。
まだ変わると思います。

「トウィンクルさんの店」(高柳佐知子)が、ネットオークションで無事、落札された。
当時の定価の10倍を上回り、少々後ろめたいけど、大事にしてくれるだろう。
30年近く前の、少女向けの絵本。
今でも大好きな人がいるんだ、ということを改めて知った。

オークションをぼおっと眺めていると、下手にマーケティングなどするより、余程いろいろな事が分るのに、と思う。
何が売れて、何が売れないか。
時代を超えて残るもの、残らないもの。

ともあれ、私には高柳佐知子は、もう必要はない。
いつまでも、その世界に留まっていられるような人であったら、という気もするけれど。

1月9日の日記

2007年1月9日
昨日は、不動産会社から電話がかかって来て、嫌な予感。
新規入居者を2人、抱えているので、大抵、入居直後は色々と注文が多く、ちょっと面倒なのだ。
案の定、102号室の男の子から、「お風呂場のお湯がよく出ない」との申し出があったこと。

「え? ユニットバスは新しく交換したばかりなのですけれど」(わたし)
「そうですよね〜 どうしましょうか?」(不動産屋さん)

・こちらからガス屋さんに電話をする
・本人に直接電話をしてもらう

など、色々な選択肢が頭をよぎって、一瞬どうしていいか分らない。
ここは会社じゃないのだから、分らなくても相談出来る上司はいないのだ。そういう意味で、組織の一員って、やっぱり楽だよね。

結局、まずはご挨拶も兼ねて、ということで、本人に電話をしたら、ねぼけ声の若い男性が出て、
「あー、水に比べてお湯がほんの少し勢いが足りないようで・・・で、ちょっと質問というか、してみたんです」
とのことで、一安心。
ていうか、そんなんでいちいち電話しないように。
しばらく様子を見てください、と言っておいた。

案外感じも良く、この男性は、家賃や入居日を手厳しく値切ったり、他にも色々とチェックが厳しく、不安だったのだけれど、ほっとした。
築20年の物件なんだから、家賃だって下げたんだから、現状で我慢してよね。

しばらくは忙しい日が続くと思う。
ちょっとため息。

ところで。
こういう時代だから、家賃の交渉は当たり前かもしれないけれど、あまりに手厳しくしないほうが良いと思う。
大家さんとは、これから長いお付き合い。
修理だとか、色々お世話になることが多いのだから、程ほどにしておいた方が、結局は得だと思う・・・よ。

1月8日の日記

2007年1月8日
先日の、富岡製糸場に関する手記だけれど、明治のまだ5年とか6年の時期、すでに立派な工場が建てられ、全国から娘達(武士の娘)が集められ、フランスからは女性を含む技術者が呼ばれている。

ということは、つまり治安がとても良かったということだと思う。
じゃなかったら、富岡(群馬)まで、旅なんか出来なかっただろうし、またフランスも女性技術者なんか派遣しないだろう。
明治維新直後だけれど、イラクとは違っていたんだなぁ、と思う。

また、主人公は、旅立ちに当たって、祖父から、
「女性とはいえ、お国のために頑張るように。人に遅れを取らないように。お前は一生懸命勉強し、戻ってきたら、この地で新しく工場を建てた時に、他の者に教えなければならないのだから」
と、諭される。
そして、工場では、山口からやって来た少女達のほうが、早く新しい事を教わると、
「長州の人達だからといって、えこひいきしないで下さい! 私達のほうが先に来ているのです!」
と、監督者にくってかかる。

こういうところも、何か、世の中が健全に回っているというか、また、既に「お国のために」という概念が出来ているのが面白く、中国とは違うなぁ」という感想。
中国も今、急成長していて、人々は一生懸命だけれど、彼らに「お国の為」という意識は無いような。ひたすら「自分の為」だろうなぁ、と思う。
日本も、最近はそうかもしれないけれど。

列強に囲まれ、内乱がおき、すったもんだの末に新政府、新体制が始まる・・・。
日本も考えてみれば、維新の時は、ギリギリの危ない所にいたのだと思う。
江戸は灰とならなかったし、将軍は謹慎で済んだし、旧幕府関係でも才能がある人は取り立てられたようだし、日本はどうにか「上手くやった」と思う。

イラクのことも、テレビや新聞で見ても、私達が理解しているのは、ほんの表層に過ぎないと思うけれど、欧米列強がやっていることは、昔から変わらないような。
つけいられないようにするには、まず自分達も強くならなければならないんだろうなぁ。

そして、それは個人レベルでも同じなのかも。
絶えず努力し、向上し、頑張り・・・。
でも、それって辛い。
こういう風にブレルのが私の弱点なのだろう。

現代日本記録全集

2007年1月5日
現代日本記録全集 全25巻 筑摩書房 1970年発行

近所の、古い小学校を利用した、古い図書館で見つけた、古い全集。
昔の人の書いた昔の文章を、1970年に集めて、本にしたもの。
大体、1970年だって、もう昔なのだから、こういう古い図書館ででもなければ、中々見つけられないと思う。

そのうち、10巻の「明治の女性」と、14巻の「生活の記録」をざっと読んだ。

「明治の女性」には、向学心に燃え、女学校に通うことになった娘の手記や、富岡製糸場で働くこととなった娘の手記、など。

「生活の記録」には、

最暗黒の東京、
日本の下層社会、
何が私をこうさせたか、

の三作品が含まれる。

最暗黒の東京は、明治20年代、ある新聞記者が、都会の貧困の実情について知ろうと思い、みずから飛び込んで、経験し、取材した手記。
昔から、皆、同じことを考えていたんだなぁと思う。

どの作品も考えさせられることが多く、特に女性の作者の、口語体で書かれたものは、引き入られるように面白いものもあって、とても良かった。

今は貧乏といっても、残飯屋から食料を買って食べたり、文字通り「着たきり雀」だったり、ボロボロの布団1組に、数人で寝たり、そんなことは無いのだから、そういう意味では、進歩したのだと思う。
でも、代わりに、どこか他の国の人々が負っているとしたら、同じか・・・
12月は、ふと思うところがあって、自分なりに「お客様応対マニュアル」を変更してみたら、すごく成績が上がった。
私はベテランなので、いわばもう、すっかり「出来上がって」いて、成績向上なんて無理、と思っていたけれど、やれば出来るのですね。
ちょっと驚いた。

心がけたのは、

? ゆっくり話す、
? 分りやすく話す、
? シンプルに話す、
? 要領よく話す、
? アナウンサーのように、滑らかに話し、言い間違えない、
? 低い声で話す、
? 自信を持って話す、
などなど。

お年寄り客は、高い声は聞き取りにくい、というデータがあって、私の声は、日本人特有のアニメキャラみたいな声なので、少々変更。
それに、そろそろ、深い喋り方に転換するべき年齢なのかも。
第一、英語を喋る時は、そのほうが合う。

ベテランなんて言葉の更に上を行く程の大ベテランで、だらけた態度の私だったのだけれど、今年はもう少し頑張ってみよう。
年賀状に書いた言葉のように、「ちょっと猛進」が今年の抱負。

12月31日の日記

2006年12月31日
昨晩、テレビをつけたら、久米宏が出ていて、自分が小さな頃住んでいた地域を訪ねる、みたいな事をやっていた。

京急線の新馬場駅の近く。
ここで、小学校1年から3年まで暮らしていたのだそう。

すっかりはしゃいでいて、子供に戻ったような表情で、そのくせ、歳をとった感じの久米宏が何だか興味深かった。

来年には壊すそうだけれど、その当時の家がそのままあったのには、びっくりした。
大家さんの息子だの、同級生だのも、変わらず近所に暮らしていて、何か、東京の中の田舎、みたいな感じがした。
バブルも無縁のエリアだったのかな。

この辺りは、うちの祖母の実家があったところ。
お墓がある、海徳寺も出てきた。

高級住宅地じゃないし、かといって、浅草みたいな下町でも全然無い。
大体、品川は「江戸」じゃないし。
だからこそ、百年変わらず、みたいな雰囲気が、町に残っているのかも。

何十年でも何百年でも、変わらない何かが欲しい。
いつも同じで、いつも変わらず、いつもそこにある何か。

人は数十年でいなくなってしまう。
だからせめて、その子孫だとか、お寺だとか、町並みだとか、風俗だとか習慣だとかは、ずっと続いていけば、と思う。

今は何でも、文字通り「あっ」と言う間に変わってしまって。
おまけに、コンピュータでデータを変えたりすると、その痕跡すら残らない。

こういうのって、特に歳をとると、辛い。

そういう訳で、終わりなき何かの目出度さをお祝いしたい、と思いつつ、新しい年も、just around the corner に来ていて、いい加減、この負のスパイラルから、抜け出したいなぁ、と思う自分です。

だけど、四方総て崖っぷちの感じ。
こうなると、誰か上から、蜘蛛の糸でも垂らしてくれるのを待つ、しかないのかもしれないけれど、そういうの、イヤなのです。自分は。

どうしようもないよね。

12月30日の日記

2006年12月30日
2日に弟たちが来るので、掃除をしたり、テーブルクロスを買いに行ったり、出前のお寿司の手配をしたり、お雑煮の準備をしたり、結構というか、すっごく忙しい。

母親は歳のせいかすっかり「戦力外」だし。
それどころか、小さな子供がいるようで、邪魔ばかりして、とんちんかんで全然、役にたたない。
しかも、「あれをやれ!これをやれ!」とうるさい。

「私達(私と父親)は、あなたの召使いじゃない!」
と言うと、
「自分は年寄りで、あんたは子供なんだから、当たり前、また、父親は気が利かないから単純作業をやらせ、自分が指図するのは当たり前、」
なのだそうです。
へいへい。

ああ。
お雑煮も面倒くさいかな。
うちのお雑煮は、東京風のおすまし。
干ししいたけ、ゆず、三つ葉、ナルト、鶏肉、で作る。
鶏肉は甘辛く、干ししいたけは醤油でべつべつに煮て、お椀の中で最後に総ての材料を一緒に入れ、上から、しいたけの戻し汁で作ったお澄ましをかけるタイプ。
さっぱり、上品だけれど、少し手間がかかる。

銀座の交差点の裏辺りにある甘味屋さんのお雑煮と同じ種類。

母親に言わせると、「大根やニンジンとグツグツ煮て、お餅も放り込めば簡単だ」そうだけれど、作るんならちゃんと作りたいし、作らないなら、まったく辞めにしたい。

この辺りの私のこだわりと、母親のそれとは、永久に平行線。

でも私が間違っているんだよね、きっと。
数ヶ月前、某地方のコールセンターが閉鎖されて、幾つかの地方のお客がうちに回ってくるようになった。

そろそろ、やっと慣れてきた・・・と言いたいけれど、ぜえんぜん慣れません。

大体、「イ」と「エ」の区別がつかなくて、あの辺りの人は、どうやって日常生活を送っているのだろうか。
「いど」も「えど」も、「いだ」も「えだ」も全部同じです。
何を言っているのだか、さっぱり分りません。

文字確認をしようにも、漢字が分らない人が多い。
クサカンムリとか、リッシンベンとか、コザトヘンとか、通じていないし、それ以前に、一回で聞き取れないと、気が違ったように切れる。

「海に近いエリアの年寄りは特に切れやすい」という説もあって、異常におっかないお爺さん、お婆さんも多い。
この「おっかないお婆さん」というのは、東京のお客さまには皆無なので、神経の細い私?には、ちょっと辛いです。

かといって、東京の年寄客は、上品で素直だけれど、認知症とまでは行かないまでも、理解力が80パーセントぐらい減の人が多いし。
うちの会社も、最近、インチキまがいのことをやって小銭を稼いでいるから、こういうお客様はどうしてもターゲットになる。
これはこれで、心苦しい。

そろそろ仕事、引退したい。

12月28日の日記

2006年12月28日
化粧品屋さんに行って、店員さんの薦めるままに商品を購入する人はいないと思う。
でも、病院では、皆、お医者の言うままに、薬を貰ってくる。
「素人判断は禁物」なんていうけれど、自分のことは自分が一番分るんじゃないかなぁ。

最近は皆、教育もあるし、インターネットで幾らでも症例も調べられる。必ず、自分と似た様なケースが見つかると思う。
極論を言うと、お医者に行くのは、検査をして貰うのと、薬を貰うためだけかも?

大体、私は、健康法が変。
例えば、石鹸で体や手を洗わない。
肉体労働をしているわけじゃないし、体はそんなに汚れない。
お湯で簡単に洗うだけで、充分なのでは?と思う。
洗いすぎると、皮脂が落ちて、体に良くないと思う。
また、手洗いにしても、同じく石鹸の使い過ぎは皮脂を落とすし、また、バイキンなども、総てをシャットアウトするのは無理なのだから、それらに打ち勝つ免疫力を付けるのが大事なような。
その為には、普段からある程度、汚い環境にいるのも必要かな、と。

私の場合は、この方法が、効いている。
こんなふうに、お医者の言う事を鵜呑みにするのではなく、それぞれカスタマイズされた方法をするのが大事かと思ったり。

なんて、体の弱い私が言うのも変だけれど。
ただ、私の場合、病気は、総てストレスがらみ。
普通の病気は、少ない。

病気と言うのは、
? ストレス、
? 生活習慣病、
? 感染症、
? 生まれつき、
この四つのどれかが原因というのが、私の持論。

お医者が病気を治す(他動詞)のではなく、病気が治る(自動詞)のだと思う。
日本の医療関係って、何とかする余地があるかも。
冬至も過ぎた。
何とか気分も上向きに持っていきたい。

12月25日の日記

2006年12月25日
昨日はイブだというのに出勤して、Hと帰る。

何だか回りにやたらとカップルが歩いていて、前にはお手手を繋いでいる、ちょっとオタク風な微妙に年齢層の高い男女もいたり。
「こっちも手を繋ぐ(^^)?」と、Hが腕を伸ばして来たので、思わず「イヤ!」と振り放してしまった。

いい年をして可愛げがない私。
Hは優しい娘だし、何だかここ数年、私達はとても仲がいいし、ほのぼのムードなのだけれど、馬鹿な私はこういうのは、とても照れる。
その為、その内発作的に切り捨ててしまいそうで、何だか怖い。

自分の人間関係というのは、考えてみれば、いつもこんなパターンだったような気も。
とても仲が良くなって、数年たつと、重荷になって私が逃げるという感じ。
Hは失いたくないので、気をつけないと、と思う。

Hは一応、「人妻」で、ご主人とはとても仲が良いみたい。
たまあに、のろけのようなのがポロリと出てくる。
本当は、私もちゃんと結婚していれば、お互いにのろけが言い合えるのだろうけれど、遠慮のせいか、彼女はかなり控えている様子。
これも、少々気の毒。

ただ、どうなのだろう。
いつか私は、彼女もまた失いそうな・・・予感。
「私はいかにして30代から英語を喋れるようになったか」みたいな内容の学習本を、実は密かに職場で手隙時間に(全然密かじゃない・・)執筆中だったりする。
しばらく放って置いたので、昨晩、眠る前にちょっと読み直してみた。
結構面白い。いけるかも?

自分は、30代半ばになって、必要に迫られて英語を勉強し始め、試行錯誤の末、マイマニュアルみたいなものを発明して、どうにか英語は喋られるようになった。

そして、つくづく思ったのは、やっぱ、日本の英語教育は絶対に間違っているってこと。
普通に勉強したら、”それなりに”喋れるようになるはずだと思う。
誰でも、ね。

そういう訳で、春までには何とか完成させる!・・・つもり。

バブル再来?

2006年12月20日
東京の家の近所の大手不動産屋さんから、「土地売りませんか」みたいな手紙が、この間から何回か来ている。

大分以前、隣の土地が売りに出ていた時、一緒に売れるかな、って思って、問い合わせたことがあったのだけれど、その時の記録を元に、手紙を出しているのだそう。

その時は、全然相手にされなかったのに、今は事情が変わったみたい。
「何としても、この近所で家を建てたい。投資用のアパートを探している。」みたいな人が多く来店し、かなり動きがあるとのこと。
こういった末端の不動産屋さんが一番早く流れをキャッチするだろうから、やはり景気も一部では過熱しはじめているのかも。

ただどうかなぁ。
ワーキングプアとかも、流行り言葉ではなく事実だろうし、ますます過当競争の世の中になると思う。
文明が興って七千年。
そろそろ、皆が幸せになる「システム」みたいなものが発明されていい時期だと思うのだけれど。

12月16日の日記

2006年12月16日
昨日は東京の家に泊まる。

表を掃いていたら、隣家のIさんが通りかかった。
お茶のお稽古の帰りとのこと。
「わたくし、幾つに見えます?」と、毎度お馴染みの質問なのだけれど、この日もまた、聞かれる。
八十台後半ぐらいだったかな。
ちょっと考える。

「この十二月で90になりますのよ。」
うーん
血色は良いし、こうして出歩きもするし、お掃除も洗濯も何でも、ちゃんと一人でやっているという所は、確かに凄いかも。

ケチで恥ずかしがり屋、そのくせお公家さん体質で、やんわりとした口調で他人を使うのが上手、と、祖母や母には不人気だったIさんだったけれど、でも私は、いいな、と思っていた点が結構あった。

モノを大切に使う。
生理整頓が好き。
綺麗好き。

さすがにもう無いとは思うけれど、戦前からのガスストーブを使っていたり、月下美人の花が咲くからといって、夜半に私達を招待してくれたり。
そういった暮らし方は、私は嫌いではなかった。

90になっても、少女じみていて、何だか楽しそうで幸せそう。
第一、ふんわりと良い香りがしていた。フレグランスだろうか?

「今度、是非是非お茶を飲みにいらしてね。古くからのお宅がみんな無くなって、わたくし寂しくて。」
夕飯時で無かったら、今すぐにでも呼びたいぐらいに、かなり熱心に誘われた。
春になったら、呼ばれてみようかな。

12月14日の日記

2006年12月14日
12月14日の日記
Hに上げる壷が完成。
ていうか、小学生の夏休みの宿題(低学年)なんですけれど。
まぁいいか。
ほんの少し、ニスがベタベタしている。
乾くよね?

本当は黄色も少し使いたかったのだけれど、アクリル絵の具、水色と緑と黒の三色しか買わなかったので。
黄色って、青と緑じゃなかったけ?
水色と緑を混ぜたら、黄緑になった・・・

後は、「初代・因幡のうさ太郎 作」という偽者鑑定書を作り、消しゴムで作った「う」の判子を押して、完成☆
お返しは何だろう(^^)
10日付の朝日の朝刊に、「2×4住宅保険料取り過ぎ」という記事が載っていた。
うちも2×4なので、早速、保険会社に電話して確認する。
「2×4といっても、総ての物件に当てはまるわけでは無いので、調査して後日報告する」、とのことだった。

99年に、2×4住宅は従来工法より耐火性があるため、保険会社数社は、保険料を3〜6割値下げしたのだが、継続契約者に対しては、そのことを積極的に告知せず、今までの保険料をそのまま取っていた、というのが朝日の記事の趣旨。

ある弁護士は、偶然このことに気がつき、代理店に問いただしたところ、最初は取り合ってもらえず、数日後やっとミスを認め、結局返還金は28万円になった、とのことだった。

損害保険というのも、よく分らないかなー。
生命保険などは、最近、コールセンターに電話して直接購入することも出来るみたいだけれど、損保というのは代理店を通さないと、未だ契約できないみたいだし。

この代理店というのが、大抵「有限会社××」みたいなところで、家族経営の、顧客意識が希薄な、そのくせセールスは強引な、ようするに「変な」ところが多い(私の経験上は)

某代理店のいい加減な仕事ぶりと無礼な態度に我慢できず、「大喧嘩」の末(顧客と対等に喧嘩をする、ということ自体、そもそも変)代理店を変更したばかりなので、出来れば、支社はこれ以上、煩わせたくなかったのだけれど。
代理店なんか通さないで、直接、本社あるいは支社契約に出来ると有難い、と思う。

朝日の記事が載ったのが、日曜日の朝刊。
「記事が出たばかりで、うちの方もまだ色々と確認が取れず・・」というのが支社の弁解だったけれど、なるほど、朝日もその辺りはちゃんと配慮があるんだ。
平日の朝刊に出したら、すぐに電話がかかってくるし、夕刊だったらインパクトに欠ける。
その点、日曜日の朝刊というのは、翌日の始業時間まで、保険会社に準備期間を与えるよね。
結局こんなふうに、世の中、ある意味「みんなグル」なんだ、と思い、糾弾する立場の新聞とは言え、ちゃんとこんなふうに配慮もし、・・・・うーん、何かイヤだな。
やっぱり私は子供だ。

12月10日の日記

2006年12月10日
漱石の本を読んでいるのだけれど、所々に「奥さんは女だから」みたいな表現が出てきて、引っかかっていた。
けれど、この時代に書かれた様々な本などを見ると、女と男では育て方、社会に置ける役割などが全然違っていたようなので、そういう意味での発言としたら、まったくもって、その通りなのだろうと思う。

ただ、どうなのだろう。
戦後になって、性差をもうけない方針での教育などが、50年以上行われてきたわけで、そうなって来ると、男女が生物学的に持っている、自然な違いというものが、改めてくっきりと浮かび上がって来ているようにも思う。

男がおこしやすい交通事故と女のそれとは違うし、男が罹り易い病気と女のそれとは違う。
男のおこしやすい戦争と女のそれとだって違うのでは?と思う。
そもそも、女は「戦争」なんてやらないんじゃないかなぁ、とも思う。

政治にしろビジネスにしろ、随分女性のトップが増えてきたようだけれど、そういった人達は、「男勝り」な感じが多いようにも思える。
もっと女ならではの感性の持ち主がトップになるようになったら、本当の意味での変化だと思う。

「腕力」は生きるうえでの大切な要素だけれど、そして「腕力」に「闘争心」は付き物なのだろうけれど、狩猟採集の時代じゃないんだから、様々な機械やエネルギーがある現在、もうそういったものはあまり重要じゃない、と思う。
だったら、男なんてもういらない?かも。

12月8日の日記

2006年12月8日
今日は津田沼のユザワヤへ。

津田沼は微妙にアクセスが悪くて、2年に一度ぐらい、ユザワヤへ用がある時ぐらいにしか行かない。

Hにその内作ってあげようと思っている、壷もどきの材料の紙粘土とアクリル絵の具の購入が目的。
先日朝日新聞に消しゴム版画の作り方が載っていたのに触発されて、練り消しゴムも2つほど購入。

蒲田店みたいな雑然とした雰囲気が無いのが残念なのだけれど(もっとも蒲田は街全体がゴチャゴチャしている)、ユザワヤは楽しくて、ついつい長居。
会員割引だの、特別セールだの、値段が複雑で、レジが遅々として進まないのは、あそこの改善点。

マクドナルドへ寄って、小腹を満たす。
4番レジの女の子が奇跡のように感じが良かった。
可愛くて、上品で、明るく、誰に対しても親切で、マニュアルも遵守していて、それでいて個性もあり、自然な感じ。
レジ近くの席に座って、ずっと見ていたのだけれど、全然飽きない。
ちょっと手隙が出来ると、掃除をしたりトレイを拭いたり、誰よりも良く働いていた。

ヘッドハンティングならぬテイルハンティング?なんて会社があったら、是非スカウトしたい。
お店の繁盛は、幾らかは感じの良い店員に左右されるだろうし、感じの良さは他の店員にも伝染するし、と思う。
こういう娘が報われる社会であって欲しいな。

12月7日の日記

2006年12月7日
大体、紀元前5千年ぐらい前から、文明のようなものが始まったみたい。
作物を作ったり、動物を飼ったり、交易をしたり、工芸品を作ったり。
おおよそ7000年ぐらい前。

随分昔のようだけれど、百年なんてあっという間みたいだから、そうでもないのだろう。

その前は?
ネアンデルタール人は、どうして滅びたのかな。
人類の祖先は、急に出てきたように思えるのだけれど、とにかくすごく不思議。

誰も答えられない疑問だから、とてももどかしい。

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