第三種郵便

2006年10月15日
読み終わった雑誌をヤフオクで売りに出している。
送料は出品者負担。
第三種郵便なので、送料が安く済む。

第三種郵便というのは、出版社や本屋さんだけでなく、一般の人でも利用出来るのだけど、知らない人も多いかも。
雑誌の裏表紙の端っこに小さく、「第三種郵便物認可」みたいに書いてあったら、その雑誌は第三種郵便で送付可。

電車とかに乗っていると、何人もの人が皆同じ雑誌を読んでいる、みたいなシーンをよく見るのだけど、何かもったいないなぁと思う。
一冊の雑誌は、数人の人で読まれたい。
オークションで売りに出せば、本当に欲しい人が買ってくれるわけで、雑誌も本望だろう、と。

http://www.post.japanpost.jp/fee/simulator/kokunai/tuzyou.html

葉山

2006年10月13日
昨日は、葉山。
国際村という研修センターがある新しいエリアからスタートして、葉山と三浦市の境目あたりの農村などを歩いた。
そのあとは、御用邸の隣のしおさい公園、そして海岸で夕日を見た。

御用邸にはお巡りさんがたくさんガードに立っていたのだけど、この人達がみな感じがいい。
若くて、明るくて、礼儀正しくて、元気が良く、愛想が良すぎる程いい。
神奈川県警って、そうなのかしら?と、ふと脇の表示を見ると、「皇宮警察」。

なるほど。
やっぱり毛色が違う、というか、今、皇室も色々お騒がせだから、気を使っているのかしら、と思う。
何となくNHKの若手アナウンサーみたいなイメージの、お巡りさん達でした。

一緒にいったTさんは、元気そうで安心した。

10月11日の日記

2006年10月11日
昨日、会社の休憩室のテレビに「徹子の部屋」がかかっていて、ゲストは武田久美子だった。
一部の女性誌などで、美のカリスマ扱いなので、写真は何回か見たことはあるのだけど、こういったインタビューを見るのは初めて。
ほんと、超きれいでびっくりした。

手入れの行き届いた長い髪、手足が長く、首も長く、ほっそりしていて、それでいて肉付き、筋肉などもしっかりしている。
メイクも入念にしていて、でも厚化粧に見えないし。

何よりもその輝く表情。
笑顔が自然で、幸せな人生がその顔にキラキラと表れている。
うーん。
人気があるのも分るなぁ。
こういう人が近くにいれば、周りは明るくなるだろう。

皆に人気がある、というと、マーケティングの産物みたいで胡散臭く感じる私だけど、そうとばかりは限らないよね。

10月9日の日記

2006年10月9日
築18年を過ぎたし、全取っ換えするつもりでいた102号室のユニットバスだけれど、リフォーム屋さんが、「手を入れれば綺麗になりますよ。取り替えるなんてもったいない、」と言っているので悩む。

親切で言ってくれているのは分るけど。
でもねー。

彼の言う「綺麗になる」と、私の「綺麗」と、そして入居者が期待する「綺麗」とは違うし・・・。

この部屋は、新築以来エアコンもミニキッチンもそのままなので、せめてユニットバスくらいは、とも思う。
素肌で直接触れるものでもあるし。

ただ、全取っ替えすると、45万円くらいかかるし、修理を頼めば5万円ぐらい。
あと、勿論、充分使えるものを廃棄するのは、もったいない。
悩む。
ただ、良い部屋には良い人が来るので、おそらくは取り替えるかな。
自分の部屋なら、もちろんこんな贅沢はしないのだけど。

お月見は江ノ島に行った。
台風一過といった感じで、良いお天気。
風が強く、雲を散らすのも風情がある。
江ノ島のタワーから、夕焼けと富士山とお月様を眺める。
海の上は、月の光できらきらと輝き、また潮目が道を作っていて、おもしろかった。
昨日は近所のATMでお金をおろしていたら、「独占するなよな!おい!」と後ろから凄い罵声。
慌てて、「すみません、」と外に出たのだけど、考えてみたらそれ程長い時間占拠していたわけでもない。隣りのもう一人の女の人は私より前からいたけど。
それに罵声は無いと思う。
注意するにしても、もうちょっと頭の良いやり方があるはず。
ただ怒鳴るなんて、失礼だし、バカだ。

外に出たら、その怒鳴った中年男性の後ろの女性と目が会い、「おおイヤだ。怖いわね!」とその人が囁いてくれたので、やっぱ、その男性の行動は「非常識」なんだろう。

て、他人の意見も確認しなければ、常識か非常識の判断も出来ない自分も、相変わらずだけどやっぱ変。

だけど、世の中みな、イライラしていて怖い。
特に男。
もともとが闘争の性質があるし、容易に暴力にシフトする。
この世から男がいなくなったら、戦争もなくなるかも。

「それから」

2006年10月5日 読書
ISBN:4101010056 文庫 夏目 漱石 新潮社 ?420

もうじきお月見に一緒に行く人は漱石をよく読んでいるので、先日図書館で借りてきて読む。

実は私は漱石はあまり読んでなく、せいぜいワガネコと坊ちゃん、夢十夜ぐらい。で、今回「それから」を読んでみて、漱石の変わらない人気というものが、何となく分ったような気がした(たぶん)

私には少々り理屈っぽすぎる文章もあるけれど、美しいシーンがたくさんあるし、香り、服装、食べ物など、生活のディテールにこだわっているところもあって、こういうのって、結構好き。

主人公が鈴蘭の花を大きな鉢に活ける。
鉢を動かすと、花がこぼれる。
訪ねてきたヒロインに、主人公はお茶を用意しようとするのだけど、待っている間に、彼女はその鉢の水を飲んでしまう。
「なぜあんなものを飲んだんですか」
「だって毒じゃないでしょう」

最近、朝は熱い紅茶を飲んでいるのだけど、これは主人公の影響。
その他、神楽坂あたりを散歩したくなった。
昔の人はよく歩いているよね。
お月見、葉山でのお散歩、そして月末の一人旅と、今月は私にしては珍しく予定がつまっている。

旅は香港・マカオ。
15年振りかもしれない(-_-;)
日系の航空会社を早期割引でネット予約し、ホテルは直接電話して決めた。
月末は催しものがあるみたいで、月初めに比べ宿泊料が一気に二倍になる。やれやれだけれど、電話に出たお兄さんの感じも良かったし、折り返しメールもちゃんと来たし、ここに決めよう。

二泊三日と短いので、メインはマカオ。
初日は夜着なので、何もせず、二日目はマカオに行き、昼間は散歩、夜はカジノをのぞくつもり。
最終日は午後発のフライトなので、ホテルでのんびりするか、もしかしたら買い物もするかも。

カジノ、楽しみ!
運はない私だけど、金運だけはあるので☆

9月28日の日記

2006年9月28日
ときどき2ちゃんねるの掲示板(英語関係)で喧嘩をして、憂さをはらしている。
日本人は何故英語下手なのか、ってことには、本当に憤りを感じるほど怒っているから、語るべきことは尽きない。

で、ついついエキサイトして、「この馬鹿!」みたいにやっているのだけど、2ちゃんねるだから、結構傷つく発言をされることも多い。
でも、負けずに言い返してやりあって、そうする内に思わぬ援軍が出てきたり、もちろん結局は負けることもあって、けど、あんな匿名掲示板でも皆大人だから、一線は越えないところがあったり(むろん、その一線は現実社会よりは遥かに低いけれど)楽しいかも。

って、そういう事は、off the net でやるべきなんだろうけど。

ところで、藁とか禿げ同とか、いつの間にか使われなくなったんだね(藁)

9月27日の日記

2006年9月27日
先日、Aさんが、
「相手によって態度を変える人ってイヤよね。誰にも親切にすればいいのに。弱い人だと、とたんに感じの悪い態度を取ったり。」
とか、言うのを、まぁ適当に相槌をうって聞いていた。

その通りだとは思うのだけど、でも、すみません。相手によって出方を変えるのは私です。

「人を見て法を説け」というお釈迦さまの言葉じゃないけど、私は相手によってかなり変わるかもしれない。
どうすれば相手が喜ぶか、どうすれば相手の為になるか、絶えず顔色を伺っているような所があるかも。

大きな声でハキハキ元気よく応対するのを、感じが良いと思う人もいるし、うるさいと思う人もいるし。
私はその人によって使い分ける、というか使い分けたい。
だから、疲れるんだよね。
大勢でいると疲れるのも、そのせい?
どこへ焦点を当てていいか解らなくなる。

確固たる自分、いつも同じペルソナがあったほうが、遥かに楽だよね。そういう方向へ行こうかな。
ISBN:4101323216 文庫 坂東 真砂子 新潮社 1997/10 ¥820

大正時代の四国の鄙びた漁村で起こる人間模様。村人達それぞれのどろどろとした欲望、思惑が非常にリアルに描けていて、ここで起こっていることは現代の日本の縮図とも言えるかも。なんと言っても「事件」の発端はぎらついた欲望と同時によそ者を徹底的に受け付けない排他的感情からくるものだから。人間の醜くさや理不尽さがこれでもかと描かれるなけで、唯一の救いはりんの存在。りんの旅立ちの場面は思わず涙。りんのその後、ぜひ続編を書いてもらいたいほど。その他登場人物はみな一癖ありそれぞれ非常に魅力的。それだけでなく磯の香り、波の音、汗や血のにおい、思う存分楽しめます。この本はこれから私の本棚を飾るだけでなく。何べんも読み返していくと思う。

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子猫のことで今、under fire 状態の坂東真砂子さんの作品。
かなり昔読んだ。
上記レビューはアマゾンからの引用だけれど、私の感想とほぼ一緒です。
人間の醜さ、排他性に強い憤りを感じたけれど、どうしようもないことなのかなぁ、とも。

何年か前、「日本に我慢出来なくなり、タヒチへ移住」みたいなエッセイを新聞で読んだことがあって、引っかかっていた、といより、おこがましくも「心配」していたのだけれど、心配が現実になったという感じ。

今回のことで、タヒチ政府は法的な手段も考えているそうで、結局日本だけでなく、何処へ行っても同じなのだろうと思う。この世に浄土は無いのかも。

オリジナルの文そのものを読んでいないので、全体は解らないけれど、彼女の言い分は理解出来る。

・・・盛りのついた時に性交し、出産することが雌猫の「生」だとし「その本質的な『生』を人間の都合で奪いとっていいものだろうか」と説明。猫に避妊手術をすることと、子猫殺しをすることを「どっちがいいとか悪いとか、いえるものではない」とし、最後に「私は自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」と述べている。


上記の彼女の意見は、私は理解出来るけれど、だけど不快極まりないのも事実。。
また、かねてから違和感を感じつつも祭り上げてきた直木賞作家を、よってたかって引き摺り下ろすのは、さぞかし楽しいことだと思う。

彼女の作品の中で書かれてきたことと、まるで同じ。彼女はヒロイン気分? まさかね。
早く沈静化することを願う。

9月22日の日記

2006年9月22日
9月22日の日記
古くなったシャツを利用して、ちくちく縫っていたエプロンがやっと完成。
手縫いだったし、フェザーステッチなど、忘れかけていた刺繍のステッチを練習を兼ねて、適当に刺していたので、よけいに時間がかかった。
不器用な性質なので、へたれたものが出来たけど、私はやっぱりこういう事が好きかな。

面接落ちた

2006年9月21日
面接はどうやら落ちた模様。
自分が必要とされていない、評価されていない、と改めて思い知らされたようでショック。
一緒に受けたHは合格。(断ったそうだけど)
って、中学生じゃないんだから、就職の面接まで一緒に行ってどうする?、だよね。

頭の中で色々考えていた、落ちたことへの自分への言い訳も、Hは受かったことで、幾つかは意味をなさなくなる。

ああ。
かなり辛いかも。

9月15日の日記

2006年9月15日
某社の面接に大崎まで行く。

その後、時間があったので、南品川のK寺へ。

ここは、うちの祖母の実家のお墓があるのだけれど、「最後通告」みたいな張り紙が墓石に貼ってあって、大変なことになっていた。

本来なら後を継ぐべきYちゃんがモノミの塔に入ってしまい、祭祀を引き継がず、それでいて放棄する旨も言わないので、お寺としても困っている、とのこと。
「本来なら、法律では、一年経てば処分も出来るんですけど。でも来年の4月頃まで待ちます。」と仰っていた。

ここは、うちのお墓の目黒のA院と違って、のんびりとした雰囲気。A院のほうは、無縁墓の区画整理に余念が無く、いつ行っても、ただいま売り出し中のノボリが至る所に上がっていて、殺伐とした感じ。

K寺の件、何とかならないかなぁと思うけれど、どうしようもないよね。
お寺の人と、古い話しが出来て、興味深かった。
やっぱり自分のルーツは、品川あたりかなぁ、って思う。
お祖母ちゃん子だったせいかな。
このへんを歩くと、妙に懐かしい。
というか、あたかも自分が祖母で、100年前のその頃を知っているような既視感。
不思議。

祖母はその父親が19ぐらいの時の子供で、小さい頃は父親に東京湾に釣りに連れていって貰ったり、また品川は宿場町なので、その頃は遊郭がたくさんあって、そんな所まで一緒についていったり。
そんな話しを、祖母からたくさん聞いているせいだろうか。

その後は、Mさんと品川の漢方のお店、日本堂のレストランでランチ。
その後、プリンスホテルの水族館へ。
アシカとイルカのショー、お約束の芸だけど、楽しかった。

9月13日の日記

2006年9月13日
火曜日の昼、一時半ごろから、NHK・BSでアニメの赤毛のアンの再放送をやっている。
きのうは、ちょうどアンが、孤児院から男の子と間違えられてグリーンゲーブルスにやって来たあたりで、また孤児院へ戻される、みたいなところ。
もう20年以上前の作品のはず。
古風な感じの味わいが出てきていて、すごく良かった。
自然の描写、アンの寝室の屋根裏部屋や台所などのディテールなどもしっかり描かれていて、いい。

「おや。まだ着物を着替えてないのかい?」
これはマリラの台詞なのだけど、そう、「着物」を着替える。
昔、祖母なんかもこう言ってたかなぁ。
洋服でも着物なんだよね。

確か小説の訳者はムラオカハナコだったかと思うけど、その古い訳をそのまま使っているような台詞まわし、そして、オリジナルの英語の感覚がそのまま生きているような味わい。
いいな。
キスじゃなく接吻。パッチワークじゃなく、何だろ、何とか細工って言っていたはず。訳本では。

スタッフ名には、宮崎駿の名前があった。
実をいうと、あまり彼は好きではないのだけど、それでもこの頃の作品は文句なく良かった。
そう過去形です。
歳をとるって難しい。

9月9日の日記

2006年9月9日
NHKの英会話講座の質問コーナーに乗っていた質問。

はじめまして。・・・・(略) ・・・
He remainds me of my son when he was in high school.
この文章のwhenが接続詞なのか、関係副詞なのか、それ以外なのか、わかりません。

うーん。何だかねー。
日本人って、こんなことばっかりやっているから、いつまでたっても英語音痴な気がする。
He remainds me of my son when he was in high school.は、He remainds me of my son when he was in high school.で、あって、そのまんま理解できないのだろうか。

彼は思い出させる・・・・私に・・・私の息子を・・・彼(息子)がハイスクールにいた頃の。
ようするに、「彼を見ていると、高校時代の息子を思い出す」ってことだよね。
それでいいじゃない?

昔メアリアンが、「日本人はどうしようもない質問ばかりする。
あなたは質問しないからいい」って、言っていたのを思い出した。

中学生向けの英語学習掲示板とか覗くと、未だに文章を一語一語品詞分解したようなものが多いし。
また、英語は教科書と××の参考書を一冊やればOKみたいな発言も多くて、目眩がする。

英語は生きた人に話される生きた言葉。
ペーパーバックを読むなど、別のアプローチが必要だと思う。

9月8日の日記

2006年9月8日
「元禄・下級武士の生活」雄山閣出版

上は、現在読んでいる本のうちの一つ。
元禄四年(1691年)から享保二年(1717年)まで、17歳の時からえんえん27年間、死ぬ前年まで書かれた、尾張藩のある武士の日記の抜粋だ。

公のものでは無く、本当にブログ感覚なので、食べ物のこと、趣味の浄瑠璃や人形操り見物、同僚や上司の噂話、江戸から流れてきた風聞、など、内容は取りとめがないのが楽しい。

また、文体が、候文あり、漢文あり、で、かなり滅茶苦茶。
心中事件について書いてある部分は、浄瑠璃調になっていて(そしておそらくはあんまり上手じゃなくて)、ほんと可笑しい。

そうかと思うと、その時代特有の常識(でも現代では全然許されないもの)が突然出てきて、思わずぎょっとしたり。

その時代の普通の人が書いた、その時代のものを読むのが、一番時代に触れられるかな。時間はかかるけど。
時代劇とかは勿論、現代の専門家とかが書いた「江戸の生活」みたいなものにも、ずいぶん間違いがあると思う。

それにしても、私は本当に日記好きだ。
ただただひたすら読む。
何を食べた。
何を見た。
どこへ行った。
細かなディテール、日常茶飯事、どうということのないもの。
普通の人の普通の日記。
そういうものを読むのが好き。

有名な人の文章って普遍性があるから、時代に影響されにくい。
そうじゃない人達の書く文のほうが、そういう意味で楽しいって面もあるのかな。

一部抜粋します。

元禄四年
閏八月二日
彼岸に入る。大須にて操り、新今川。見世物白鼠。軽態小鷹和泉。

解説によると、
大須は名古屋の盛り場、操りは人形浄瑠璃、新今川は演目名だそうです。
見世物小屋の白鼠、見てみたい!

占い師の娘

2006年9月5日 読書
ISBN:404873105X 単行本 野中 柊 角川書店 1998/04 ¥1,365

この間読んだ「アンダーソン家のヨメ」が結構面白かったので、続けて同じ作者のものを借りる。

やっぱり、アメリカで暮らす日本人、日系人という設定の物語なのだけれど、こちらのほうが、新しいせいか、作者の感覚が更にパワーアップしている感じ。

文字通り、占い師の娘が主人公なのだけれど、占い師であるお母さんは死んじゃって、その幽霊が毎晩リビングでテレビを観にやってきて、みたいな所から物語は始まる。

前回のアンダーソン家のヨメもそうだったけれど、所々はっとするような部分があって、皮肉っぽいところもあるのだけれど、でも妙に明るい。
私の素のキャラクタももしかしたら案外、こんなだったのかもな(随分今は屈折しているけれど)、って思えて嬉しかったりする。

ものの感覚とかが自分と凄く似ているので、ほんと読んでいて楽しい。もちろんレベルは全然違うのだけれど。

ところでどうなんだろう。
誰かとお付き合いするのも、レベルが同じだけれど好みが違うと、楽だけれど、あまり楽しくないだろうし、でも、趣味嗜好がぴったりでもレベルが違いすぎても、駄目だろうし。

どっちかというと、私は後者のほうを選ぶかな。

8月31日の日記

2006年8月31日
ここ数週間ぐらい、体が頻繁に火照って汗をかく状態になって、困っている。
冷え性で冷房嫌いの体質だったのだけれど、そういう年齢なのだろうか?

今日は母親の付き合いで、お墓まで往復運転。
平日の墓地は人気が無いので、一人ではイヤなのだ、とのこと。
母親が運転したがるけれど、怖いから絶対イヤなので、私がハンドルを握る。

裏道通りまくり、方向転換しまくり、で、初心者マークに相応しくない中々高度なドライブでした。

それにしても、月に一度のお墓参りは、母親にとっての脅迫観念。
期限が差し迫ってくると、凄く機嫌が悪くなる。
死んでしまった人なんかより、生きている私達を大切にして欲しい。

8月26日の日記

2006年8月26日
昨日は、Kちゃんの幼稚園の夏祭りに行く。
Kちゃんは、相変わらず4歳だというのに、あまり喋れないけれど、性格的には文句無く可愛い。

ピンクが好き。
うさぎさんが好き。
踊りが好き。
ついでに、嬉しいことに、私のことも好きでいてくれるよう。

どうも有難う。
繋いだ手が、柔らかくて、小さくて、何か綺麗な優しいチカラをほんの少し、分けてもらったような気がしたよ。
夏はイースト菌の活動が活発なので、この間から、粉ものを少々作っている。
ピザに肉まん。
肉まんは結構良く出来た。冷凍庫で保存しておくと便利。

最新号のメトロミニッツ(東京メトロで出している無料誌)に、花巻の特集がやっていて、そうじゃないかなって思ってたのだけれど、やっぱり花巻って、ようするに肉無し肉まんだって事が判明。
作り方は同じ。
今度つくってみよう。

私は勿論、ドライイーストを使用するのだけれど、世の中にはイースト菌を「飼育」とかしている人もいるみたい。
自然の中に存在しているものを、大事に増やして、それでパンとか焼くのだそう。
いいなぁ。
やっぱり私はこういう「ku−nel」生活に憧れる。

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