4月15日の日記

2011年4月15日 日常
出勤途中の公園。
スズメが二羽、取っ組み合いの喧嘩をしていた。
そこへ、もう一羽が乱入し、三つ巴の大バトル。
平和なスズメらしくなく、朝から大騒ぎをしていた。
コスズメなのかな。春だから。
若い命はエネルギーに満ちている。楽しい。

4月14日の日記

2011年4月14日 日常
夕食を食べながら何気につけたテレビで山下久美子が出ていて、赤道小町を歌っていた。
当時、ほとんどテレビを見ていなかった自分でさえも軽く口ずさめるヒット曲。
あらためて聴いてみると、詞がとても良いことに気が付いた。
調べてみると松本隆。
ああ。やっぱりこの人、好きだ。
この時代の歌って、英語が殆ど使われていないのにも好感が湧く。

4月13日の日記

2011年4月13日 日常
デスクトップにメモ帳のファイルをひとつ、置いてある。
インターネットを見ていて、気に入った文章があると、そこにコピペして、とりあえず保存。
そのメモ帳の一番はじめに、.LOG  と入力しておくと、メモ帳を開く度に、日付が記入されるので便利。
て。そんなこと常識? 誰でも知っていることかもしれないけれど。

自分で作成したスクラップファイルなので、総て自分好みなので、読み返してもいつでも興味深いから良い。

4月12日の日記

2011年4月12日 日常
朝8時過ぎの余震で京成がストップ。
こちらから幹事に連絡をして、やっとクラス会は中止ということになった、とのこと。
こんな状況でも先方は、危機感皆無の雰囲気だったそう。
「電車が止まって、断る大義名分が出来てよかった」と母親は言っていた。

頭が良く、ずっとまとめ役で人生を送って来た人、というのは、年をとり衰えた後でも、そのことに気が付かず、変わらずしきろうとするのだろうか。
交通量の多い道を、走って渡ろうとするお年寄りに似ているかもしれない。数十メートル先の信号まで歩こうとしない。
若い頃と変わらず渡れるつもりでいるのだろう。

年を取ったら、優秀過ぎない人のほうが潰しがきくかもしれない。

4月11日の日記

2011年4月11日 日常
本日は大きな余震が何回かあった。
そんな中で、母親はクラス会の為、明日、東京に行く。

3月11日の後、てっきり中止になるかと思っていたのに、幹事より何の連絡がないまま、日数が経ち、1週間ぐらい前、
「計画停電は都内は無いし、大丈夫だよ~ 予定通り行えるよ~」という能天気な電話があったそう。

幹事は、非常に行動力があり、親分肌の頼りになる人。
けれど、「歳を取り、判断力が鈍ったのでは? 中止にするのが筋のはず。幹事が何も言わないのでは、私達の口からは言い出せない」と、母親は、仲の良い参加者仲間にぐちっていた。

大きな余震が来て、交通がストップしたら、帰ってこれない。皆、80近い人達だし、それにクラス会なんて、のほほんとした集まりに出かけて、トラブルに巻き込まれても、世間の目は冷ややかだと思う。
何事もないことを祈る。

4月8日の日記

2011年4月8日 日常
3月に1ヶ月働いた職場は普通に怖い所だった。
20代から50代ぐらいまでの女性がたくさんいて、表面はにこやかだけれど、怖い。派閥やいじめや無視。がらりと豹変する態度。そんなんで溢れていた職場。

今の所は真逆な怖さ。変な人だらけ。
営業?というのだろうか、派遣会社の担当の人も、同僚や先輩にあたる人達もおそらくは皆、60代。
年期がありすぎて、発酵して(腐敗)?、凝り固まって、頑固このうえない。

この日も先輩Aと私同様新人のAMが大バトル。
あー。怖かった。

注意をしてもいちいち逆らうAMに対し、Aが切れて、
「AMさん。そういちいち反論せず、少しは受け流して下さいな」。

それに対しAMは、
「Aさんも私の言う事を受け流したらどうですか!」。

Aは口をあんぐり状態。
「あなたね。私は一応先生なんだからさ。その言い方はないんじゃないの」

その後、それ以上はエスカレートせず、2人とも平常モードに戻ったのは、さすがというより、年齢の為、単に忘却したのでは?と私は思う。

地震の影響で、外国人客からの問い合わせなど全然無いし。
どうしようかな。
新しい仕事は昔ながらの交換なのだけれど、1時間半働いて45分休憩(正確には待機という)、みたいな大昔のルールがまだ残っている。

巨大な建物の端っこのほうに交換室はあり、島流しみたいにオペレータだけで、好きなようにやっている。

ときどきお客様より苦情も来るみたいなのだけれど、コールセンタなどと違って通話の記録も無いので証拠が掴めず、派遣先(正確には請負らしいので、このようには言わないかもしれないが)は、強く注意も出来ず、もんもんと疑心暗鬼のよう。
だから録音機を用意して、記録を残すように、とのことで、数日前から、交換台の脇にレコーダが置かれるようになった。

でも、これだと、お客様の声は入らないし、第一、時々私達は一時停止をしているので、意味無い。ほとんど。まったく。
教えてくれる先輩は、前世紀の遺物みたいな人達なので、これで当然、と思っているみたいなのだけれど、新米の私は、まだまだ部外者の目で見ているので、唖然。呆然。
いいのかなぁ。
天国みたいな環境だけれど、これに慣れると、他に移った時の社会復帰が難しいので、自分はマイルールを作り、あくまでそれに従うとしよう。

3月30日の日記

2011年3月30日 日常
帰宅後、録画しておいた池上彰の番組をくいいるように観る。
ウランが核分裂した結果、セシウムとヨウ素になる、ということが分かった。
けど、核分裂してエネルギーが出る、というのは何となく分かるのだけれど、核融合時もエネルギーが出るのは、どうしてなのだろう? わからない。
太陽は、水素がヘリウムに変わる核融合だというのは、読んだことがあるのだけれど。

今日は、4月からはじまる新しい仕事の研修のみ。
疲れて帰って来て、まだ夕食は出来ていない。
出来上がったのは8時過ぎ。
結構手の込んだものが出てきた。
そんなのいいから。お茶漬けと漬物と果物だけでいいから。すぐに食べたい。
それが出来ないのなら、別に作ってくれなくても良い。食べて帰るし。あるいは自分でお茶漬けを食べる。
けれど母親のやり方はそうではない。今更年老いた彼女のやり方は変えられない。
食事が終わって、一心不乱に池上彰を観ていたら、母親の機嫌が少し悪化した。あーあ。何やっているのかな。
それにしても自分はすごい集中力だ。そのかわり、いろいろなことを少しずつ、ほどほどに出来ない。こういうのは頭が悪いのだろうか。いや、いいのだと思うことにしよう。

loot looting

2011年3月29日 日常
米国ヤフーをしばらく眺めていた。
おもに地震関連。
looting という単語がたくさん出てきた。
調べてみた。
"略奪行為"という意味。
英語は何年もやっているはずなのに、知らなかった・・。
非常にシンプルな単語なので覚えることにしよう。
語源は、18世紀頃。ヒンディー語の戦利品という単語より、とある。ふーん。

連続アップ

2011年3月27日 日常
http://www.alt-invest.com/offshore/citihk/2009/01/post_2.html

おそらくは他の大勢の日本人同様、うちの資産の総ては国内にある。
日本がぽしゃることはまず無いだろうけれど、万が一の為に僅かでも海外に移しておいたほうが良いのかも、とふと思って調べてみたのだけれど、海外の銀行に口座を持つ、というのは、とても大変なことだ、というのが分かった。

よく分からないのだけれど、これはようするに日本政府の規制の為らしい。それはそうかも。日本のお金が海外に出て行くのは出来うる限り阻止する必要があるのだろう。

海外に居住する人は現地で口座を開けるのだけれど、日本国内で開こうとするのは難しいよう。citiバンクなんかも、日本で普通に開くと、ドル建てであろうと、日本の口座扱いらしい。”らしい”だの”そのようだ”だのですみません。不勉強なもので。

香港シティバンクでは日本居住者でも口座が開けるみたいなので、今度香港旅行の時、トライしてみようと思う。

私にとって英語も分散投資。
山歩きも分散投資。
食べられる草の知識も分散投資。
危機意識が強すぎる。

3月27日の日記

2011年3月27日 日常
160 :名無しさん@毎日が日曜日:
これわからん

貨物列車がA駅を午前9時に発車して、午後5時にB駅に着きました。
急行列車は、B駅を午前10時半に発車して、A駅に午後3時半に着きました。
駅の間を同じ早さで走り続けたとすると、二つの列車がすれ違うのは
いつでしょうか?

これが、わかりません。小学生の問題らしいです。


うっかりネットをのぞいていたら、こんなものに引っ掛かり夢中になって計算してしまった。
最初は双方の出発時間の差を鑑みないで計算したから、割り切れない数字が出たけれど、一応正解出来た。
でも、これ、小学生の問題だから方程式は使えないんだよね。だとすれば難しい。
25日は昼間の仕事の後、4月からの仕事の研修へ。
1時間ばかり先輩達の呼の聴和をした。
閉めるギリギリになって英語のお客様が入呼。
急遽私が代わったが、しどろもどろ。
よく聞こえないし喋れない。というより日本語でさえ理解していないことを喋るのだから当然かもしれない。
「こんなタイミングで入ってくるなんて試しがけかもよ」と、先輩Aの言葉。

私が20年働いた職場でのOBさん達が、ここの職場の関係者には沢山いることが分かった。Aさんもその一人。
けれど、この職自体、斜陽の職種。事実、6月から大きな変更があるみたいで、皆さん戦々恐々としている。
私はそんな話しは聞いていないし。派遣で仕事をしていると、初めの話しと違う、というのはありがちだから、驚かないけれど。

今日の朝日の朝刊の一面。
「集団疎開心が痛む」「周囲に遠慮 少ない参加」というものだった。これは興味を覚えた。

盛岡の温泉旅館へ2~3ヶ月集団疎開するという人達に対して、「”家に戻って掃除する際には、またこの避難所に泊めて下さい”と言われたが、納得出来ない。我々を捨てて出て行って、都合のいいときだけ戻ってくるなんて」との避難所の責任者の言葉。
この避難所から疎開した人はほとんどいなかった、と書かれていた。

皆でがんばるのは良いのだけれど、それを断れない雰囲気、他と違うことが出来ない土壌が日本は強すぎて、私が我慢出来ないのはこういうことなのだと思う。集団で一丸となって一つの目標に突き進む、というのが我慢出来ない、というより許せない。スポーツ観戦時の満場一丸のニッポンコールも鳥肌が立つぐらい(本来の意味)我慢出来ない。外国でやるぶんにはいいけれど、日本のスタジアムでやるべきではない。相手チームに失礼だ。
そして度を超した礼儀正さも気味が悪い。それが出来ない人、しない人を排除する。ああ。これって、免疫が働きすぎの状態にも似ているかな。非常にクリーンな環境で、免疫系統が自己組織も攻撃したり、本来攻撃する必要の無いようなものまで攻撃したり、の状態。
早く通常の状態になってもらわないと私の精神がもたない。

投資の基本は分散投資だけれど、これは何に対してもいえる、と思う。エネルギーは電力とガスに分けておけば、停電しても料理は出来る。暖はとれる。ひとつが駄目になっても他の方法を確保しておき、それにいつでも軽やかにシフトするような感じ。けれどひとつのものに集中したほうが経済的なのだろう。

生物都市(諸星大二郎)を読み直したくなった。

3月22日の日記

2011年3月22日 日常
今日は4月1日からのお仕事の顔合わせ。
英会話のテストがあった。結構難しかった。
英語の比率はそれなりに高いそう。

非常に環境の良い職場。周囲も建物自体も。
交通費も出してもらえる、ということだし。
慣れて長く働くことが出来たらよいな。
とはいえ、この派遣会社は3年契約で仕事を取り、今年が2年目だそうなので、長くて2年しかないのだけれど。

派遣会社は、年末年始働いた税金関係のコールセンタを紹介してくれたのと同じ会社。派遣労働者も社員さん達も年配者が多く、全体にのんびりとした雰囲気。今日も担当の社員さんは、スニーカーにズボン(パンツルックなんて感じじゃない)、セーターといった、近所のイトーヨーカドーにでも行くような格好で来ていた。

けど、三月中に最低でも2日は研修で出勤の必要あり。
今日も現職を午後から早退したし。
お休みを切り出すのは憂鬱。

3月21日の日記

2011年3月21日 日常
本日の昼食。

そばがき(団子状にしたものを茹で、蕎麦ツユに浮かせた。蕎麦ツユは、醤油を濃くし、柚子を入れた)。


本日の夕食。

ご飯
白菜のおみよつけ
エビチリ
茹でブロッコリ
いちご

夕食は初め、ミートソースを作る予定だったけれど、パスタソース缶が手に入らない。二軒回ったけれど棚は空っぽ。謎。

一方、おとといまで手に入らなかった牛乳は、わんさかあった。やっぱり放射能の影響だろうか? 何か笑ってしまう。非常に分りやすい反応。

実は料理は好きでない。母親のためだけに作っている。私は毎日毎日、同じものを食べるのが好き。
ご飯とおみよつけと漬物。あるいはパンと果物とチーズみたいなレパートリー。
おみよつけも漬物も中身を季節のものにすれば楽しいと思う。
そしてご馳走はたまに食べる。だから美味しい。

昨晩遅く、ハックルベリ・フィンの冒険を読んでいたら、H(ぱんだ)から久しぶりにメール。
1月末のドタキャンのせいで、私はすっかりへそを曲げ、いや、深く傷ついていたので、彼女用のメールホルダーをまるごと削除したりしていたのだけれど、やっぱり嬉しくて、尻尾を振ってすぐに返信した(馬鹿)。

おとといの夜は、スーパームーンだったよね。
私は知らなかった。Iからのメールで翌日、知ったのだけれど、馬鹿ぱんだと以前のように頻繁にメールを交わしていたら、決して見逃すようなことは無かった。私達は月好きだもの。
一緒にお月見をしたかったな。

昨晩は久しぶりに親身なメールを交わしました。
でも、翌朝になると、何か夢うつつ。
よく覚えていない。もしかしたら願望が見せた幻?とも思ったけれど、ちゃんとメールは消えず残っていました。

そうだ。こんどムーミンのお話しを作ろう。
ムーミンやスノークのお嬢さんが出てくる普通のお話しをあらたに作るのだけれど、そこにぱんだとうさぎのキャラクタを何気に付け足す。
ムーミン谷でだったら私も暮していけそうだ。




原子力に関してまるで分っていないので借りてきた。
けど原子力って、果たして物理なのか化学なのか悩んだ。そんなレベル。自分。
原子核には陽子と中性子があり、その周りを電子が回る。
陽子と中性子の質量は同じ。電子は軽い。
覚えていたのはそれくらい。

昨晩、寝床で読み始めたのだけれど、非常に難しい。脳が拒否っている。
睡魔と闘いつつ読み、真夜中にトイレに起きた時も読み、現在五分の一ぐらいを終了。
けれどその先に行けるかは微妙。
こんなのを理解出来るのだから偉いな、高校生と思う。

けれどこうして改めて勉強してみて、分ったこともあった。
私は原子核の周りを電子はただグルグルと無秩序に回っているイメージがあったのだけれど、K核、L核、M核、N核というように、まるで太陽の周りを惑星が回るように、軌道があって回っている。
共有結合、イオン結合、というのは、うすぼんやりと覚えてはいたけれど、なるほどな、と思えた。
科学の世界というのは、非常に秩序正しく動いているのだな、と思う。

どろどろぐちゃぐちゃ、相矛盾し、時には自分の気持でさえ何だか良く分らないような、人間の心とは違う。美しい世界。こういうのが理解出来る理系の人は幸せだな、と思った。

ええと。今夜は第五章。モル(物質量の単位)から始めようと思うのだけれど、脳は8割がた拒否しています。

3月19日の日記

2011年3月19日 日常
運転時は制限速度をなるべく守り、階段の上り下りは手摺を掴み、歩く時も道の端を歩き、後ろを確認してから横にずれる。青信号でも安全確認してから渡り、他人の言う事は信用せず自分で必ず再確認。何でも自分でやらないと気がすまない。危ないから舌は出さない。病院にはいかず病気は自分で治し、普段から歩くのが好き。食べない。遊ばない。笑わない。苦行難行が好き。
非常に怖がり。それでいていったん自分の中で色々考えると、それは想定内ということなので、周りがびっくりするくらい大胆にもなる。

今回の一連の災害にまったく心が動かされない。津波をみても怖いとも思わない。どこかの知事のようにも思わないけれど心も動かない。だから人々と話題や思いを共有できない。おそらく平時もそうなのだろう。日常のちょっとした喜怒哀楽を人々と共有出来ていないのだと思う。小さな頃から周りの人々にとって、気になること、好きなこと、心を動かされることなどにまるで興味がなかったのだと思う。はぶられて当然だな、ということがこの歳になって分ってきた。しかも能力もないし、更に年齢のためか、衰えてもきた。
津波も原発も怖くないのはそれが想定内だからだと思う。

海外(自由)旅行をして、まず最初にすることは、その町から逃げ出す手段の確認だった。大抵は中心部から少し外れた所にバスターミナルがある。そこで他の町へ行くバスの確認。バス以外の交通手段の確認。飛行場へ行くルートの確認。

賃貸住宅の良い点はいつでも逃げ出せる、ということ。ここがぽしゃれば、他へ行けばよい。

自分さえよければ、自分の身内さえよければそれでよい。
皆で協力しよう、なんて思わない。

3月17日の日記

2011年3月17日 日常
昨日は母親の通院付き添いで仕事は休んだ。
今日は先日申請した介護保険の審査のため、市役所の人がやって来るので、やはり仕事はお休み。
明日から出勤予定だけれど、電車はかなり混乱があるようで、思案中。

被災地では略奪行為などがなく世界の賞賛を受け日本人も誇りに思っているそう。これはとても立派なことだと思うのだけれど私はどうももやもやとした思いがある。こういったメンタリティが自殺や過労死、陰湿ないじめにつながっていると思えてならない。
ああ。やっぱり私は駄目だ。何かことがおきると思い知らされる。私は村の一員では無いということ。いつでもどこでもマイノリティだ。他人とまったく相容れない。

3月14日の日記

2011年3月14日 日常
山崎ハコ。気分を変えて。

http://www.youtube.com/watch?v=Q7P8_Uagkmw&feature=related

私は音楽というものがまるで分らない人間で、歌詞とボーカルの声でしか判断していない。
ハコさんの声は好みなのかは分らないけれど、詞は非常に響く。こういった類いの詞に響く、共鳴する、というのはある意味不幸なことだと思うけれど。

もう随分以前、おそらく渋谷のジアンジアンだと思うのだけれど、彼女の歌を聴きに行ったことがあった。
真ん中に彼女が陣取り、それを囲んで、観客が膝を抱えて座り、といった感じのコンサートだったと思う。
歌だけでは食べて行けないのでアルバイトをしたり、いつまでたっても上達しないギターの練習を夜の公園でしたり、みたいなことを語っていらっしゃって、へぇと思った記憶がある。

自分は音を気にしない、ということは、当然音響なんかも気にしない。分らない。
野外なら風の音、室内なら暖炉の薪がはぜる音、演奏者の咳払い、観客の固唾を呑む音、なんかも全部一緒になって、楽しみたい。
楽器は単体、そして弾き語りがよいな。

昨年、鞆の浦の重要文化財の旧家の座敷で聴いた、琵琶の弾き語りみたいな催しにまた行きたい。


3月13日の日記

2011年3月13日 日常
昨日はうららかな良いお天気。
修理に出していたパールの二連ネックレスをうけ出し、2駅ほど歩いた。
途中、アロマショップでハンドクリームを購入。
家々の庭では白梅が多く見られた。
犬の散歩、ジョギング、の人達が多く見られる。
当夜も犬の散歩の人は大勢いた。

A mouse sat under a tree.
He was reading a book.

A weasel jumped out and caught the mouse.

The weasel took the mouse home.
"Ah!"said the weasel.
"I am going to make mouse soup."
"Oh"said the mouse.
"I am going to be mouse soup."

Arnold Lobel作の絵本、mouse soup より。
このあと、mouseが知恵を働かせて苦境を乗り切ります。

テレビは地震一色。
東京の家のパソコンはもともと画面が三分の一死んでいて、ネットサーフィングも出来ないので、昨晩はメールの合間に絵本を読んでいました。

それにしても、NHKは地上波2チャンネル、衛星3チャンネルもある。
その総てを地震報道にする必要があるのだろうか。

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