everyone gets old

2004年3月29日
しばらくコンタクトを取っていなかったTさんと、またメールのやりとりが始まった。
そしたら、さっそくちょっとした誤解が発生。
私がこの間仕上げたばかりの赤いスカートを、自分へのプレゼントと誤解した模様(-_-;)
いったい何故、そうなる?

数年来放っておいたスカートをやっと仕上げて嬉しい、

とか、

どこか南の国へのバケーションに持っていく予定、

とか、ちゃんと書いたつもりなのに。

考えてみれば、彼女は昔からそうだった。
行動力があって、元気で活発だけれど、その代わり早とちりやケアレスミスが多いというか。
おまけに私より二回り年上なので、もうおばさんというより立派なおばあさんだ。
そういう面が更に進んだのかも。

4年以上会っていないわけで、仕事も辞めてしまっているわけだし、もしかしたらこの辺で逢っておく必要があるのかもしれない。
南の島の情報をネットやガイドブックで調べ中。

そうしたら、この島には、ニョピと呼ばれる一種の旧正月の儀式があることが分かった。
これが何ていうか半端じゃなく、とことん宗教している行事なのだ。
数日間に渡って行なわれるのだけれど、新年の当日は、外出ダメ、煮炊きダメ、灯りダメ、飲食ダメ、睡眠ダメみたいなダメダメづくしで、とにかく皆ひたすら家でじっとしていなければならないのだそう。
飛行機の発着までストップしてしまうというところが凄い。
夜は島中真っ暗になり、観光客といえども出歩いたりしたら逮捕(!)されたりするのだそう。

さすがに飲食と睡眠に対しては、守ってない人もいるそうだけれど、すごいなぁ。
まあ、何しろこの日は国中の悪霊がこの島にやって来るという、ちょっとおっかないお祭りでもあるのだから、気合も入って当然?かも。
一見、おだやかに見えるこの島だけれど、何ともいえないスピリチュアルな雰囲気があることは、鈍い私でさえ感じるわけで、そのことをあらためて実感。

うーん。
こんな私でも行ってもいいような所なのだろうか?

ところで、ニョピの日はその年によって違う。
去年私が来島したのは、ニョピの直前。
そして、今回は直後に行くことになる。
なんていうか凄いニアミス。
なんか因縁を感じるのだけれど、大丈夫か?(笑)
誰がどうみたって、イスラエルのほうが悪者のような気がするのだけれど、どうなんだろう?

イスラエルがアッシリアだっけ?に、滅ぼされたのが紀元前だと思う。
それ以来、約2千年、彼らは流浪の民だったわけで、その間、民族としてのアイデンティティやら言語やらを失くさなかったのは奇跡というか、それだけ頑固で頑迷だったってことだろう。
「ベニスの商人」じゃないけれど、お金持ちの反面、嫌われ者だったと思う。

それが、オスマントルコだったかの弱体化にともなって始まった民族紛争に絡んで、例のイギリスが2枚舌約束をして、結局イスラエルが悲願の建国を果たしたわけだよね。
そして、節目節目にいつも強行策を取ったのはイスラエルだったと思う。

アメリカとかにはユダヤ系が、それも成功した人々がたくさんいて、キッシンジャー国務大臣とかも確かそうだよね?
イスラエル人は英語も喋れるし、どうしたってアメリカとかは、こっちに肩入れするわけで。
やっぱねぇ。
私としては、過激派とかの気持ちもよく分かる。

そういえば、昔、ユダヤ人は日本の雑誌をひとつ廃刊させたこともあったけ。
「マルコポーロ」という名前の、確か文芸春秋から出ていたもの。
「アウシュビッツにガス室は無かった!」っていう、中々挑戦的な論文が載ったせいなのだけれど、だからといって廃刊までに追い込むか?
同じようなことがおきても、日本人だったら、こうはしないだろう。
論文自体も、決して煽り立てるようなものではなく、あくまでも淡々としたものだったし。

そもそも一神教の始まりはユダヤ。
ユダヤ教があったからキリスト教が生まれて、そしてイスラムが出来た。
一神教なんて、結局多かれ少なかれ、選民思想的なところがあるような気がする。
「神の啓示を受けた」だの、
「神の御名のもとに」だの、
「王権神授説」だの、そういうのが出てくるというか。

で、結論。
やっぱりみんなユダヤが悪い。
世界中全部、仏教徒になればいいんだ!(笑)
ちなみに↑は、デイブ・スペクターの言葉(笑)

3月25日の日記

2004年3月24日
昨晩も東京の家に泊まる。

今日は、修理の人が仕事をしている間、針仕事。
スカートを一着、完成させた。

南の島への航空券を電話で予約。
少し高めだったけれど、直行便だし、何しろ超直前予約なのだから仕方ないだろう。
電話一本で国際便の予約が出来るなんて、便利になったような、それでいて、何か後ろめたさのようなものも感じる。
一体誰に対して?

出来上がったばかりの赤いスカートを持っていこう。

3月22日の日記

2004年3月22日
昨日は東京の家に泊まる。

偶然202号室と103号室と、両方の給湯器が壊れたので、修理の立会いの為だ。
それぞれの入居者と話すことになったのだけれど、性格の違いが現われていて興味深かった。
いや、性格の違いというよりは、人間としての度量の問題かもしれない。

202の0さんは、おっとりと構えていて、そして私は彼に随分迷惑をかけてしまったのだけれど、全然非難するわけでなく気持ちよく接することが出来た。
彼のこの態度は私に好印象を残したし、いずれ何らかの見返りを上げなければ、という気にもさせた。

一方、103のIさん。
給湯器が壊れるや否や、私の東京の家、千葉の家と、電話をかけまくり、留守電にメッセージを何回も残し、あげく「連絡が取れないから」と勝手に修理を手配。

あのですねー。
連絡が取れないっていっても、たかだか数時間のことなんですけれど。
あの日はお彼岸のお墓参りに出かけていて、我が家は全員留守。
夕方には帰ってきて留守電に気がついて連絡をしたのだから、そんなに慌てることもなかったはず。

ああ。
確かこの人は入居のときに、不動産屋さんから受話器を”ひったくって”、直接私に、入居日の先延ばしを交渉した人だ。
そんな人は前代未聞だったので、結構印象に残っている。

修理費にしたって、うちは最初から全額出すつもり。
なのに始めから「戦闘態勢」というか、「損しちゃ大変!」的な疑心暗鬼が言葉尻に滲み出ている。
結局、そういうのって、却って物事を悪化させると思うのだけれど。
やれやれだ。

自分もこういうところがあるから、余計凹んだのかもしれない。
川端康成を読み始めた。

考えてみれば、私が何故、若い頃、川端康成だとか谷崎潤一郎だとかを読まなかったかというと、それは彼らが長生きをしたからだと思う。
川端のほうは、私が子供の頃まだ生きていて、その歳を取った姿に記憶があるし、谷崎だって、晩年の写真が雑誌などにしょっちゅう載っていたはずだ。
目につくのは、晩年に書かれた作品ばかりで、何か面白みにかけるように思えた。

一方、読んだ作家は、梶井基次郎だとか中原中也だとか宮沢賢治だとか、ようするに早逝した人達ばかりだ。
若者特有の、そのナイーブな感性を尊んだわけで、でも川端康成とかだって、当然若い時代はあったわけで、今思えば、もっと若い頃にそういう初期の作品を読んでおくべきだったと悔やまれる。

老成して傑作を作り出せるのは、画家ぐらいなもの、というのが私の持論。
小説家でも漫画家でも、歌をつくる人でも、若い頃の作品のほうがずっといい。
歳を取ると、テクニックは上手くなるけれど、でも何かが失われていると思う。
世間の評価だけは、高くなるけれど。

あっ。
でも詩人も別かな。
自由詩でも和歌でも俳句でも、およそ詩人に年齢は関係ないという気も。
違う?
奈良から移動してきた人と駅まで帰る。
もともとは、徳島の出身だと判明。
ラッキー?
徳島旅行を計画している、と伝えて、東京からの行き方を色々と尋ねた。
まさか「お遍路」を考えている、とは言えなかったけれど(笑)

駅までは彼女と帰ったのだけれど、実は途中まで副所長も一緒だった。
この人は、見かけどおりの人だ。
ニコニコと愛想が良く、無邪気で裏表が無い感じ。
市役所とか郵便局とか、そういう所にたくさん棲息していそうなオジサン。

昔はうちの会社にも、こういう人は大勢いたのだけれど、最近は殆ど見かけない。
この間、朝礼のとき、この人が挨拶をしているのに、無視をしてお喋りをしている人達が何人かいて、何だか可哀想だった。
威厳が無い分、侮られるのだろう。

私は傍若無人のように思われているけれど、不思議と上の人に対しては、礼儀をつくして接しているつもりだ。
それは決してヘツライとかでは無く、何か私なりのこだわりというか。
ニンゲンって、何が傷つくって、プライドを傷つけられるほど、こたえることって無いと思うから。
おととい、きのうと東京の家に泊まる。
庭の杏の花が、かなりピンクっぽくなっていた。
何か、早くない?
20年前のスケッチブックを開いたら、4月11日付けで二分咲きの花を描いていることが判明。
やっぱりかなり温暖化が進んでる?
それとも、同じ杏とはいえ、品種が違うからだろうか?

沈没中

2004年3月10日
本当は仕事を辞めるべきなのかもしれない。
八方塞とは正にこういうことを言うのだろう。
ただ、やる気も若さもキャリアの蓄積も何もない状態で、新スタートなんか切るべきじゃないような気もする。
まさにジレンマ。
みな、自分が悪いんだろうけれど。
逢いみての後のこころに比ぶれば昔は物を思わざりけり

これは、恋の歌なのだそうだが、広範囲での解釈だってアリだと思う。
色んなことを経験した今(そうたくさんでもないけれど笑)、若い頃の自分は、いかにモノ知らずで、傲慢で、単純だったかをしみじみと実感。

若い人達を見るたびに、ああ、あなただって今に思い知るのよ!と、心の中でつぶやいている。

以前、テレビ番組でオオツキケンヂ?が、やりたい放題言いたい放題の毒娘に、真面目な、そしてちょっと悲しそうな顔で、

「今に、もっと歳を取ってからきっと後悔するよ。」

と、言っていたのも妙に印象に残っている。

この、「ちょっと悲しそうな顔で」、ってところがポイントかな。
ガガーっと、言っちゃ、ダメ(笑) この場合。

3月8日の日記

2004年3月7日
英語の喋れる人との会話は、どうしても英語が混じることが多い。
別に格好つけているわけではなく、咄嗟に英語での単語しか出てこないことも多いから。
要するに、単なる物忘れが原因。

ただ、あと、はぐらかしたい事は、わざと英語を使うこともある。
これは便利。
この間もMさんが会社のロッカールームで、

「あなた、そういえば最近はdepressionのほうは、どうなの?」

と聞いてきた。

「お陰様で。でも低空安定ってところかな。相変わらずmental break down状態だけれど。」

って答えておいた。

別に英語を使ったからと言って、どうという訳ではないのだけれど、全部日本語でいうより何か世間話風になって、深刻度が減るようなるってだけの話し。

I feel lonely

2004年3月6日
この日記を観ている人は分かると思うのだけれど、ここ最近、誰かとどこかへ行くということが殆ど無い。
映画を観るのも、野山を散策するのも、展覧会へ行くのも、皆一人だ。
寂しいと言えば寂しいし、傍から見ても冴えなく感じられるのかもしれないけれど、今、私はそういう「モード」なのだから仕方が無い。

私はもともと誰かと仲良くなってもあまり長続きしない。
せいぜい2、3年で、相手を消耗しきってしまうというか、相手の粗ばかり目につくようになってしまう。
そうなると当然、そういう気持ちはは向こうにも伝わるし、どうしても険悪な雰囲気も出てくる。
まぁ、私が仲良くなる相手は、やっぱり自分同様、一癖もニ癖もあるような人達で、おまけに私の事を買いかぶって付き合いが始まるようなケースが多いので、ある意味、破局は同然だろう。

でも不思議と古い友達がいなくなったらいなくなったで、新しい友達がすぐに出来たものだけれど、それもここ最近はなくなってきた。
やはり歳のせいかも。
新しい人間関係を築くには、いろいろ億劫な年齢なのだ。

何だかねー。
いつか幸せになれたりするのかなぁ。

仏像は楽しい?

2004年3月4日
日本橋高島屋で四国霊場巡りの催しを観る。

株主優待券があるので無料だし、実は最近真面目に「お遍路」を考えている私なので、覗いてはみたのだけれど、やっぱりかなり客層が高かった(笑)

特にこれといって重要なものは出品されていなかったのだけれど、出口付近で紹介されていた八十八寺のご本尊達の絵は良かった!
って、まさか本物を持ってくるわけにはいかないし、写真じゃ有難味がない、あるいは秘仏なんかもある?せいで、ようするに、総ての寺のご本尊が絵で紹介されているわけ。

同じ作者による、極彩色の割とちゃちい掛け軸絵。
これが良かった。
何故かっていうと、私はこれで「仏様当てっこ」をして遊んだから(笑)
88体の仏様はそれ程バラエティにとんでいるわけではなく、大体が、

阿弥陀如来、
釈迦如来、
大日如来、
薬師如来、
聖観音菩薩、
十一面観音、
千手観音、
地蔵菩薩、

の内のどれかだ。

安っぽい絵なので、何だかお菓子のおまけのカードみたいで、殆どゲーム感覚で楽しめる。
阿弥陀仏は雲に乗ってお供を二人連れ、何か光線のようなものを出しているし、十一面観音は頭にその名の通り十一個の顔をつけている。
千手様は、頭の11個の顔の他に、手もたくさんあるし、薬師仏は手に薬壷を持っている。
お地蔵様は坊主頭で錫杖を持っているから、すぐ分かる。
密教というとやはり大日如来?だけれど、この仏様は如来なのに何か派手だし、それに偉そうでやはりすぐ分かる。
圧倒的に薬師如来が多いような気がしたのだけれど、いつの時代も「病気」が一番の問題なのかも。

結構夢中になっちゃって、気がついたらかなりの時間が経っていて、あわてて、映画館へ移動。

やっぱ、宗教はビジュルアル系だ!(笑)
今日、職場でお客に、「貝」という字を説明するのに、

「バカ貝とかの貝です」

と、言っているいる人がいた(-_-;)

隣りの人が苦笑していたのだけれど、本人は全然気がつかない。
無邪気でいいなぁ。

ビローチャナ体質

2004年2月29日
結婚だとか子供だとか、キャリアを磨くだとか資格を身につけるだとか、私はそういったこと一切に全く興味が無かった。
30代の半ば過ぎぐらいまで。
赤ちゃんとかも、喋れもしないくせに「生きる」っていう本能だけは強い、気持ちの悪いイキモノに思えた。

じゃあ何に興味があったかというと、ただただその時々に面白く思えた事だけをやっていたと思う。
そういうのが「本当のあり方」だと思っていたから、そうじゃない人達のことを馬鹿にしていたような気もする。
公務員試験の為の「一般教養が身に付く本」だとか、「ワンクラス上に見える為のマナーの本」だとか、ようするにそういった類のものを読んでいるような人達だ。
絶えず努力し、上を目指し、ヒトカドの者になろうとしている人達。

だけど、最近、本当にこの歳になって、何かそういうのもアリっていうか、逆にそういうものの方が正しいのかもしれないなぁ、って思えてきた。
私が馬鹿にし続けてきた、良い学校に入るとか、高給を取る、とか、成功者と結婚するとか、港区に一軒家を持つとか、贅肉ひとつないボディラインを保つだとか、そういう事に一生懸命になることも理解できるかなぁって感じだ。

でもね。
40過ぎて、今頃気づいたってもう遅いんだよね(笑)
もう大抵のことは、やり直しは効かない。
それなら一層、気づかないままで、心変わりなんかないままで、一生いっちゃいたかったけれど。

それにしても。
私は、本当にコロコロと変わる。
どうも他の人達はこうじゃないような気も。
この「変わる」ってことが、きっと私の本質なんだろう。
母親と、近所ではちょっと有名なレストランへ行く。

が、超不味かった。
っていうか塩っ辛すぎ。
まるで海で溺れたみたいに、口の中に塩辛さがまだ残っている。
前菜の牡蠣を始めとし、サラダからメインの子羊まで、これでもかって程に塩が効いている。

おまけに厨房には年配の男性シェフが一人しかいず、それを奥さんらしきエプロンの女性が手際悪そうに手伝っているだけ。
客は私達を含めて3組だけだったのだけれど、料理は滞りながら運ばれ、結局食べ終わるのに2時間もかかってしまった。

うーん。
これで、この辺りの割には安くないのだから、やってられないよね。
会計のとき、厨房からエプロンの女性がわざわざ出て来たのだから、本当はちょっと苦言を言っておくべきだったのだろうけれど。
でも私達ときたら、店名にちなんだ彼女のエプロンのワンポイント刺繍を褒めたりして、やっぱり気弱(笑)

でも二度と来ないぞ。

私もマケイヌです

2004年2月25日
何日か前に病院へ行って、抗不安薬を貰ってくる。
数ヶ月ぶりの来院だというのに、診察もせずに薬だけがOKだなんて、随分いい加減な病院だ。

おまけに84錠。
すごい量だ。
1回2錠で1日3回、それを2週間投与という形を取っているので、最大処方。
私は、1日1錠ペースなので、これで約3ケ月は持つ。
ありがたいといえば、ありがたいけれど。

ここの病院は精神科単科なので、すごく浮世離れした雰囲気がある。
そこが気に入ったといえば気に入って通院を始めたのだけれど、でも、患者だけでなく、医者でさえ、すっかり主流を外れちゃっているような人達みたいで、何か最近ひっかかるようになった。

待合室のソファでたむろしてお喋りをしている患者さん達は、長年のクスリの作用からか、ろれつが回らないというか、知恵遅れじみた人達が多い。
決め付けはいけないのだろうけれど、普通の病気と違って、もうおそらくは一生、こうして生きていくしかないように思える。
そういう人相手に、毎日、仕事をするというのは、何かむなしいだろうなぁ、なんて思ったり。
よけいなお世話だろうけれど。

世の中、まっとうに成長して、満足した一生を送れる人って、どのくらいいるのだろう?
「アダプテーション」の中の、メリル・ストリープじゃないけれど、
「人生をやり直したい! 何もかもリセットしたい!」
って、思っている人って多いんじゃないだろうか。

I got my hair done

2004年2月23日
I got my hair done.

(私は髪を切った)

って、表現があるけれど、普通これって、美容院とかで切って貰ったって意味だよね?
自分で切ったってことじゃないって、学校とかでは習った記憶がある。
でも、本当にそうかなぁ。

だって、解釈すると、
私はgotした、自分の髪を、doneの状態に、ってことだから、何も誰かに切って貰ったってことだけじゃないような気もするのだけれど。
勿論、9割がたは、美容院とかで切って貰ったのだろう。
だけど、自分でやったって場合も考えられると思う。

違う?
辻占い、なんてどうだろうと、ふと思った。

四つ角に立って、やって来た見知らぬ他人に相談をしてみる。
友達や身内や、カウンセラーやら占い師やら、そういった人達に聞くより、案外答えが出るかもしれない。
流行らせたら、面白いかも。

でも善意の他人を装った、プロのセールスマンやらも混じってくるだろうし。
それを防ぐためには、どんなルールを作ったらいいだろう・・・なんて、今日は電車の中で色々と空想にフケッテイマシタ。

あれ?
そういえば、辻占いについて描かれた漫画があったな?
伊藤潤二だっただろうか?
死んでも死んでも再生してくる少女、「富江」の作者。

まぁ、とにかく誰か私の悩みを聞いて欲しい、というか、正直言うと、まるごと肩代わりして欲しいというのが本音(笑)
まるで降って湧いたような災難。
弟が突然、半端じゃない額の借金を申し込んできた。
しかも、理由が何かはっきりしない。
簡潔明瞭に打てば響くような説明をするのだけれど、それでいて微妙に胡散臭いというか、何もかもが総てウソのようにも響く。
これは、第六感。

住宅ローンが固定金利で高いから、うちからお金を借りて返済し、その代わり、うちに月々支払う、という理由も変だ。
固定から変動への切り替えなりを、まず銀行へ相談するのが筋なのでは?
第一、この固定金利うんぬんは私に対しての説明。

父親に対しては、
「以前、みんなでS銀行の××支店に行って、借りたお金が返せなくなったから」
という理由を述べている。

あの。すみません。
S銀行へのローンは、うちで返しているんですけれど。
父親にそういうと、
「へぇー」。
ちっとも分かっていないのだ。
そういう父親相手に、そして普段は父親となんか全然喋らないくせに、まず父親にコソコソと話を持って行ったところも信用できない。

とはいえ身内だし、困っているのなら出来る限りのことはしてあげなければならない。
落ち着いて、話をしていたつもりなのだけれど、途中で思いがけず切れてしまい、気がついたら堰をきったように怒鳴っていた。
私は普通こういうことはしないので、自分でも驚いた。
やはり、弟に対しては、数年来の積もり積もった鬱憤があるので、それが出たのだと思う。

私達のことなんか、ちっとも好きじゃないくせに。
馬鹿にしきっている癖に、でも世間体だけは取り繕っている弟。
義務だから一ヶ月に一回くらいは訪問するけれど、心のこもった話なんか、もう何年も交わしたことがない。

そんな私達に借金。
あげく、
「くださいって言っているんじゃないんだよ。ちゃんと返すんだよ。金利だってきちんと払うんだから、そっちにしても銀行に預けるより得だと思うよ。」

ふざけるな。
どこの世界に担保も無く、大金を「貸す」ところがある?
だからこそ、住宅ローンの返済明細書を見せるように、とか、A子さん(弟の奥さん)にも話をさせてくれ、と頼んでいるんじゃないの。

それを、
「ローン明細書は見せるけれど、ちょっと見つからないかもしれない。忙しいし。」
だの、
「A子には、勿論話すよ。でも僕から話す。そっちから話す必要はないでしょ? 話したら承知しないよ!!」
と、畳み掛けてきた。

この、「話したら承知しないよ!!」で、私は切れた。
この言葉は彼の決まり文句。
今まで、何回聞かされただろう。
ただ、大抵は、こちらにも色々と迷惑をかけている状況での台詞だったので、今までは我慢したけれど、今回は別。
借金頼んでいるのは、そっちでしょう?
いったい何なの?
いい加減にしてほしい。

私達が怒っているのは、「お金」だけのことじゃない。
あなたの言葉に真実が見えないことに対してなのだ。
政治家なんか20年近くもやっていると、こうなってしまうのだろうか。

この口の達者な、決して声を荒げたりしないくせに、他人を恫喝する術を持っているこの男相手に、渡り合うことを思うと、心底私は疲れきってしまう。

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